国境線上の蟹20

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見よ、私たちの呪われた眼を
 
 
 ミュンヘンはドイツ第三の規模を誇る大都市にして、6世紀あたりから名称を変え、ドイツ連邦に吸収されたりしながらも1918年まで存続したバイエルン王国の首都たる矜持を今に持ち、最終的にドイツの主流派となったプロイセン王国の首都・ベルリンに精神的に対抗し続ける古都である。大雑把に日本で言ってみれば、京都のようなものだろうか。街のあちこちにはドイツ国旗と並んで水色と白に塗り分けられたバイエルン王国の旗もはためき、長い歴史を経てきた土地のプライドを感じさせる。

 神聖ローマ皇帝に対する選挙権を持つ選帝侯にして一時はスウェーデン国王も務めたヴィッテルスバッハ家のもとで栄えたこの街は、往時の隆盛を思わせる壮麗な建築物がそこかしこに立ち並ぶとともに、近代的な美術館やテクノロジー系の大学などが密集する文化都市でもある。

 また、EU統合の中核国家ドイツの最深部、南はもうイタリアとオーストリア、その向こうにはバルカン半島という立地は、いきおい東からの移民たちのゲートウェイにもなる。宿の近辺を歩けば、トルコや中央アジア、中東系の移民たちが数多く出店しているケバブ料理やアラブ、ウイグル料理のレストランなども目につく。正直肉とポテトとビールばかりのドイツ料理に飽き飽きしていた旅人には、葉もの野菜のサラダなどもあるトルコ料理はありがたい。まだほとんどうわべに触れただけのこの街だが、奥深くに潜っていくとなかなか趣深いことになりそうだ。

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 多くのミュンへナーがこの美しい都市に強烈な愛着と誇りを抱き、ベルリンとは一線を引く気概を見せる一方で、それだけにここはなかなか保守的な考えの人が多いお国柄でもある。

 10月14日、バイエルン州では州議会選挙が投開票され、2010年代以降中東や東欧からの難民受け入れを積極的に進めてきたメルケル政権の与党「キリスト教社会同盟(CSU)」は第一党はキープしたものの、議席を大きく減らす手痛い敗北を喫した。代わりに勢力を伸ばしたのは、「彼らを受け入れたことによって我々の暮らしはより悪くなった」と訴える極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」である。

 先述のように、バイエルンはオーストリアなどを経由してきた難民がドイツで最初に到着する州である。そのためバイエルンの保守層の特に中東系移民に対する反感は強く、2018年のロシアワールドカップ後にもバイエルン・ミュンヘン会長のウリ・へーネスがトルコ系移民の代表選手エジルを感情的なまでに侮辱して話題になった。そうした言説が一定の支持を集めるという側面も、この土地にはある。

 とはいえ、ミュンヘン在住の友人の見立てによると「AfDは当初もっと議席を獲得すると見られていたが、10ポイント程度の勢力拡大であれば、まあ抑えたほうだ」ともいう。21世紀の文化都市の市民としての良心と、現実に誰かが感じている生活上の課題との相克が、この街にもある。

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 澄み切った空気のなか、歴史的建築と先端建築の入り混じる街並みはどこもかしこも美しく、それまでどちらかといえばアメリカ大陸や中南米あたりの広漠とした空間を歩き慣れたあなたにはすべてがあまりに現実離れした絵画のようにも見える。 

 市の中心部にそびえる赤レンガの双塔は、1488年、アメリカなどという国がまだ影も形もなかった頃に建てられたフラウエン教会だ。

 建造の際に悪魔がやって来て「どこにも窓がないように設計しろ」と難癖をつけ、建築家はその要求を果たして〝祭壇正面からは〟一切窓がないように見える教会を建てた。その様子をご満悦で覗きに来た悪魔は、窓のないはずの教会が明るい光に満ちていることに驚いた。実際は、側面に隠されていた窓から燦々と光が降り注いでいるのだが、正面から見ているだけでそれに気づかない悪魔はまんまと騙され、訳のわからないままに地団駄を踏んだという。その足跡とされるへこみが、教会内にはいまだ残されている。そうした話がいたるところで伝えられているところに、内奥に宇宙のような虚無を抱くアメリカやメキシコにはないヨーロッパの古層がある。
 
 あなたもまた、古式ゆかしい観光客のひとりとして教会の双塔が見えるあたりまで引き、iPhoneのカメラを起動する。

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 と、白い石畳にへばりついたシミのようなものが見える。あなたはすぐに、それが動いていて、それゆえにシミではないことがわかる。それは人だ。黒っぽい服を着た、おそらくは物乞いだ。

 あなたは顔をしかめ、それを画角から外して建物の写真を撮ったかもしれない。結局、そうすると構図が気に入らず、撮っていないかもしれない。そのどちらであろうと、あなたは少し近づき、その異様なふるまいに目を奪われる。

 その物乞いは、頭にはすっぽりと、ムスリムであることを示すグレーのヒジャブをかぶっている。体つきと唯一外側に露出した身体情報である皺だらけの手から判断するに、おそらくは老婆だ。そして彼女の顔は、この明るい広場のどこにも向いていない。老婆は地面に顔を擦り付けんばかりに頭を地につけて跪き、肘を立ててささげ持ったカップを小刻みに前後に振り動かしている。

 あなたは世界のそれほど少なくない国を旅する中で、ありとあらゆる種類の物乞いを見てきた。無気力に路傍にうずくまるだけのものは言うに及ばず、サン・パウロには拾ったタバコの吸殻を器用に組み合わせてエンパイアステートビルを作るものがいたし、サン・フランシスコのライブハウス前でマドンナの曲をかけながらスポーツ用車いすの男に軽快に3回転スピンを決められた日には、思わず10ドル弾んでしまった。トロントの空港ではろう者(と本人が言っていたのだからそうしよう)の男に、アルファベットの簡単な手話の手引きが書かれたクリスマスカードを1ドルで売りつけられ、それは今でも大事にデスクの前に飾っている。ハリウッドの常宿の近くにはいつも怒りに満ちて道ゆくものに何かを叫んでいるおばさんがいたし、シドニーにだって、いつもどこからか手に入れたガンジャを決めながら楽しそうにレゲエを聴いているおっさんがいた。

 だが、この老婆はあなたが今まで見てきたどの物乞いとも違う。アグレッシブとも無気力ともいえず、憐れみを乞うにしては、その姿勢と動きはやや異様すぎる。2つの目はおそらく朝から晩までほぼ眼前の地面だけを見て、その視線は誰とも交わることはない。何かを/誰かを見ること、そして見られることへの徹底的な拒絶。

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 他者の顔を正しく見ることは、その相手を人格化することだ。目を見て、顔を見て、私たちは相手のことを考える。そこに初めて、他者を記号としてではなく、生きた人間として理解したいという感情や、その心の動きが生まれる。

 だが、ときおり、我々のなかにそれを消費しようとする欲望が芽生えてしまうことがある。いや、そのことにすら無意識に、その笑顔を、その泣き顔を、我々は簡単に自分にわかりやすいストーリーに仕立て上げてしまう。

〈ペイライエウスから北の城壁の外側沿いにやってくる途中で、彼は地面にいくつかの死体があり、処刑人がそのそばに立っているのを見た。彼は近くに行って見たいと思ったが、同時に嫌悪を感じて引き返そうとした。しばらくは煩悶し、目を蔽っていたが、ついに欲望に勝てなくなった。彼は目を見開いて、死体に駆け寄ると叫んだ。「さあ来たぞ、お前たち呪われた眼よ、この美しい光景を思いきり楽しめ」〉

 かつてスーザン・ソンタグはその『他者の苦痛へのまなざし』(北条文緒訳、2003 みすず書房)の中で、プラトンが『国家』第4巻において引用したソクラテスの言葉をこのように孫引きした。私たちの呪われた眼には常に、他者の不幸を、苦痛を、単純に形象化して〝鑑賞〟したいという欲望が宿っている。貧困にあえぐ子供、津波の爪痕、過激派による凄惨な処刑、カルト宗教の犯罪、紛争地帯の日常。その背景を深く洞察しようとすらせず、私たちは他者を消費する。

 もちろん、その消費的誘惑を越えて誰かの苦悩や悲嘆の奥にあるものを理解し、手を差し伸べ、記録し、伝えようとする人々はいる。相手の顔を、目を、しっかりと見つめながら。おそらくは自らの「果たして自分は〝そう〟ではないと言えるか?」というやましさと向き合う夜をも過ごしながら、冷笑者のまなざしを背に、彼らは越境しようとする。

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 だが、老婆のポーズは、いわばその全てに対する異議申し立てだ。何よりも激しく切実な、自己の尊厳のギリギリの主張。理解も、同情も、消費も、認識すらも拒絶するように、彼女はただカップを前後に振り続ける。体は実際にこの場所で物乞いをしていようと、精神はそのことすら否認すると言わんばかりに、彼女はただカップを前後に振り続ける。

 あなたは近づき、彼女のそばにビニール袋にくるまれて置かれた難民証のコピーを目にする。あなたはいくつかの地名を連想する。シリア。イラク。あるいはレバノン。

 そうした国々のどこかに、彼女の魂はある。命と引き換えに全てを捨て去ってきた故国にある。

 あなたはメキシコのチワワ州、この豊穣のミュンヘンとは正反対に乾ききったシウダ・フアレスの路上で出会った、物乞いをするインディオの老女を思い出す。暴力的な歴史によって祖先とのつながりを断ち切られ、大地とともにあった頃の記憶を持たず、「自分がいま、ここにいること」の根源的な理由すら見失ったかのように日がな一日虚空に手を差し伸べ続けていたあの老女の、灰色の穴のような両眼を。

 今ここでカップを振る老女は、おそらく、もうひとつの「眼」——すなわち、あのインディオの老女のような眼を自ら獲得し、内在化してしまうことへの恐れとも戦っている。暴力によって引き剥がされた故郷を、記憶を、魂を本当の意味で喪失することに対する、全身全霊の拒絶。その凄絶さに、あなたは言葉を失う。

 この社会において「なかったこと」「見えないこと」にされている人々や物事を見据え、そこに共感や連帯を示すことは決して間違っていない。だが、それすらも「見られること」を受け入れたもののみにしか向かってはいないのではないかと、あなたは考える。それを拒絶するものに対しても、あなたは同じようにあなたの善意を示すことはできるか。それすらも、こちらの見たいように相手を見る、身勝手な欲望の仮託にすぎないのではないか。

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 夜の帳が降りる頃、この美しい都市の片隅では商店の軒下で若い中東系のカップルが粗末なブランケットにくるまり、デパートのファサードの下では、頭のスカーフから察するに東欧・バルカン系の老女たちがダンボールと毛布の上に座り込んでいる。そのうち涙を流す一人の老女の頬を抱いて何かを語りかける、おそらくこの街で働く同郷人と思しき女性がいる。その向かいでは、仲間であろう老女がハーモニカでたった4小節しか覚えていない陽気なメロディを繰り返し、繰り返し吹き続け、道ゆく人々に小銭をせびる。

 ドイツは移民・難民を包摂するためのかなり寛容な社会制度を備えており、ビザ申請、住居や仕事探しなどの支援もすべて日本でいう総務省がリードして行う。1時間約2ユーロ(約450円)の語学習得支援プログラムには生活困窮者のための無料サービスや夜間学習など、手厚くリソースが割かれている。だが、それでも、そこからこぼれてしまうものはいる。だからと言ってそれは、一概に彼らの能力が足りないからとか、社会に適合する意欲が湧かないからということではないだろう。彼らに包摂を選ばせず、この路上へと運んできた〝何か〟があるのかもしれない。おそらくは、後にしてきた土地の、過去のどこかに。

 彼ら彼女らのおそらく誰もが、魂が損なわれるような何らかの出来事を経てここにいる。そして、その上でなお、その魂のありかを、心のゆくえを探しながら生きているのだろう。人と関わるということは、その切実な祈りのようなものだ。

 誰とも視線を交わすことなく、己をここに運んできたすべての不条理を拒否するように安いプラスチックのカップを振り続けていた難民の老婆の魂に、何がしかの行き先はあるのだろうか。そうであってほしいと願うことくらいは、呪われた眼を持つ私たちにも許されるだろうか。いや、しかし、そう願うことすらも、あるいは。そう、あなたは思う。歩く。夜が更ける。

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〈著者プロフィール〉
安東嵩史(あんどうたかふみ)
1981年大分県生まれ。
編集者。移民・移動と表現や表象、メディアの関係を研究することを中心領域とする。

2005年以降、書籍や雑誌からVRまでの発行・執筆・展示・企画などを多数手がける。
2017年にTISSUE Inc. / 出版レーベルTISSUE PAPERSを設立。
ウェブサイトはそろそろ。
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