ホームフル・ドリフティング 17

#17  駐車場の隅っこ

 夜。ひとりで缶チューハイを飲みながら歩いている人を見かけることがままある。別にビールでもハイボールでもいいのだけれど、ぼくはそれを見かけると嬉しくなる。IngressやPokemonGoはちょっとしかプレイしたことないが、これは街なかで同じゲームのプレイヤーを見かけたときの気持ちに近いかもしれない。少しの気まずさと、気恥ずかしさと、嬉しさと。

 一時期はぼくもよく缶チューハイを飲みながら真夜中によく歩いていて、オフィスから駅までそうすることもあったし、少し離れた駅から自宅までそうしながら歩くこともあった。お酒を飲みながら歩くのは、あまり褒められた振る舞いではないのかもしれないが、行儀の悪いだらしなさみたいなものが心地よかった。だらしなさは、色々な境界線をだらしなくさせる。屋外でお酒を飲んでいるとき、路上は家や居酒屋が同時にうっすらと重なり合う複層的な空間になる。だから外で飲んでいるという感覚は思いの外なくて、どちらかというと移動する家の中で飲んでいるような気分だった。

 ただし、そんな複層的空間が許されるのはたいてい夜だけだった。朝になるとすべては元通りになる。路上は路上でしかない。街のところどころには空き缶やタバコの吸い殻が残っているだけで、かろうじてそこがかつて路上からだらしなく逸脱していたことを教えてくれるのみ。それは極めてミニマムな遺跡や貝塚みたいなもので、人々の営みの痕跡がわずかに残されている。もちろん、どれもこれもポイ捨てみたいなものなので決して褒められたものではないのだが。

 いざ街に出てあたりを見回してみると、こうした貝塚が意外といたるところにあることに気付かされる。なぜか缶チューハイの空き缶がたまりがちな場所や、本来は喫煙所でもないだろうにやけにタバコの吸い殻が溜まってしまう場所。定期的に片付けられてはいても、習慣によってこれらの場所は新たな機能を帯びていく。路上の一角が酒場になり、駐車場の端は喫煙所になっていく。

 なんだかホーム(家)とは関係のない話を書いているように思われるかもしれないが、意外とそういうわけでもない。こうした遺跡や貝塚もまた、極めて一時的なホームのようなものなのだから。定住社会を生き同じ家で寝泊まりするわたしたちはしかし、さまざまな機能を街の中に分散させ、あちこちを転々としながら過ごしている。やる気の出ない昼休み、いつもタバコを吸う駐車場の物陰。それだってホームの立派な一部なのである。

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《著者プロフィール》
もてスリム
1989年、東京生まれ。おとめ座。編集者/ライター。
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