ホームフル・ドリフティング 6

#6 荒川中洲南端
 終電もとうに過ぎた午前一時半。リュックサックに荷物を詰め込んで、家を出る。近所の駐輪場から自転車に乗って、荒川を目指す。
 東京都江東区と江戸川区の間を流れて東京湾へと注ぐ荒川はその最下流で中川と合流し、川幅約七〇〇メートルを誇る大きな川になる。その様子は(東京でずっと暮らしてきた自分からすれば)なかなかに雄大で、「川」というより「河」の字をあてたくなってしまうほどだ。
 その雄大な川の上を、首都高速中央環状線が走っている。荒川と中川の間を走る首都高速の下は中洲になっていて、そこにはほとんど何もない。公園がつくられるわけでもなく、サイクリングロードやジョギングコースが整備されるわけでもなく。川に挟まれ、ただ草むらと無機質なコンクリートの地面が広がっているその一帯は、誰のものでもない「中立地帯」のようにも感じられる。
 その中立地帯で一度夜を明かしてみたくなって、こうして自転車を走らせていたのだ。荒川と中川をまたぐようにして架けられた橋の真ん中からは、中洲に向かって道路が伸びている。中洲に上陸し、あたりを見回してみても誰もいない。川の向こうにはマンションの明かりが見える。すぐそばまで生活感が迫っているけれど、ここには何もない。
 東京の二十三区内でクルマももたずに暮らしていると、自分の生活の大部分が電車やバスのような公共交通機関のネットワークとタイムラインによって形づくられていることに気付かされる。朝起きて支度して家を出て、電車に乗り、オフィスへ向かう。終電に間に合うように仕事や飲み会を終え、電車に乗って帰ってくる。もちろんタクシーや自転車に乗ることだってまったく珍しくはないけれど、東京の端の方に住んでいる自分にとって、それはやはりイレギュラーな振る舞いだ。だから終電がなくなると夜が始まり、始発が動き始めると朝が来る。
 多くの人は、自分の住む家(部屋)を決めるとき、最寄り駅からの距離を判断材料のひとつとしている。駅から近いと便利だし、遠いと不便。遅くまで電車の動いている駅が近いとなおいい。そういうふうにして、わたしたちの家は公共交通機関のネットワークとタイムラインに絡めとられている。
 いまぼくの立っている中洲もこうしたネットワークのすぐそばにありながら(事実、中洲と交差するようにしていくつもの電車が走っている)、だけどそれとは少し隔絶されている。荒川の中洲で夜を明かすのが妙にワクワクするのは、単に冒険心が発動しているからではない。家と公共交通機関によってつくられた生活の網目からこぼれ落ち、少しだけ自由になった気がするからなのだ。そんな、ほんの少しの逸脱は家の輪郭を際立たせ、心なしか家の範囲を広げてくれるような気もする。
 真っ暗で流れもなく、コーヒーゼリーのようになった川を眺めていたら、遠くの方から近づいてくる自転車の光が目に入った。あの人もまた、家と生活のネットワークからこぼれ落ちたくて自転車を走らせているのかもしれない。

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《著者プロフィール》
もてスリム
1989年、東京生まれ。おとめ座。編集者/ライター。
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