ホームフル・ドリフティング 29

♯29 正月の風邪とホーム
 
 
 年末に風邪を引いて体調を崩し、数日で治るだろうと思っていたら結局二〇一九年最初の一週間ずっと寝込むはめになった。

 ひとり暮らしの風邪はつらいとよく言うとおり、ひとりで寝込んでいるのはつらい。看病する方もされる方も病人の自分なのだから当たり前なのだけれど、ひとり暮らしの風邪は家から「余白」をなくしてしまうからつらい。

 風邪を引いてひとりで寝込んでいると、家の中が風邪で満たされてしまう。寝室はもちろん、キッチンや洗面所、トイレ、リビングとどこに行っても風邪がつきまとってきて、家そのものが感染しているような感覚に襲われる。風邪のウイルスは隅々まで行き渡って、余白がすっかりなくなってしまっている。

 家族や友人など、複数人で暮らしているとこんなことは起きない。大抵の場合は自分の部屋にこもって寝込むから風邪を引いているのは自分の部屋だけで、ほかの人が行き来する空間が風邪を引いてしまうことはないだろう。自分の部屋から出てキッチンやリビングに足を踏み入れていたとしても、だ。キッチンやリビングに自分以外の人間がいることで、風邪の空気はうやむやにされる(もちろん、それによってほかの住人に風邪がうつることはあるけれど)。

 そういうふうに、いろいろな人がいることで健康も病気もないまぜになってしまう空間が「ホーム」には必要なのだろうと思う。その方が健康に過ごせるから、ではない。そういったかたちで外部と接続されうること、外部に開かれていることこそがホームの条件だからだ。この連載でも度々言及しているとおり、家族やコミュニティの外側の人が入ってこられる場所、家の境界が曖昧になる場所があるからこそホームはホームなのだ。

 だから、ホームが分散しひとり暮らしの家が単なる「寝室」や「書斎」の機能しかもたなくなっているのであれば、それ以外のどこかに風邪を引いたままでもいられる場所がなくてはならない。なくてはならない、というか、そういった場所がなければわたしたちはただ孤独になっていくだけだろう。

 ところが、いまのところ街の中にそんな場所は見当たらない。ファミレス、カフェ、本屋、駅。どこに行っても病人は疎まれてしまう(当たり前のことを言っているようにしか聞こえないけれど……)。そのことに改めて気付かされたぼくは、結局一度実家に帰って過ごしたのだった。

 ホームフルにとって、いや、現代の「ホーム」にとって、「家族」は乗り越えなければいけない大きな壁のひとつなのだ。それほどまでにわたしたちの「ホーム」は「家族」を前提としていて、両者は強く結びついている。オルタナティブなホームのあり方を考えることは、オルタナティブな家族のあり方を考えることでもあるのかもしれない。

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《著者プロフィール》
もてスリム
1989年、東京生まれ。おとめ座。編集者/ライター。
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