トーチ

2019年3月18日 月曜日

麻薬について思うこと

私は私の担当する作家たちには麻薬をやってほしくないと思っている。理由は2つある。1つは麻薬は違法だから。もう1つは麻薬が創作の役に立つとは思えないから。

無論これらは私の考えで、関谷や山田君やのぶちゃんにはまた違う考えもあるかもしれないが、ひとまず私が自分の担当する作家たちに伝えたいことをざっと書き留めておく。

麻薬が合法ならやってもいいと私は思う。ただ、合法だったとしてもできればやらないほうがいいとも思う。例えば酒。たしか中島らもが酒のことを「コンビニで買えるハードドラッグ」と表現していた。記憶が曖昧だが、そんなようなことが書いてあるのを確かに読んだ。人間の心身への影響を考えれば酒も麻薬に指定されて然るべきなのだろうが、不思議なことに合法だから全員飲んでもいい。だが控えてほしい、できれば飲まないでほしい、と私は自分のことを棚に上げて思う。私はスキットルにズブロッカを入れて持ち歩いていた時期があったが、いいことは特になかった。慢性的にぼんやりしていて、今よりも更に少し頭が悪かった。ある作家に「大丈夫ですか? つらいんですか?」と心配され、我にかえった。考えてみたら自分、ぜんぜんつらくなかった。無頼を気取ってかっこつけてただけだ。恥ずかしい。

麻薬は酒と違って違法である。法律を破ると想像をはるかに超える多くの厄介ごとを背負い込むことになる。それらはあなたがたの創作活動の邪魔にしかならない。あなたがたは漫画を描かなくてはならない。余計な面倒ごとにかかずらっている暇はない。作家の無意識というものに私はあまり興味がない。麻薬による幻覚状態をトリップ(=旅行)というが、漫画家にとっては実りの少ない旅行だと思う。さっさと帰ってきて枠線でも引いたほうがいい。漫画は音楽よりも良くも悪くも知性の制約が大きい表現形式だと思う。瞬間的で爆発的なインスピレーションみたいなものがあまり頼りにならない。漫画は白紙にコマが割られる時点で残念なことにもう知的だ。無意識の世界への大冒険で何か宝石のようなものが得られたとしても、結局、帰ってきて自分の知性で磨きをかけなくては石ころのままだ。1コマでも描けばそこにはたちまち時間が生まれてしまう。窮屈なものだ。漫画が不自由なものだということについてはもう諦めろ。

漫画は芸術だ。商業漫画は純粋芸術ではなく商業芸術だ。つまり、やはり、芸術だ。あなたがたは芸術家だ。あなたがたは芸術家である前に一人の人間だろうか。あなたがたは人間だが「芸術家である前に」そうだとは私は思わない。芸術に先立つその「一人の人間」とやらが仏でも神でも獣でも悪魔でもなく人間であることを一体誰が証明してきたか。芸術家である。人間が人間以外の何でもないということを前人未到の場所で保証しているのが芸術だ。芸術家と人間に前も後ろもない。だから、自分の中の愛と真実にもとづいて、命を賭してでも殺したい奴がいるとか、奪わなければならない金があるとか、燃やすべき家があるとか……法を踏み外さずにはいられない局面が訪れてしまうこともあるだろう。そういう時はできるなら一度担当編集者に相談してほしい。やるべきか踏みとどまるべきか、どちらがあなたの今後の創作に力を与えるか一緒に考えよう。

編集者にとって担当する作家が突然漫画が描けなくなるというのは心情的にも実務的にもかなりの痛手である。作家には精神的にも身体的にも社会的にも健康であってほしいと普通に思う。それらは必ずしも自分でコントロールできるものではないのが難しいが、願わくばそうであってほしいと思う。薬物依存は病気である。これを読んでくれている漫画家の中に、もし今すでに苦しんでいる人がいたら、まず然るべき医療機関に行ってほしい。仕事のことはひとまず気にしなくていい。今は創作よりも治療に専念する時だ。

私はかつて勤めていた出版社で、ある芸能人の獄中手記の編集を手伝ったことがある。著者は当時覚せい剤では2度目の逮捕、最初の懲役を終えてすぐの頃だった。ネットを中心に面白おかしく取り上げられ完全に時の人だったから、このタイミングで出版される手記がベストセラーになることは間違いなかった。著者とのやりとりは編集長がし、私は他の編集部員と一緒にお使いなどの雑務をしていたが、有名人の、しかもとても話題性の高い本ということで、手伝いながらうきうきした気持ちだった。ただ、一抹の戸惑いというか、何かこう割り切れない感じもあった。新刊にサインを入れてもらうため編集部に来てもらった著者の、私たち編集部員に対する気配りが過剰なものに見えた。お座敷を盛り上げ客の機嫌を取る幇間のような芸としての気配りとは違う、不安からくる闇雲な気遣いに側から見ていて思った。サインペンを持つ手が激しく震えていた。震えを止めるために筆圧を強めざるをえず、線が驚くほどギクシャクしていた。本に汗が垂れるのでしばらくページを開いたままにして乾かす必要があった。震えと汗は薬物のせいではない、自分は昔から上がり症で今は初対面の人に囲まれて緊張しているだけだ、薬はもう完全にやめた、ということだった。

あの時、彼が薬をやっていないというのは本当だったと思う。出所直後で、薬物を入手するのは難しかったはずだ。薬物をやっていなかったとして、だからといってこれはどうしたことだ。芸能人が、テレビのスタジオでも東京ドームでもない、ただの薄汚れた雑居ビルの一室に3〜4人の人間がいるだけの状況で緊張して震えていることがいきなりおかしくはないか。テレビの様子からは想像もできない、とても繊細な人だということが一目でわかった。苦しそうだった。ずっとこんな状態で生きてきたのだとしたら薬物に手を出してしまうのも仕方ない、というより、薬物に手を出したということが彼がすでに長いこと病んできたことの証明ではないか。手記の出版はただ苦しんでる人を晒し者にするだけなのではないかと思った。しかし、私はその違和感に話題書作りのうきうきで蓋をし、見なかったことにした。彼に対し「もしかして助けが必要なんじゃないですか?」ではなく「まさか大丈夫じゃないなんてこと、ありませんよね?」という、とてもずるくて意地悪なマインドで傍観していたように思う。

出版記念イベントは大いに盛り上がった。出所が祝われ、薬物依存は完治したことが宣言され、いわゆる自虐ネタで笑いが取られた。イベントの後半だったと思うが、会場に来ていた某出版社の社長から「本なんか出してないで、今すぐ病院に連れてけよ!」という怒号が飛んだ。舞台袖で見ていた私はドキッとした。まあまあ、ねえ、ははは……みたいな雰囲気でイベント自体は何となく終わっていったと記憶しているが、私は自分のずるさと意地悪さが完全にバレたと思いビビった。今でも忘れられない。事実、その後数年の間に著者は再犯を繰り返し、覚せい剤とコカインで度々逮捕されることになった。

大事なことなのでまた書くが、薬物依存は病気である。これを読んでくれている漫画家の中に、もし今すでに苦しんでいる人がいたら、まず然るべき医療機関に行ってほしい。医療機関といってもどこへ行ったらいいか見当もつかないし、相談できる人が一人もいなければ、担当編集者に相談するのがいいと思う。私たちも完璧な正解はわからないが、一緒に調べることはできる。あなたにどういった機関のどういったサポートが必要か、具体的かつ親身な助言をくれる人が必ずいるから一緒に探そう。病気にならない人間はいない。自分が病気であることを恥じたり、周囲に迷惑をかけたくないなどと思う必要は全くない。病気を治すために誰かに助けを求めるのはごく当然のことだ。そんなふうに前向きに考えたり行動できるなら最初から薬物には手を出していない……というあなたは、誰かに助けを求めていいということを今ここで知った。

(編集部・中川)

 

田代まさし氏、薬物依存と回復について笑いあふれる講演 「シャブ山シャブ子はない」と明かす