トーチ

2019年10月10日 木曜日

学生インターンが来て、去っていった

若者に説教したい気持ちが常にある。言いたいことは特にない。私の説教をメモする彼らの姿を眺めることで今の自分が盤石であるという幻想に酔っ払いたい。若者なら誰でもいいわけではない。説教の相手としては高校生だと全然話が通じないかもしれないし下手に社会人経験があると口答えされて反論できなくなりそうだからやっぱり大学生が望ましい。

学生が一人インターンとして編集部に来ることが決まった時、私はしめたと思った。就職活動を控えた大学3回生。二十歳。かたや私はおっすオラ野沢雅子、俸給所得者生活16年のでえベテランだ。頭お花畑のガキに社会の厳しさを叩き込み、心構えを説き、甘い考えを戒める。場合によっては殴ることができるかもしれない。例えばアナログ原稿のコピーをとる時にソーターに突っ込むみたいなことがあればビッグチャンスで、これは殴ってでも止めねばならない。くんとかさんとか絶対につけない。名字を呼び捨てるにも及ばない。てめえないしお前、いや、おい、で充分だシャバ僧が!

ぶっ殺すしかねえと肩をぐるぐる回しつつ初日を迎えた。過日、社内で大々的な席替えがあり、私の隣が空いたのでそこがインターンの席である。昼なに食べたい? と聞くと白飯と言う。しろめし。すっとぼけた野郎だ。ガード下のキッチン南海に行った。米に箸をつける前に箸の先をコップの水にちょんちょんするのが小鳥みたいでかわいいと思った。大学では50人からの大所帯である音楽サークルの部長なんだそうだ。9月のはじめに大きなイベントを終えたところらしい。企画を立て、会場を確保し、演者と交渉する。収支の見通しを立て、フライヤーとSNSを使って告知をし、当日は仲間と力を合わせてステージを設営。200人近くのお客さんが集まり、ゲストのギャラもちゃんと払い、大学からの補助金と合わせてわずかではあるが黒字が出たという。ほう、てえしたもんだ、出血大サービスで100点やると言うと渋い顔をした。当日、熱中症かなにかでステージに立つことができなくなったミュージシャンがいたそうで、その人のことを考えると決して満点とは言えない、自分が会場の空調にもっと気を配るべきだったという。てめえこのどさんぴん、俺の100点が受け取れねえってのか! 手近にあったクリスタルの灰皿を投げつけなかったのは、彼の話を聞いて私自身が大いに考えさせられたからだ。イベントをやり遂げたことにも感心したが、大事なのは「当日、熱中症かなにかで〜決して満点とは言えない」のところだ。

仕事とは何か。みんなの利のために、頭を使い、手を動かすこと。私はそう考えていたはずだ。それを思い出した。「みんな」には自分も含まれるし「利」には金銭だけでなく喜びや幸福も含まれる。世の中には多種多様な業種・職種があるけれど、それらがまっとうなものであるための条件はここにあるのではなかったか。誰かを不幸にしてやりたい……何も考えずに済むように……手足を1ミリも動かさなくていいように……という動機でなされたものを仕事と呼ぶことに私はやっぱりまだ抵抗がある。皆さんはどうでしょうか。

私は多感な時期に『家なき子』と『マネーの虎』の洗礼を受けた上、振り返ってみれば就職氷河期世代の一員だったというなかなかになかなかな感じであり、社会に出て働くということと、不正と差別に満ちた日本社会を自力でサバイブすることとをいつのまにか混同してしまっていた。両者はたぶん全然違うものだ。ノアの箱舟に我れ先に乗り込もうとすることと、方舟をもう一つDIYでこしらえようとすることに何か決定的な違いを直観できるのと同じくらい、それらは違う。世界には70億の人がいるとされる。みんなの利のために、頭を使い、手を動かすことが仕事だと仮定すれば、完璧な仕事というのは70億人をもれなく利するものでなくてはならない。無理である。自然からの分け前なしには生きられない人間によって為されるものである限り完璧な仕事というのは存在しない。しかし存在しないからといってゴミ箱にぶちこみ忘却の彼方へ葬り去っていいことにはならない。完璧ではいられなくてもまっとうであることはできる。インターンの彼は自身の取り組みを完璧ではなかったと言う。私はそれゆえにまっとうなものだったと思う。

私がいつも夢想している説教のクライマックスはこうだ。日本語には「働き者」という言葉がある。今ちょっと調べたら英語だと「hard worker」が当てられているが、逆に「hard worker」を引くと勤勉家・勉強家・努力家・頑張り屋などが出てくる。日本語の感じとなんとなく違う。英語の「hard worker」が自己実現に対するその人の前向きな姿勢を評価する言葉であるのに対し、日本語の「働き者」はもう少し大らかで、親しみの情が含まれている。私が「お前さん、働き者だねえ」と言う時のニュアンスには、彼が勤勉で努力家であることへの賞賛のみならず「おつかれさま」と、そして「なんかちょっとありがとね」がそこはかとなく込められている。「みんなの喜び」が前提されている。働くことの充実は自己実現の達成感だけでは測ることができないものだ。就活イデオロギーに骨抜きにされてしまったお前らはその辺のことを全く理解していない……。

しかし私にこのクライマックスを思い出すきっかけをくれたのはインターンの彼だから、彼にはやっぱり100点、いや1000点あげたい。これから就職活動が本格化するそうだから履歴書に書くといい。免許・資格の欄がいいだろう。「2019年10月 1000点取得/働き者と認定されました」。これはTOEICに換算すれば1億点に値する。990点満点のTOEICで1億点取れてる学生は北半球にも南半球にもいないから面接官は全員腰を抜かすに違いない。

そもそも編集部ではインターンなど募集していなかったのだ。新卒採用もしていない。にも関わらず彼はゼミの教官のツテをたどり編集部に働きかけてきた。彼の話を受け、関谷さんと山田くんが上司にかけあい稟議が通った。募集してないインターンが来る。こんなことは今まで一度もなかったことだ。絶対いじめてやろうと私が思っていたように、関谷さん、山田くん、のぶちゃん、望っぴ、それぞれがそれぞれのやり方でそわそわしていた。

編集部に1週間籍を置いたからといって就職活動に役立つ具体的な何かを得られることはないだろうと私は言ったが、山田くんはそんなことは百も承知の上で、それでも、ほんの少しでも何かを学んでいってほしいと頭をひねり、企画書やネーム提出などの課題をどうするか考えていた。そんな彼を見て私も何か課題を課したくなったので、インターン期間中にブログを1本書いてもらうのはどうだろうと提案すると関谷さんものぶちゃんも同じことを考えていて、そうなった。トーチ編集部で学んだこととか自己PRとか、何か就職活動に繋がるようなことを書くといいし、当然そういうことを書いてくるんだろうと思っていたら、最終日に上がってきた原稿が「僕としまじろう」でボヨヨン(目玉が飛び出す音)。水泳教室のインストラクターが「しま・じろう」という名前で、ベネッセのこどもチャレンジのキャラクターと同じで面白かったです、という話だった。おまえなんでこのタイミングでそれ書いた。もっと他に書くことあったろう。さっき1000点あげたけど話題のセレクトが謎すぎるからマイナス1000点。合計0点。TOEICに換算しても0点。彼は10月1日、1週間のインターン期間を終えて夜行バスで帰っていった。

そんな感じで別れの挨拶がちゃんとできなかったので、この場を借りて改めて。白石くん、おつかれさまでした。よく来てくれました。君がトーチ編集部で経験したことは就職活動では何の役にも立たないと思います。1000点もらったとか私は働き者ですとか、バカかこいつと思われるだけなので間違っても履歴書に書いてはいけないよ。でも忘れないようにはしてください。できれば10年先・20年先まで、人には言わず自分の胸にしまっておくときっといいことがある。君の就職活動がうまく行くことを編集部一同心から祈っています。

Fuckin’ Wataru Shiraishi,
start with what is right rather than what is acceptable.
just Keep your life!

(編集部・中川)