ホームフル・ドリフティング 12

#12 マーチエキュート神田万世橋の駐輪場
 東京二三区で暮らしている人であれば、一度くらいは赤い電動自転車が大量に止められた駐輪スペースを見かけたことがあるはずだ。あの自転車はシェアサイクルで、決められたスペースのなかであればどこで借りてどこで返してもいい。豊洲で借りて渋谷で返してもいいし、新宿で借りて秋葉原で返してもいい。
 あの自転車に、ほぼ毎日乗っている。特に深夜。終電もなくなり、人通りもクルマ通りも少なくなった午前二時。事務所から秋葉原の方に歩き、万世橋近くの駐輪スペースで自転車を借りて自宅へ向かう。あるいはもうひとつの事務所へ向かうこともある。静かな街をすいすい走る。ホームフル・ドリフティングなどといって街の中を漂っていられるのは、こうしたサービスのおかげだといってもいい。
 ぼくだけではなく多くの人がこのサービスを利用していて、まるで魚の群れが泳ぎ回るようにして無数の自転車は東京の中を循環している。東京駅の周りにはいくつもの駐輪スペースが設けられているけれど、夜になるとほぼすべての自転車が姿を消す。代わりに住宅地の駐輪スペースは自転車で溢れかえり、朝になるとまた自転車は都心へ戻っていく。
 自転車によって人々の動きが可視化されている。なんていうのは間違っていないけれど、正しくもない。東京中を流れる自転車の群れはそれぞれが生きていながらも全体としてひとつの生き物のようでもあって、ときには自然現象のようでさえある。かつて伊集院光がとあるコラムで「血管を巡る血液のように移動する自転車の様子は、きっと東京という生き物の生命の営みのようだろう」と描写していたことを思い出す。
「東京という生き物」のあちこちには無数の人々の家がある。人々は自転車に乗って家を離れ、自転車に乗ってまた家に戻ってくる。彼ら彼女らは血液のように流れてはいるけれどもっと有機的で、だから東京という生き物は人々の動きに合わせて少しずつ姿を変えていく。
 生き物としての東京のなかには生き物としてのホームもあって、それは東京の中をうごめている。ホームはあちこちに散りばめられ、広がっていきながら東京と重なってゆく。あちこちに居場所をつくって転々と暮らすのは、自分がウイルスか何かになったような気分だ。東京という生き物のさまざまな部位に転移し、そこらじゅうを侵蝕する。ホームフルとは、都市がホームという名の病にかかることだ。なんていったら少しはかっこいいだろうか。

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《著者プロフィール》
もてスリム
1989年、東京生まれ。おとめ座。編集者/ライター。
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