ホームフル・ドリフティング 13

#13 白馬鑓温泉

 山に登り、温泉に入った。長野県は白馬鑓ヶ岳中腹に位置する白馬鑓温泉。標高は二,一〇〇メートル。登山口から温泉まで山道を登ること四時間半。

 どうにか山を乗り越えて温泉の近くまでたどり着くと、硫黄の匂いが鼻をつく。ぽつぽつとテントが張られているのが見える。雑然とつくられた露天風呂の脇には簡素な山小屋が建っていて、聞くところによれば、毎年七月〜九月しかこの温泉は営業していないのだという。営業期間が過ぎると山小屋さえも解体され、次の夏が来る前に新たな山小屋が組み立てられる。

 山小屋に入り、部屋に荷物を置いて一息つく。山小屋の中は二段づくりになっていて、部屋というよりは大きなカプセルホテルか押入れが並んでいるようでもある。質素な布団の上で横になりながら、なんだか家が蠢いているような気分に襲われた。

 ここはトイレも食堂も温泉も水道も山小屋の外にあって、テントで宿泊している人々もこれらの設備を利用している。山小屋の中の部屋は、純粋に寝たり荷物を置いたりするだけのスペースだ。だからなのか、妙に家が安定していないというか、流動的な気がしたのだ。

 自分が横になっている部屋に泊まっている気もしたし、山小屋全体に泊まっている気もした。さらには、テントが張られているスペースも含めたこの温泉地全体に泊まっている感覚もあった。言うなれば、家が入れ子状になっているのだ。テント、部屋、山小屋、温泉地。この家の部分は全体でもあり、全体は部分でもあった。空間の形は全然違うけれども、どれも家という点からすれば相似形に見えた。家のフラクタル構造。

 おまけに、どの家も常に変化し続ける。朝が来るとテントの数は減り、登山客が去ってゆく。昼を過ぎればまた新たな登山客が来て、そこに新たなテントを建てる。大きな家の中で、小さな家の新陳代謝が起きているような感覚。おまけに、大きな家であるところの山小屋さえも夏が終われば姿を消してしまう。ひとつの山の中で、大きさの異なる家が現れては消え、移動を繰り返す。つくづく、家とは生き物のようだと思う。

 ふと、温泉まで向かう途中で横切った小さな川の陰で、誰かが隠していったであろう発泡酒を見つけたことを思い出す。湧き水のおかげで発泡酒はキンキンに冷えていて、アルミ缶はキラキラと輝いていた。彼/彼女にとって、あの川は冷蔵庫のようなものだったのかもしれない。ならば、この山全体を家と考えて登ってみることもできるのだろうか。ぼくの想像力が足りないのか歩き疲れていたのか、全然そんな気持ちにはなれなかったのだけれど。

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《著者プロフィール》
もてスリム
1989年、東京生まれ。おとめ座。編集者/ライター。
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