ホームフル・ドリフティング 7

#7 ソウル市梨泰院のAirbnb

 六月の半ばごろ、韓国・ソウルを訪れた。ソウルのどこに何があるのかいまだによくわかっていないので、泊まる場所は毎回適当に決めている。今回はAirbnbを通じて梨泰院(イテウォン)というエリアの宿を押さえていた。

 仁川国際空港から電車を乗り継いで梨泰院駅に着いたのは二三時過ぎ。クラブの多いエリアでもある梨泰院は賑わいをみせていて、地元の人から外国人観光客まで多くの人々がメインストリートを行き交っている。今回予約していた部屋が入っている建物は、そのメインストリートから一本ずれた飲食店が立ち並ぶ通りに立っていた。
 階段で三階まで上がり、ホストから教えられた番号を電子キーに入力してドアを開ける。スニーカーを脱いでリビングに入ると、窓際にひとりの女性が立っているのが目に入った。この家には部屋がいくつかあって、どうやら彼女もここに泊まっているらしい。窓から下の通りを覗き込んでいる彼女はぼくがリビングに入ってきたことに気づいていないようで、いそいそとぼくは自分の部屋の中に入る。
 それから三〇分後。シャワーでも浴びようかと思って部屋を出ると、さっきの女性が隣の部屋の前に座ってスマートフォンをいじっている。ドアの音に気がついて顔を上げた彼女は、突然人が出てきたことに驚いているように見えた。彼女は少しだけ気まずそうに「Hello」と発し、おもむろに自分の部屋へと戻っていく。

 「あっ」と思った。あっ、この人の「ホーム」が急速に縮まって、ドアに閉ざされた隣の部屋の中だけになってしまった、と。ぼくが自分の部屋から出て彼女に気がつくその瞬間まで、このリビングは確かに彼女の「ホーム」だった。でも、いまは違う。このリビングは見知らぬ男性であるぼくと共有している、ただの生活空間でしかない。

 他人に近づかれると不快感を覚える空間は「パーソナルスペース」と呼ばれており、その広さは文化やシチュエーションによって変動する。きっと、「ホーム」にとっても同じような空間はある。ホームに満ちていて、落ち着く空間。ホームフルスペース。

 ホームフルスペースはかよわい。少しの足音や匂いでいっぺんに崩れてしまうことだってある。だからわたしたちは強くホームを感じられる何かを足がかりにしながら、そろそろと自分の周りにホームを立ち上げ、広げ、確かなものにしようとする。少しくらいの風では吹き飛ばされないように。彼女のホームの一部は、ぼくが部屋から出てきた衝撃で吹き飛んでしまったけれど。

 翌日、昼ごろに目が覚める。リビングに出ると隣の部屋のドアが開けっ放しになっていて、いつの間にかあの女性はチェックアウトしていたらしかった。最低限の家具だけ置かれた部屋はどこか虚しく、「ホーム」がすっぽりと抜け落ちてしまっているように見えた。

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《著者プロフィール》
もてスリム
1989年、東京生まれ。おとめ座。編集者/ライター。
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