国境線上の蟹 7


彼らと自分を分けたものとは

 ピカピカに整備されたチャンギ国際空港の到着ロビーでiPhoneのSIMカードを買って入れ替え、100GBのデータ容量でたったの30シンガポール・ドル(約2500円=以下、ドル表記はすべてシンガポール・ドル)という値段であることにまず驚いた。アメリカでよく使うSIMが確か10GBで65USドル(約7000円)だったことを考えると、破格の安さだ。

 マレー半島の先端に位置する都市国家・シンガポール。14世紀末に「獅子の街」を意味するシンガプーラという名で呼ばれるようになるまではジョホール海峡の寂れた漁村だった、赤道直下の島にやってきた。

 シンガポールは、もともとは1957年、マラヤ連邦(マレーシア)の一部としてイギリスから独立した。しかし、マレー系の住民と中国系の住民(華人)の扱いを巡って、マレー優遇措置を取るマレーシア政府と対立。1965年、マレーシアから追放される形で分離独立する。すなわち、建国からまだ50年と少ししか経っていない、若い国なのだ。

 現在は国際物流や金融資本の一大拠点として超高層ビルが立ち並び富裕層が闊歩するイメージが一般的なこの国ではあるが、タクシーに乗って15分ほどで宿をとったゲイラン Geylang という地域の外れに着くと、そんなイメージからは一切無縁の光景が迎えてくれる。

 この地域は1990年代以降の再開発とはほとんど無縁のまま時間が経過しているため、「Pop Yeh-Yeh」といういなたいサイケデリックロックが流行っていた60―70年代の古い建物がほぼそのまま残っていることが多い。そこに安い大衆食堂やスーパー、ドリアンをやたらと売っている果物屋、そして時折クラブや公認の売春宿なども並ぶ、下町風情のある場所だ。着いたときは朝だったのでナイトスポットの雰囲気は微塵もなく、ただとりどりのペールトーンに塗り分けられた家並みが、ぬるい風に吹かれていた。

 この国は「ガムの持ち込みは1万ドルの罰金」「タバコやゴミのポイ捨ては初犯1000ドル、2回目からは2000ドル以内の罰金+清掃」など厳しい罰則があることでも有名で、何から何までピカピカの息苦しい警察国家かと思っている人も多い(自分もその口だった)が、ゲイランではそんな罰則の存在をいっさい感じないほどタバコの吸殻やゴミが落ちていて、妙にホッとする。

 しかし、この街で何よりホッとするのが、人々の多様性だ。華人とマレー系を始め、同じイギリス連邦の中で渡ってきた南インド系、アラブ系の人々が行き交い、それぞれに顔つきも違えば、服装も(ムスリム女性はヒジャブを身につけているため、一目でそれとわかる)違う。

 そして何より、言葉が違う。市場のフードコートで4ドル(約320円)のチキンライスを頬張っている間にも北京語と福建語、そしてマレー語、ヒンディー語にアラビア語。それらローカル言語の間をゆるく橋渡しし、多言語・多民族のこの国を繋ぎとめている英語——発音、語彙ともにあまりに独自の進化を遂げた〝シングリッシュ〟と呼ばれるピジン言語——がめいめいの彩りをもって空間に放たれ、ふくよかに響きあう。そうした言葉がハーモニーのように重なって一つの和声をなすというよりは、あちこちから違ったふうに響くさまがそのまま美しい、多響(オムニフォン)の街。

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 いわゆる〝欧米〟にシンパシーを抱くある友人は、この国のことが嫌いなのだという。理由を聞いてみると、「あれはフェイク、作り物の国だ」なのだそうだ。

 確かに、この国にはあらゆる点で作り物めいた側面がある。先に挙げた冗談のような罰則もそうだし、それがほぼ有名無実化した下町——こうした地域に住み、シングリッシュを話す人々を「ハートランダー」と呼ぶ——を離れて、急に白人人口の増えるマリーナ地区に向かえばあまりに非現実的な摩天楼やポストモダン建築の数々が立ち並んでいる(そのあたりでは街区も確かに綺麗である)。都心のあちこちで熱帯性の植物がわさわさと繁茂する緑豊かな様は「ガーデン・シティ」と呼ばれるが、これらの植生はほとんどが独立後に人工整備されたものであり、原生林は郊外の自然保護区などに行かなければ存在しない。

 この箱庭のような国を独立に導き、そして今や名目GDPで世界9位の富裕国家(2017年度IMF調べ=ちなみに日本は25位だ)に成長させたのは初代首相リー・クアンユー(李光耀=Lee Kuan Yew)だ。クアンユーは1990年に自ら首相を辞したが、それ以降も、この国では一貫して彼が率いるPAP(人民行動党)の一党独裁が続いている。現在、第3代目の首相を務めるのはクアンユーの息子リー・シェンロンである。 

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 成立時点から人口の大半を占める中華系とマレー系の対立含みであったこの国をまとめ上げるため、政府は街の景観以外にも様々なところに目を光らせている。例えば、映画においては検閲と「G(誰もが鑑賞可能)」「PG(保護者の助言や指導が適当)」から13、16、18、21歳それぞれ未満の鑑賞禁止、そして「NAR(上映禁止)」に至るまで7段階ものレイティングが存在する。

 英語、中国語、タミル語など9言語のチャンネルを持つ地上波テレビ局はすべて国営ファンド傘下のメディアコープという企業が運営、もしくは番組供給先。5つある新聞は、最も権威ある「The Straits Times」からスポーツ紙的な「The New Paper」、中国語新聞の「聯合早報」まで4紙が国営企業シンガポール・プレスの発行で、1紙「TODAY」のみがメディアコープの発行。つまり、すべて元を辿れば国営である。ケーブルテレビになるとスターハブという民間企業がようやく登場するが、当然、これらの番組や報道内容にも厳しい検閲が入る。

 検閲で問題にされるのは、政権への批判的な内容だけではない。まず、人種・宗教間の融和を阻害するような内容が一番に問題視される。多民族・多宗教を包摂するこの国だが、独立の経緯から華人とマレー系住民の間には感情的なしこりも大きく、1964年・69年には二者間で多数の死者を出す暴動が起こっている。ユーゴスラヴィアの例を挙げるまでもなく、歴史の浅い多民族国家における人種間対立は即「崩壊」に結びつきかねないだけに、政府はそうした対立を煽りかねない言説がメディアに流れることを極端に警戒するのだ。ヘイトはもちろん、自身のアイデンティティをことさら際立たせるようなものも検閲の対象となる。

 宗教も同様だ。この国には道教、仏教、イスラム教にヒンドゥー教、そしてキリスト教の寺院がいたるところに存在し、信者も多く存在しているが、政府はそれらの宗教が映画や出版物、テレビなどで物語の主題になることはおろかネタとして扱われることも含め、規制する。他の宗教と摩擦が生じる可能性を排除しようというわけである。
 
 これらはなかなか絶妙な話だ。多民族・多宗教の融和を掲げるこの国において、融和とはいわば「相互不可侵」を意味する。生活レベルではどのような民族・宗教的アイデンティティの存在も許されるが、お互いの間にある境界を越えて他者に働きかける行為は規制される。多様でありながら混ざり合いはせず、例えば南北アメリカ大陸で見られるような人種間の混交やクレオール的な文化の発生という状況は起こりづらい。あくまで「制限された自由」の中で、この国の多様性は存在している。

 その上で、政府は高等教育における「Speak Good Englishキャンペーン」を行い、シングリッシュではなく「よい英語」を日常語とする優秀な学生を育てようと躍起になっている。経済発展のために国民をどんどん「コスモポリタン化」させてローカル文化から脱却させ、人種や民族間の差異を表向きにはゼロにしてしまいたいのだ。松任谷由実、宮沢和史らとの共作もあるシンガポールを代表するシンガー、ディック・リーはこれを批判し「シングリッシュは独自の文化である」と曲に多用するため、本国では作品を放送できなくなっている。多様性を謳いながらもなかなか矛盾した話ではあるが、こうした内外に対するダブルスタンダードもこの国の特徴である。

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 このなかなか複雑な管理社会において、近年、ところどころでカルト的な淀みが露わになる瞬間がある。

 2009年、16歳のクー・ウィタヤを中心とする少年たちがマンションの屋上から飛び降りを図る集団自殺事件が起こった。ウィタヤは自ら道士を自称し、普段から「神と会話できる」と吹聴していたが、ある日「迫り来る第三次世界大戦のために、一度死んで悪魔を殺す〝スレイヤー〟に転生する」と友人たちを説き伏せ、全員で飛び降り自殺を計画。実際に飛び降りて死んだのはウィタヤともう一人で、他はその様子を見て躊躇し、助かった。

 攻撃的なキリスト教系のカルトも、存在感を増している。「ニュークリエイション教会」「ライトハウス・エヴァンジェリズム」といった、いわゆる「メガチャーチ」系——立派な大聖堂でロック・コンサートさながらの礼拝を行う、アメリカ南部でよくみられるキリスト教右派がカリスマ的な指導者のもとで急速に勢力を伸ばしているのだ。特に、ニュークリエイション教会は、1990年に150名だった信者が現在は3万人を突破。指導者層は、この国の最大勢力である中華系の人々だ。彼らはムスリムなど他宗教に対してヘイト的な発言を繰り返し、当局から厳しくマークされている。他にも、いわゆる統一教会など「隔離的カルト」——信者を家族や共同体から切り離して全財産を寄付させるタイプのキリスト教系カルトの横行も問題化している。

 物心ついた頃から熾烈な受験戦争の中に投げ出され、試験の成績順に強制的に学校を決められ、学費がなかったり成績でこぼれたものは容赦なく職業訓練校などに放り込まれて〝敗者復活はなし〟という厳しい学歴社会であり、その結果としてますます格差が固定化しつつあるシンガポール。成立から50年が過ぎて上流層は文化的アイデンティティから切り離され、中流以下の層は富から切り離されるという状況がさらに進む中で、己の存在が希薄化する不安や鬱積した個の怨念を絡めとり、意に染まぬ他者や社会の仕組みを「フェイクである」と断じ、あらぬ方向に回収する異形の存在が現れる可能性は、これから大いにあるだろう。戦後50年の日本を個人の怨念からくる〝ハルマゲドン〟で揺るがした、あの教団のように。

 そうした社会の矛盾が噴出したとき、この国がどのような道を辿るかはわからない。だが、「回収」の力学に抗する答えも、それを考えることの中に用意されているような気がする。カルトに限らず、個人が大きな物語やあまりに逸脱した価値観に回収される/されないを分けるものは、どこにあるのだろうか。同じ条件の中にいたはずの彼らと我々を分けたものとは、いったい何なのだろうか。

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 かつてゲイバーやナイトクラブで賑わった中心街のブギス駅近辺は、現在は再開発(と、男性の同性愛を規制する法の発布)に伴いギャラリーや美術大学、ショッピングセンターなどが立ち並ぶ綺麗な商業地になっているが、一本入った通りを歩くと孔子廟の2軒隣にヒンドゥー寺院があり、少し離れてカトリック教会もあり、そしてまた孫悟空廟があるといった風に、宗教施設の密集地でもある。夕刻には関帝廟の前で手を合わせる人がおり、ヒンドゥー寺院の門前には礼拝に入る際に脱がれた多数の靴が散らばり、ムスリム書店のレジでは「店員はただいま礼拝中なので少々お待ちください」という張り紙を目にするなど、現在のところ、ほとんどの宗教はまだ生活とともにある。

 夜も更けてゲイラン地区に戻ると、路肩にガチャガチャと椅子を並べたそこかしこの店で人々が食卓を囲んでいる。様々な言葉を操る様々な人が「22時半まで」と決められたルールを公然と無視して、ビールを飲む。

 この日はちょうど、サッカーワールドカップの日本VSベルギー戦だった。日本人は自分一人だけ。華人やマレー系のハートランダーたちに囲まれながら見始める。ほぼ同じアジアというだけの理由で「ジャッペン! ジャッペン!」というシングリッシュ混じりの声援が響く中、柴崎岳の華麗なスルーパスを起点に日本が先制点を決めると、隣のマレーおやじが僕を日本人だと知って「ナカムラ! ナカムラ、グッド!」としきりに声をかけてきた。俊輔のことだろうか。

 希望的にすぎるかもしれないが、この国にいると、政治も宗教も、こうした生活者たちの素朴な実感が届く——シングリッシュが聞こえる範囲に収まっているうちは、大きくバランスを崩さないような気がしてくる。幸いなことに誰もが「多響」の中で生きているため、モノカルチャーの論理や倫理で他者を測ったり排斥するという思考がほとんどないということも、この国の絶妙なバランスを支えている。

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 この世には「フェイクの人生」などありはしない。一つひとつのアクチュアルな生がどう動き、何を作っていくかという選択の過程にも、その結果として現出した現象にもフェイクなど一つもない。そして、その正誤は短期的に測れるものばかりではない。半年後、5年後、50年後——そうしたスパンで測られるものもあることを、人は体験的に知り、語ることができる。それだけの時間を生活者として世間で過ごしたフィジカルな実感があるからこそ、人は国家や歴史、宗教といった漠としたものや、あるいは短期的な社会の風潮に相対しながら、己を保っていられるのだ。

 毛沢東やポル・ポトら多くのアジアの独裁的指導者と違って生涯自らの神格化をせず、あらゆる汚職を憎む〝清廉な専制者〟であったリー・クアンユーは2015年、建国50周年の年に没した。1週間続いた国葬には447,000人の一般市民が参列。写真家Kevin WY Leeのシリーズ『Suddenly The Grass Became Gardener』には、クアンユーが一生をかけて種をまいた「ガーデン・シティ」の緑の中でその葬列に並ぶ人々が延々と写されており、民衆の〝庭師〟への敬意を物語る。歴史の存在しないこの国で、彼は初めての「神話」となるのかもしれない。
 
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〈著者プロフィール〉
安東嵩史(あんどうたかふみ)
1981年大分県生まれ。
編集者。移民・移動と表現や表象、メディアの関係を研究することを中心領域とする。

2005年以降、書籍や雑誌からVRまでの発行・執筆・展示・企画などを多数手がける。
2017年にTISSUE Inc. / 出版レーベルTISSUE PAPERSを設立。
ウェブサイトはそろそろ。
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