国境線上の蟹 25

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ソウル・トレイン、ソウル・ステーション(3)
〜「ここにいる」と魂は問う
 
 
 アメリカ合衆国の南西部を訪れたならば、必ず一夜は荒野で明かすことだ。

 例えばテキサス州ヴァン・ホーンからデル・リオ、サン・アントニオといったテキサスの最深部を抜けて東海岸まで続くルート90の西端部。メキシコから広大に続くチワワ砂漠の北辺に位置するこの一帯は、走っていても、車を停めてどこまで見渡したとしても、いずれにせよサンドベージュの地表にぱらぱらと潅木が続くだけの乾ききった大地が広がるのみの虚無の大地だ。もちろんトカゲなどの生物もいるが、この地上の中でも群を抜いて原子の数というか、質量密度が少ない場所には違いない。

 日が暮れてしまえば時おり遥か向こうにちらついては猛スピードで過ぎ去ってゆく車のライトや、運が悪いとお節介にも「こんなところで何してるんだ?」と声をかけてくるボーダー・パトロール以外には何ひとつ明かりもないような荒野の路肩で、ヘッドライトだけを頼りに車外に出てみる。

 ライトを消して毛布にくるまりつつ空を見上げれば満天の星が広がっていることもあるし、それらをかき消すほどの光を放ちながら天を支配する、日本ではなかなか見ないような満月にゾッとすることもある。とにかく雲が多くて星が見えないような日もあるが、暗闇に目が慣れれば、強く吹く風が雲を猛スピードで吹き流していく様子を見ることもできるだろう。日がな一日太陽に照らされて疲れ果て、もはや何がしかの変化を見せることにすらうんざりしてしまったような真昼の砂漠と比べると、砂漠の夜にはどこか、冴えざえとした視覚的な豊かさがある。

 時おりごうごうと吹く風以外は全てが闇の底に寝静まったように静かな夜、約2万年前の最終氷期までは海の底であったこの砂漠で、遥か海面を泳ぐ魚のようにうごめく雲や天体を見ながらあれこれと由無しごとを考えるのはなかなか楽しいし、今日はこれ以上運転しないと決め込んでしまえば、そのままウイスキーの一杯くらい飲んで寝てしまうのもいい。乾燥地帯の夜は寒いが、それでも夜明けにはお釣りがくるくらいの、無数のちぎれ雲の間を縫って青から赤へ、さまざまに空の色を変えてゆく美しい朝日が見られるはずだ。

 闇の中で、そっとひとり目を閉じる。その闇のどこかを歩き続けるコヨーテや、いくつかの、靴を履いた足音の気配も感じながら。

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 壮麗とさえいえる朝日の余韻もそこそこにあまりにあっけなく抜けるような青へと変わり、早くも一日を始めてしまった空に拍子抜けしながら、再び走り出す。肩や首を回して冷えた体を少しほぐしながら、どこかで朝食にでもありつこうと車を飛ばしていると、やがて道路沿いに、小高く盛られた土の上を一直線に、荒野を切り裂いて地平線の向こうまで伸びてゆく線路が現れる。そして、遠くにあるうちは鷹揚に見えつつ、近づくと暴力的にさえ見えるほど圧倒的な質量を持った貨物列車が走ってくる。

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 前章で述べたようにテキサス南部からメキシコへ、またはメキシコから合衆国へと行き交うコンテナを満載したその列車をアメリカの国内で見かけたとしても、基本的に誰も乗ってはいないだろう。グアテマラやホンジュラスからメキシコに入国し、国境近くまではなんとか引きずり下ろされることなく貨物列車に乗ってこられた移民たちもさすがに警備の厳重なアメリカとの国境までそのまま乗っているということはあり得ず、最寄りのボーダータウンやその手前で下りたあと、「コヨーテ」と呼ばれる仲介屋の手引きで、または勇敢/無謀にも独力で、国境を越えてくるからだ。

 当然、そこにはなんとしても彼らを入国させまいとするアメリカ合衆国税関・国境警備局のボーダー・パトロール、メキシコでは「ラ・ミグラ La Migra」と呼ばれる人々が目を光らせている。国境の手前、メキシコ側にまで出張ってくることもある彼らはそうそう都合よく入国を許してはくれないし、首尾よく彼らの目を逃れてアメリカに潜り込めたとしても、あとから捕まってしまえば結局のところ収容所送りと強制送還が待っている。「ラ・ミグラ」は移民たちにとって、大いなる恐怖のワードなのだ。

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 トランプ政権の誕生以降、カリフォルニア州の一部のミドルスクールやハイスクールで、とある〝子供の遊び〟が流行し、問題化している。

 それはいわゆる鬼ごっこの一種で、概ね上級生が鬼の役をやり、下級生が逃げることが多い。日本の鬼ごっこと違うのは、必ずしも「鬼」は一人ではなく、複数であること。そして、彼らはこう叫びながら、下級生を追い回す——「ラ・ミグラ!

 下級生は逃げ惑う。捕まれば「追放」されてしまうからだ。もちろん本当に何か危害を加えられるわけではないのだが、それでも、時折夜間に街頭に出てまで行われることのあるこのゲーム、そしてその言葉は、合法不法を問わず中南米からの移民たち、そしてカリフォルニアに多くいるチカーノ——かつてメキシコ領であった地域に「もともといた」し、今でも「ここにいる」褐色のアメリカ人たちの魂を撃ち抜き、凍らせるには十分だろう。

「追うもの」と「追われる〝べき〟もの」をいわば天与のルールのごとく明確に峻別した世界で、子供たちが笑顔で叫ぶ。銃声のように、「ラ・ミグラ!」「ラ・ミグラ!」と。これが、トランプのアメリカである。
 
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 ラ・ミグラに行く手を遮られることもなく、貨物列車は荒野を疾駆する。その勢いに圧倒されつつぼんやりと車体を見ていると、あることに気づく。ほとんどの貨車やコンテナに、グラフィティが大書されているのだ。
 
 尋常でないくらいに公共施設が潔癖な日本を除いて、駅舎や列車などにグラフィティが描かれており、そして消される気配もないまま残っていることは決して珍しいことではない。ブラジルでもドイツでも、そしてもちろんアメリカでも実に鷹揚というか、消してもまた描かれることがわかっているようなものにいちいち反応するのが面倒くさいだけかもしれないが、とにかくグラフィティはずっと残っている。

 それは特定の固有名詞であることもあるし、何かのステイトメントを暗喩したものであることもある。完成度の高いものも、とんでもなく低いものもある。だが、いずれにせよ、グラフィティを描くことは紛れもなく、「私はここにいる」ことを証明する行為である。テキサス州エル・パソからメキシコ側に徒歩で〝合法的に〟渡るものは2つの都市を隔てる大河リオ・グランデにかかった橋を渡ることになるのだが、その下に広がる、本来的に一般人は不可侵であるはずの国境地帯の土手にも、グラフィティはでかでかと描かれている。「ラ・ミグラ」以外の人間の存在を禁じられたマージナルな場所に、「ここにいる」ことの証を残していくものたち。

 多くのグラフィティは描かれた場所から移動することはないが、列車に描かれたそれらは違う。北へ、南へ、そもそもどの地点で〝どちら側〟の人間が描いたのかもわからないけれど、確かに誰かが「ここにいる」ことの証を、時にはその誰かがその言葉に込めたものまでも乗せて、列車とともに旅をする。

 それらが行く先々で、私やあなたは、どこかにそれを描いた「私」がいることを知る。灼熱の砂漠と「ラ・ミグラ」、そして壁やフェンスの向こうに隔てられ、おそらく生涯に一度も出会うことのないどこかの「私」が描いたかもしれないそれらを見てその人生を思うとき、私やあなたのいる場所は一瞬、私と「私」の境界を失い、マージナルな場所になる。単なる言葉でもなく、単なる図案でもなく、それらに託された固有の生が荒野を渡り、闇夜を切り裂き、国境を飛び越えてゆく。「ここにいる」と叫ぶように大きな車輪の音を上げながら、誰からも追われることなく。

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 人の容易に越えられない境でも、しかし、意志ならば越えていける。
 もともとインディオとスペイン人の間に生まれてアメリカ大陸に広がり、19世紀以降、今度は「北(白いアメリカ)」と「南」に強引に分断されてしまったチカーノの人々は、ふたつの世界の端境に位置する自分たちのアイデンティティを探り、その血が交わってきた時間軸の長さや厚さを確かめるように、様々な詩や文学を生み出してきた。ルドルフォ・アナーヤ、ジミー・サンティアゴ・バカ、サンドラ・シスネロスといった文学者たちは連綿と、己のうちに響く「隔てられる前の/隔てられたあとの声」を言葉にしてきた。

〈ぼくは歌わなくてはならない!
ぼくがわたってきた砂漠について
ぼくが感じてきた痛みについて
そしてぼくを癒してくれた愛について……

ぼくは怖くない!
土地の彼方へとぼくの歌を叫ぶことが!
ぼくらの愛のみなしごたちへ!
この人生の砂漠の上に
裸で横たわっている片端の子らへ!〉

 アナーヤはその代表作のひとつ『トルトゥーガ』(管啓次郎訳、1997 平凡社)において、ギャング同士の抗争に巻き込まれて四肢が麻痺し、どこにも行くことができずベッドの上に横たわるだけだったところから歌うことを覚えて徐々に回復していった少年トルトゥーガに、このような歌を歌わせている。彼を導き、物語ることを教え、そして先に死んでいった、半身のような友に向けて。

〈もう二度と彼に会うことはないとわかっていたが、それはどうでもよかった。なぜなら、ぼくは、ぼくとともに、彼を連れてゆくからだ……かれら全員をぼくは連れてゆく、心の中に、記憶の中に。そしてその記憶はいつか未来において目覚め、ぼくに向かって、さあ歌え、と呼びかけるはずだ。それこそ、歌のまだ完成されていない部分なのだった。
(中略)
 歌はどこかで、ぼくらがさようならとは一度もいわなかったのだということを告げるだろう。ぼくらが夢見、思い出しつづけるかぎり、何も失われるものはない……かれらはみんなぼくとともに砂漠をわたり、ぼくが故郷への道を見いだすのを手伝ってくれるだろう〉(前出『トルトゥーガ』より)

 あらかじめ失われたようでいて、実はまだ完成していないだけかもしれない〝合一の時間〟に向け、チカーノたちは言葉を紡ぎつづける。あるときはアナーヤのように優しく力強く、ある時は矢のように、何にも隔てられることのない未完の時があった/再びあり得ることを信じて。

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 カリフォルニアで詩人やアーティストによって結成された「Get Lit」という団体は、黒人やヒスパニックの3年生の子供たちの79%は読み書きの習熟度が基準に達せず、ロス・アンジェルスでは中等教育までで学生の34%がドロップアウトし、学生寮よりも3倍の時間は刑務所で過ごしている——といった深刻な精神の危機に際して、文学や詩の力で若者たちをチアアップすることを目的としている。Get Litでは毎年、「Slam」と題してカリフォルニアの学生たちを対象にポエトリー・リーディングのコンペティションを行なっており、そこには多くの学生——特に女性、ヒスパニックといった、白人男性を中心に回るアメリカ社会において不合理に日常のさまざまな場面でその尊厳を傷つけられがちな側にいる学生たちが多く参加している。

 ロス・アンジェルスのイングルウッド地区でハイスクールに通っていたパオラ・ゴンサレスとカルラ・グティエレスは、トランプ政権が誕生した2016年のSlamに参加。白人たちが築き上げてきた「白いアメリカ」の歴史を射抜く矢のように、鋭い言葉を投げかけた。「2020年テキサス、アメリカとメキシコの国境、その壁にて」と題して。「壁」のこちら側にいようがあちら側にいようが「白いアメリカ」においては存在しないことにされているその「向こう側」から、まだ見ぬ合一を求めて、彼らは歩いてくる。言葉で。

〈Legend of the walk begins
at those who arrived wearing silver skin
who enslave the aboriginals and those brought on cargo ships,
who created a system where the deeper the melanin the deeper the slashes.

歩くものたちの歴史は始まった、
銀色の衣をまとったものたち——
黒人を奴隷にして貨物船で持ち込み、
色の濃いものほど強く鞭打たれるシステムを
作ったものたちの到来とともに〉

そう語り始める彼女たちは、サンディエゴで、エル・パソで、「追われる〝べき〟もの」をいくら排斥しても「まだ足りない」(not enough!)ものたちが全てを手にしてゆく(getting everything!)場所となってしまったアメリカに、痛烈な礫のように言葉を重ねてゆく。永遠に果たされることのない「自由の国」という約束への、異議申し立てのように。そして、彼らが決して見ようとしない自分たち、その固有の人生が、確かに存在していることを主張するように。

〈A la Frontera, a la Pared.
Baseless crosses erased from its gleaming surface
replaced with hues of red, white, and blue.

境界よ、壁よ。
故のない十字架はその輝きを失い、
その色を赤、白、そして青へと変えた。

55 feet of cold concrete that runs from the Pacific to the Gulf,
and the cheer from north who used to grouse,
joyous, relieved grateful, and a silenced
cry from those who used to walk hoping their water and prayers will last.

太平洋から湾へと走る高さ55フィートの冷たいコンクリート、
そしてぶつくさ言っていた人々が北で挙げる歓声は、
楽しげで感謝に満ちて安息し、
水と祈りの末永いことを願って歩いた人々の泣き声をかき消した。

Tell us your dishonor names, and we will testify.
Aquí descansa.
Aquí descansa.
Aquí descansa.
Aquí descansa.

Oh yeah, Listen.

教えよ、その恥ずべき名を。私たちがその恥を告げるから。

ここにいろ。
ここにいろ。
ここにいろ。
ここにいろ。

さあ、聞け。〉
〈聞き取り・対訳=筆者〉

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 あらゆる現世の悲嘆や絶望、そして分断をも飲み込むような静寂が世界を包む西部の夜を、いくつもの魂の証を乗せた貨物列車が走る。それがいつかたどり着く遠い街のどこかで、ボーダー・タウンの路地裏で、または広大無辺の砂漠でひとり、今日も誰かが自らの魂を語り始める。

「ここにいる」私が、「ここにいる」あなたに。

 語られなかったものごとの、忘れ去られていった固有の人生のぶんまで。

 それはすなわち、安易に他者を記号化し、あたかも同じ地平にいないものであるかのようにその固有の生を消費してしまいがちな我々全てへの問いでもあるのではないか。

 さあ、聞け。

(今年はこれが最後の更新です。よいお年を。)

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〈著者プロフィール〉
安東嵩史(あんどうたかふみ)
1981年大分県生まれ。
編集者。移民・移動と表現や表象、メディアの関係を研究することを中心領域とする。

2005年以降、書籍や雑誌からVRまでの発行・執筆・展示・企画などを多数手がける。
2017年にTISSUE Inc. / 出版レーベルTISSUE PAPERSを設立。
ウェブサイトはそろそろ。
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