東雅夫さん特別インタビュー

『平太郎に怖いものはない』完結記念企画
東雅夫さん特別インタビュー

江戸時代中期、備後三次(現在の広島県三次市)に実在した藩士・稲生平太郎が、実際に体験した出来事を記したとされる『三次実録物語』。この物語を基に描かれた『平太郎に怖いものはない』の完結を記念して、本作の参考文献となった『稲生モノノケ大全』を編まれた、アンソロジスト・文芸評論家の東雅夫さんに稲生平太郎伝説にまつわるお話を伺いました。


──トーチの読者に向けて、怪談そのものについて少し伺えればと思います。日本の怪談は夏に集中していますが、それはどのような理由なのでしょう。

東雅夫(以下東) もちろん、幽霊は季節を問わず出ます。実際、西洋ではお化けのシーズンは冬場、ハロウィンからクリスマスの時季とされていて、日本では逆に夏場、お盆の時季。これはなぜかというと、どちらもその時期に、死者が地上に戻ってくると考えられてきたからです。怪談というものは、幽霊や妖怪、つまり異界の存在と、我々生きている人間が遭遇する物語ですからね。日本では夏場、西洋は冬場──一年の中で重要な節目の時期に、現世と異界の境目があいまいになって、異界のモノと出会う確率も高くなるわけです。
 それから日本の幽霊話で言えば、江戸時代なら四谷怪談、現代ならホラー映画の『リング』が典型ですが、非業の死を遂げたお岩さまや貞子といった女性たちが背負っている受難の物語を、我々が追体験して、それこそ震えあがる(=身につまされる)ほど、死者たちの思いを共有することで、仏教的にいえば廻向や供養となるという側面もありますね。四谷怪談や皿屋敷、累の怪談といった定番の物語が、夏が来るたびに延々と繰り返されてきた背景には、そういう鎮魂儀式的な意味合いもあると思います。

──稲生平太郎伝説は、妖怪譚としてはどのような存在なのでしょうか。

東 妖怪譚にもいろいろありますが、ここまで規模が大きく独創的なアイデアが詰まった物語は他にありません。しかも、それが稲生平太郎(成人後は武太夫と名乗る)という江戸中期に実在した人物の体験談として伝わり、本人が書いたとされる手記(三次実録物語)まで残されているというのがまた、稀有なことですね。古くから何度となく絵巻物や画本に仕立てられたり、講談などの形で流布されたのも、そうした内容の特異さとリアルさが、表現者の創作欲を刺激したのではないかと。近代以降も、たとえば文豪・泉鏡花の小説『草迷宮』から、水木しげるの漫画『木槌の誘い』、さらには2005年の映画『妖怪大戦争』にいたるまで、稲生物怪録の怪異をモチーフとする作品が、いつの時代にも絶えることなく生み出されてきたのも、そういう特異な魅力ゆえかと思われます。

──出てくる怪異の種類が実に豊富で特異なのも、この物語の特徴です。

東 日本の怪談には中国由来のものが多いんです。「牡丹灯籠」などもそうですが、中国のお話を日本的なものに翻案して、それが根付いているケースがたくさんあります。稲生の物語でも、たとえば人体の一部分──手足や首などが分離独立して出現する怪異などは、中国のお化けの出現パターンと共通するものが認められます。

──平太郎が語り継いだとされるこの物語に、中国由来の伝承があるということは、真の書き手は別の人物かもしれない、ということでしょうか。

東 さすがにそれは飛躍しすぎかと(笑)。ただし、どういう成立過程を経て、この物語が誕生したのかは、実際に謎も多くて、これからの研究が期待されるところだと思います。特に、平太郎から話を聞いて『稲生物怪録』という写本にまとめたとされる柏正甫という同僚の武士が、かなり怪しい(笑)。国学の大家として知られた平田篤胤も、同書で稲生の妖怪事件を知って、門人を三次に派遣して調査させたりしていますからね。大いに探究意欲をそそられたのでしょう。
 最近、私が気になっているのは、この妖怪事件が起きたとされる時期に、三次藩は跡継ぎが早世したため取り潰しになり、本家の広島藩に吸収合併されていることなんです。とはいえ急に広島藩に移籍しても、広島には住む家も職務もすぐにはないので、藩士たちは地元の三次に待機を命じられます。先行きの見えない不安や、今まであった目標を失ったことから、職務怠慢に陥ったり風紀が乱れたりといったこともあったでしょう。そういう中途半端な混乱期に、まさにこの事件が起きているわけです。
 主人公の平太郎は、武士としての豪胆さをそなえ、お化けに対しても恐れることなく一歩も退かない人物として語られています。武士の鑑ですね。一方で、興味本位で稲生屋敷を訪れて、お化けに脅され追い出される情けない武士たちも、たくさん登場します。これは当時の三次の状況を反映しているような気がするんですよ。どうしてこんなにも頻繁に、友人知人の武士たちが、平太郎の家にやってきて、毎晩のように長話に興じるのか。おまえたちはヒマなのか? まあ、実際にヒマだったわけですが(笑)。そういう社会的背景も、この物語の成立の謎と、どこかでリンクしているのかもしれません。

──今年(2019年)の春には「三次もののけミュージアム」が開館、「怪と幽 vol.1」(KADOKAWA)は売行き好調で増刷となり、この『平太郎に怖いものはない』が描かれました。怪談ブームが到来している実感はありますか。

東 まあ、ブームというなら、2004年に怪談専門誌の「幽」が創刊されてから、この出版不況のさなか十五年間も好評を博してきたこと自体が、ブームの証明だとも言えるわけで(笑)。ちなみに「幽」創刊からちょうど百年前の1904年には、小泉八雲の名著『怪談』が刊行され、1910年には柳田國男の『遠野物語』が発表され、柳田や泉鏡花をはじめとする文豪たちが怪談会を頻繁に開催しています。さらに百年遡ると、鶴屋南北の『東海道四谷怪談』や上田秋成の『春雨物語』など、江戸の怪談ブームの真っ盛りでした。
 つまり近世このかた、怪談や妖怪のブームは、おおよそ百年周期で到来しているのではないかと、私は考えております(電子書籍の拙著『なぜ怪談は百年ごとに流行るのか』参照)。そこまで大きい波でなくとも、振り子のように盛り上がったり静まったりという繰り返しもあります。怪談は経済不況や社会不安のようなものの陰で成長するところもあります。良かった時代が暗転していく、没落の予感や危機感を覚える時代に、あちら側とこちら側の世界の間にある領域のものへの関心が高まるのかもしれません。

──これから、新しい時代の怪談が生まれていくのでしょうか。

東 平成で言えば『リング』が有名ですが、あの白い服を着て髪の毛を垂らしている貞子のスタイルは、鈴木光司の原作には描かれていません。映画を作るときに、演出としてあの造形が考えられたんです。面白いのは、貞子の風貌が、お岩さまやお菊さんといった江戸の幽霊そのままで、白装束で井戸から出てくるという点。江戸的な幽霊が平成になって復活して、現代にも通用するというか、むしろ「愛されキャラ」として定着したわけです。そのように、時代ごとの事象と結びつくことで、お化けはたくましく生きながらえていく。スケラッコさんが『三好実録物語』の舞台を現代に置き換えて、武士道の代わりにお好み焼きを導入するという(笑)絶妙の書き換えによって、稲生妖怪譚の見事な現代版を生み出したのも、そういうことかもしれませんね。

この夏、角川ソフィア文庫より『稲生物怪録』(訳:京極夏彦・編:東雅夫)が刊行されました。史上最大・最高とも言われる妖怪譚が、親しみやすい現代語訳で収録されています。原典の多様で独創的な怪異の数々を、ぜひご覧になってください。稲生伝説の入門書としても最適な一冊です。

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東雅夫(ひがし・まさお)
アンソロジスト、文芸評論家。著書に『遠野物語と怪談の時代』『クトゥルー神話大事典』ほか、編纂書に『おばけずき』『文豪妖怪名作選』ほか、監修書に『怪談えほん』ほか。
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お知らせ

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    不思議、楽しい、少し切ない。妖怪たちと過ごしたひと夏の物語。完結!
    平太郎は16歳。早くに亡くなった両親が遺したお好み焼き店を営んでいる。
    夏のある日から、平太郎の身の周りで様々な怪異が起こりはじめた。
    毎日やってくる妖怪たち、少しづつ変わり始める周囲の人の様子。
    感情を表に出さない平太郎が、ようやく気づいた大切なこととは…。