ホームフル・ドリフティング 32

♯32
コインランドリーと「洗濯」は置換可能か
 
 
 こだわりはまったくないが、好きな家事がなにかと問われたらまず洗濯を挙げたい。洋服を綺麗にするのが好きなわけではないし、そもそも綺麗好きなわけでもない。ただ、洗濯機がゴトゴト音を立てながら洋服を洗っているのを待つのが好きなのだ。待っている間に洗濯していたことを忘れることもままあるが、それもまたいい。

 だからなのか、コインランドリーを見かけると少しワクワクしてしまう。いまや「映える」空間として若者に愛されているようにも思えるコインランドリーはどんどん多様化しているのだという。Wi-Fiや電源を提供をするところもあれば、カフェが併設されているところもある。そういえば韓国・ソウルでもランドリーと一体化したカフェを見かけた。

 洗濯している間の待ち時間は有効活用(ビジネスチャンスに)できるというだけの話なのだが、それは洗濯の面白さを浮き彫りにしてもいる。あの「空白」としか呼べない待ち時間にこそ、洗濯の魅力があるからだ。

 ホームフル的にいえば(いや、いわなくても)、コインランドリーは「洗濯」を家から切り離す場所だ。それは単に洗濯機が外部化されているだけでなく、洗濯なる行為ごと外部化されている。だからあのダラっとした甘美な時間も外部化されていることに注意せねばならない。むしろあの時間ごと外部化されていなければ、洗濯が洗濯でなくなってしまうだろう。それはクリーニングと洗濯の違いを考えるとわかりやすいかもしれない。

 この連載において、ホームのもつ「機能」が街なかに分散し、ホームが遍在し拡張される状態が「ホームフル」なのだと述べてきた。しかし、機能だけが分散しても「ホーム」が拡張したとはいえないのかもしれない。必ずしもホームは機能に分解できるわけではないのだから。

 それは「コンビニやスーパーをある種の冷蔵庫として捉える」といった類の話に漂う妙な胡散臭さとも通じているだろう。家には冷蔵庫を置かず、冷たいものが必要なときだけコンビニやスーパーを使う人がいることはたしかだ。しかし、だからといって洗濯することがクリーニングと置換されるわけではないように、冷蔵庫を使うことがコンビニを使うことと置換されるわけではない(コンビニをサブスク的な冷蔵庫とスライドさせることにも注意せねばならない)。もっとも、これは当たり前の事実を再確認しているだけなのだが……。

 いま、さまざまな領域で世界は「分散化」しているといわれており、ホームフルはそんな分散化と歩みをともにしている。しかし、そこで何が分散化されているのか注視せねばならない。ただ機能が分散するだけならホームは引き裂かれ、ホームフルどころか、わたしたちはホームレスになってしまうのだから。

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《著者プロフィール》
もてスリム
1989年、東京生まれ。おとめ座。編集者/ライター。
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