国境線上の蟹 33

26 ドルとドラッグと想像力の境で
 
 
 橋を渡ると、「メキシコ」が始まる。
 テキサス州エル・パソ、ダウンタウンの端正な街区から長い坂を下るほどに色彩と、あとはカーステレオやスピーカーから流れるゴリゴリのヒップホップやマリアッチが音量を増してくる国境地帯バリオ・セグンド——アメリカを目指すメキシコ人たちにとっては〝starting point for thousands of families(何千もの家族の始まりの地)〟——の喧騒を抜ければ、そこには大きな橋が2本、そびえ立っている。
 この街を起点として、以東、それまでほとんど直線的に太平洋から延びてきた両国の国境線を、大河リオ・グランデがその流れとともに規定することになる。その川にかかる二本の橋——パソ・デ・ノルテ国際橋とレルド・スタントン国際橋、そして少し離れたところにあるアメリカス橋だけが、エル・パソの市街地からメキシコ、より正確にはメキシコ合衆国チワワ州のシウダ・フアレスへと国境を越えて渡る手段である。公式には。
 公式には、と書いたのは当然のことながら非公式な手段というのも存在するからで、本連載でたびたび紹介しているように、メキシコ及びさらにその向こうの「南」に位置する国々からの移民は、あらゆる手段で国境を越えてくる。アメリカ合衆国税関・国境警備局のレポートによると、アメリカにおける会計年度の始まりである2018年10月から2019年6月までの間に、エル・パソ大都市圏では117612もの家族単位(family unit)が不法入国のかどで逮捕されている(ここで用いられているfamily unitは家族のうちの誰かとともに逮捕された個人の件数を示すため、厳密な「家族の数」ではない)。ちなみに、この数字は前年同期比の1759%である。そして、メキシコからやってきたものも少なくはないが、圧倒的にホンジュラスやエル・サルヴァドル、グアテマラといった中米諸国からの移民のほうが多い。

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 そうした「南」からの移民たちをせき止めているのが、国境である。具体的には、護岸で左右の岸を固めたリオ・グランデと、そこを守護するアメリカの国境警備隊ということになる。メキシコ政府は「北」との国境に関しては軍や警察隊を申し訳程度に置くのみでほぼ何の力もなかったが、トランプ政権の「中南米からの移民たちをより厳しく取り締まらなければメキシコの産品に最大25%の関税をかける」という圧力に応じて、2019年6月以降、「北」には1万人を超える規模の警備隊を置いた。いっぽう、「南」——移民が多く流入してくるグアテマラとの国境においても、アメリカの求めに応じて6000人以上の警備隊を配備している。今年1月には実際に南からやってくる移民たちのキャラバンに投石や催涙ガスなどの危険な手段を用いて入国を阻止しようとしたり、国内でもトリ締まりを強化するなどしており、いずれも実質的には現在アメリカの大統領であるドナルド・トランプの方針に一も二もなく従い、アメリカの国境を守るために存在しているようなものだ。
 国境警備の目的は、もちろん違法な手段で入国する移民の流入を防ぐことだ。こちらで紹介したように「ア・ラ・ベスティア(野獣)」としか形容しようのない道中に散々危険な思いをしてたどり着いた国境の向こうには低賃金で時には危険でさえある労働、社会のインフラを支えながら不可視のもののように扱われる孤独、犯罪者予備軍のような偏見が待っているということをある程度覚悟してもなお、犯罪や貧困、腐敗がはびこる暮らしを抜け出し、新しい生活を手に入れるために荒野を、密林を、国境を越えてくる人々。
 この地がメキシコ領であった頃から居住しているチカーノたちが大半を占めるこのエル・パソにも、そうした中米からの移民たちはいる。政治・経済の中心であるダウンタウンと国境地帯の猥雑な賑わいを見せるバリオ・セグンドの間あたりには埃っぽいバイパスとバスターミナルとチェーンの郊外型大規模店舗が点在するこの街でもっとも寂しいエリアが存在するが、このエアポケットのようなエリアならば、彼らもまず働くために潜り込めるのかもしれない。だだっ広いスーパーとファーマシーが隣り合ったモールのような場所で働く年老いた清掃員、バーガーキングのレジ打ちをする若い女性、駐車場の料金徴収係、どこから持ってきたのかもわからない古着の露店を日がな一日出している男。パッと見は似たような顔に見えても、少なくともこの地に生活の基盤があるチカーノたちと比べて、新移民たちは実に孤独だ。故郷や、多くは家族から離れてたどり着いたこの「何千もの家族の始まりの地」の外れ、長々と照りつける夕日に乾燥し寂れきった現代の物流の果ての荒野で、自分が多くの人にとって単なる「風景」であることに少しずつ心をすり減らしながら、新しい人生を始めなければならない。国境地帯に目を光らせるICE(Immigration and Customs Enforcement=移民税関執行局)による摘発や、その先の収容所における非人道的な扱いにも怯えながら。
 トランプはメキシコとの間に「高く、強く、美しい壁(2019年1月12日のツイート)」を築こうと躍起になり、同時に前任のバラク・オバマ時代に裁判所が下した「不法移民であっても子供を20日以上拘留してはならない」という判断を大幅に緩和し、それを無期限とする計画を8月に表明するなど、移民たちを一人残らず締め出してしまおうとするかのような言動を続けている。そうした振る舞いの理由としてはもちろん人種的偏見や夜郎自大、あるいは単なるデマゴーグなどトランプ自身の資質によるものがあり、「移民たちに仕事を奪われる」と怯える、あるいはすでにエスニック・マイノリティとは言い難い数のラテン系アメリカ人に対する脅威や嫌悪を覚える一部の白人たちによる支持がそれを後押しもしている。
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 そんな社会の圧力の中、最低賃金で前述のような不可視の(実際には見えているのだが、彼らが「人」として見られる機会は残念ながら常ではないし、その当然の値よりも割合はずっと低い)仕事、他にも粉塵の舞い上がるビル解体の現場で、場合によってはマスクもなしで瓦礫を集める作業員や、派遣の「家庭内労働者」=他人の家をリビングからトイレまで清掃する(単に「メイド」とも呼ばれる)清掃員、あるいはナニー(子守)、老人介護など、経済的に余裕のある人々は絶対にやりたがらないようなハードな仕事は彼らをはじめとしたヒスパニックや黒人などの有色人種が担うことが多い。特に全米で200万人いるという家庭内労働者は、移民や有色人種の、なかでも女性がほとんどを占める。これはつまり相対的に彼らのほうが所得が低い傾向にあるという意味で、それはそのままこの国の差別構造の最も明確な反映である。テキサスのNPO、A.Y.U.D.A.(Adult and Youth United Development Association Inc.=成人と青少年の連帯協会)など国境地帯の労働問題に関わる4つの団体が516人の家庭内労働者を対象に行った調査では、月の収入が100ドル台であるものも多くいた。57%は家賃を払えず、70%は光熱費を払えず、58%は保険にも未加入だった。67%は契約書もないまま働き、ときには精神的・肉体的あるいは性的な虐待の被害に遭うことさえある「不可視の」労働者たち。
 彼らはリモートワークとは対極のフィジカルな職業であり、すなわち、現在世界を直撃している新型コロナウイルス感染症への感染リスクが非常に高い人々である。かといって、ほとんどのものには働きに出ず家にこもっているだけの経済的な余裕などない(家庭内労働者ではないが、ここ最近、家にこもっている人の代理で買い物をしてデリバリーをするというショッパーの仕事が急増した。そのショッパーも多くは黒人や有色人種である)。4月10日現在、例えばルイジアナでは人口の3割しかいない黒人が感染による死亡者の7割を占めるという高い数字が出ているし、移民の存在により動態がより掴みにくいラテン系人口に関しては本稿執筆時点では詳細が発表されていないが、リモートワーク率が5分の1以下であるというデータ(前リンク参照)から考えると、こちらもやはり現業労働者がかなりの数を占めており、感染率も高いであろうと推察はされる。「家にいて、そして命を救おう」という呼びかけは実に正しいが、それでも街に出ざるを得ない人々はどうすればいいのか。そして、アメリカ・メキシコ国境地帯では、ICEに捕らえられた移民がいくつかの収容所に、現在約35000人ほど詰め込まれている。こもる家のどこにもない彼らの、収容所における密集による感染のリスクも大いに指摘されている。
「ウイルスは人を差別しない」というのは医学的には真ではあるが、実際には人間が作り出した差別や格差を押しつけられているものほどダメージを受けやすくなるという傾斜は確実にある。日頃「ないこと」——それは極めて恣意的に、あるいは構造的に誰かを不可視化しているからこそ、都合よく「ないこと」にできるものでもある——にされている境界が、残酷なまでにはっきりと可視化されるのはこういうときだ。そして、実際にそこで起こる結果を目の当たりにしたらしたで、人はそこからまた演繹的に差別を補強したり、新たな差別を作り出していく。有色人種や移民たちはアメリカの「汚れ仕事」を押しつけられながら、どこまでもその想像力の外へと押しやられ、見えない恐怖の最前線近くに立ちすくんでいる。

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 そもそも、中南米からの移民たちは、アメリカの抱えるある深刻な問題に関する偏見を長らく押しつけられてきた。
 現在、アメリカ国内に持ち込まれる麻薬のうち、特にコカインは9割以上がメキシコ、あるいはそれより南の中南米を出発してメキシコを経由したものであり、「メキシカン・アイス」などとも呼ばれるメタンフェタミン系の覚醒剤、そして近年アメリカで大きな問題になっているオピオイドなどもメキシコの麻薬カルテルによって大規模に製造されたり、密輸されているというのが、UNODC(国連薬物犯罪事務所)を始めとする調査機関の見立てである。
 つまり、海上輸送などを除けば、麻薬の多くは移民と同じルートでアメリカに入国しており、多くの移民が運び屋となっている——というのが、トランプ政権やそれ以前の移民規制派の人々が南からの移民を犯罪者予備軍のように扱ってきた一つの大きな理由である。そのうちどれだけの割合が本当に麻薬や犯罪組織と関係があるのかなど、彼らは気にしない。様々な事情、背景、性格、顔や名前を持つ人々をひとくくりに「不法移民」と扱い、自国内にも社会情勢あるいは失政によってドラッグや犯罪の芽が育っていることを無視して、その原因を外部に転嫁する。
 確かに、麻薬の取引をめぐる国内のギャングの対立、そして2006年から2012年まで大統領を務めたフェリペ・カルデロンによる麻薬カルテル撲滅作戦とギャング側の報復などによって、メキシコでは「麻薬戦争」と形容される暴力の連鎖が続いている。カルデロン政権の6年間には少なくとも六万人の死者が出たとする統計、行方不明者も含めると15万人になるとする統計などが乱立しているうえ「メキシコでは犯罪は実際の四分の一しか報告されない」などともいうが、とにかく実数はわからないものの気の遠くなるような数の人間が殺されていることは確かだ。関連するワードでGoogle検索などすると、見るだけでトラウマになるような凄惨な現場の画像が無数にヒットしたりもする。一時は収束したと言われる麻薬戦争だが、現在もシナロア・カルテル、CJNG、フアレス・カルテル、ガルフ・カルテル、ロス・ゼタス・カルテル、BLOといった組織が活発に活動している(DEA=United States Drug Enforcement Administration 連邦麻薬取締局の2018年度レポート97ページより)状態で、主戦場も国内をあちこち移動している。あちらを叩けばこちらが出るといった、まさにもぐら叩きのような様相を呈しており、いたずらに人的被害だけが広がって、麻薬の流通総量は減少する気配がないというのが現状だ。
 それほど多くの人命が失われてなお世に出回る麻薬の需要は、どちらかといえばアメリカの国内にある。メキシコの麻薬カルテルの数々も、基本的にはその販売網はアメリカがメインだ。先述のリポートによれば、カルテルの組織は主に麻薬販売網の構築、輸送、生産や取引の進行管理、資金洗浄などのグループに分けられるが、実際に現場で麻薬を売るディーラーは「独立した、サードパーティの契約者」、つまり組織の外のアメリカ人であるという。末端のディーラーが捕まったところで組織にダメージはないという仕組みで、どこか現在問題となっているギグエコノミーを彷彿させるが、一方ではディーラーがそれぞれの担当地域における差別、貧困、生活環境あるいは人間関係における困難といった、地元の共同体にドラッグが入り込む隙間を熟知しているからこそ成り立つ商売であるとも言える。だが、アメリカ政府はそうした内的要素をケアすることは怠り、あくまでも「メキシコ人が麻薬を流入させている」という態度を取っている。映画化もされたダン・スレーターの著書『ウルフ・ボーイズ 二人のアメリカ人少年とメキシコで最も危険な麻薬カルテル』(堀江里美訳、2018 青土社)に詳しく書かれているように貧富の差の拡大に喘ぐアメリカ中西部の若者たちをギャングがスカウトして各地の販売網を築いていたりもするわけで、これは立派にアメリカの内政の問題でもあるのだ。
 そして、そうした麻薬がアメリカ国内に流入するゲートウェイとなるのが、シウダ・フアレスやヌエボ・ラレードのようなボーダータウンだ。当然そこは大きな利権の場となり、様々な犯罪もついてくる。特にフアレスは、麻薬戦争の激しい折には「世界の殺人の首都」とさえ呼ばれるほど、激しい暴力の嵐が吹き荒れた。麻薬カルテルの縄張りや販路をめぐる抗争、警察による捜査、ある攻撃への報復、そのまた報復、様々な理由で人が人を殺し、しばしば麻薬に一切関係のないものの命までも巻き添えに、あるいは気まぐれに奪われた。統計によりややバラつきがあるが、2010年の殺人件数は3500件以上にものぼった。自分が現時点で最後に訪れた2018年は1251人と、最悪の時期よりは大きく減少しているが、麻薬戦争がいったん落ち着いた2012年以降は殺人件数が3桁代で推移していることを考えると増えている(2016年以降、ここに限らず国境地帯での暴力は再び増加に転じている)し、そもそも日本では全国の殺人件数が272件であった(2018年、厚生労働省「人口動態統計」による)ことを考えると、たった一都市におけるこの数の異常さがよくわかるだろう。

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 デンヴァーのチャイニーズレストランで働いていたエル・パソ出身の白人の大学生、19歳のマイケルは、実家から目と鼻の先にある(比喩でなく、実際に肉眼で見えるという)この街について「フアレス? 生まれてからずっとエル・パソに住んでたけど、一度も行ったことないな。ものすごく危ないって聞かされてきたからね。昼間からメキシコ人同士で銃を撃ち合ってるんだろ?」と語った。実際のところ、フアレスには、アメリカ側からは安い歯科医や衣料品店を利用するために国境を越えるものは日常的にいる。またいっぽうではフアレス側からエル・パソに労働や、食料品などの買い出しにくるものもいる。幼少期をエル・パソで過ごした作家ルシア・ベルリンの短編集『掃除婦のための手引書』(岸本佐知子訳、2018 講談社)には、エル・パソからフアレス側のカフェや、おそらくダンスホールなどに繰り出す1940年代の主人公や周囲の人々の姿も、回想の中でちらりと描かれている。リオ・グランデに隔てられたこの双子の街は、生活レベルでも、そして因果律の中でもずっとひとつだった。大学で環境地理学を専攻、わけても人類の経済活動と気候変動の因果関係に興味があるといい、人好きのする笑顔が印象的で肌つやも良好なマイケルは、おそらく決して低くはない所得のある家の子弟だろう。治安が最悪レベルに達する頃に育っていたということを考えれば仕方のないことかもしれないが、彼にとっては、対岸の街はまったくの別世界だった。自分の育った環境とは何の関わり合いもない、別世界。
 だが、この世界に「別世界」は存在しない。
 1994年の北米自由貿易協定(NAFTA)発効以降、アメリカとの経済の一体化によってメキシコではアメリカ産の農産物輸入が激増。例えば、トルティーヤの材料であるメキシコ発祥の伝統食材・トウモロコシはアメリカからの安価な輸入品が1000万トン近く増加し、古くからの家族経営で成り立っていたメキシコの小規模農家は大打撃を受けた。アメリカの農業企業を潤すために、地元の農家はバタバタと倒れていった。彼らに残された道は、農地を大資本の企業に売り、都市に流入するか、アメリカに移民することだった。荒野を横切り、ア・ラ・ベスティアに乗り、ボーダータウンに吹きだまって。
〈ものをくださいなんて言うんじゃないよ。おれたちのものをよこせとお言い。わたしに当然くれなきゃいけないものさえもらっちゃいないんだから〉(フアン・ルルフォ『燃える平原』杉山晃訳、1990 水声社)
 1970年代までは比較的治安も安定し、人口も純増を続けているとはいえ40万人程度の街であったフアレスには、アメリカ向けの輸出品を安く生産するための工業団地・マキラドーラ(第3章参照)が成立したこともあり、農村部や他の中米諸国から低賃金労働者が大量に流入した。2000年には人口100万人を突破し、急激な人口増加で不安定化した労働環境や広範囲に成立したスラムがその治安を急激に悪化させる要因となった。90年代半ばからは女性が被害者となる暴力、殺人、あるいは行方不明事件が目立つようになり、全体の犯罪件数も少しずつ増加。そして、麻薬戦争がその火薬庫に火を投げ込んだ。対岸の街で起きていることは何ひとつ、「こちら側」が彼らから奪ってきたものと無関係ではないのだ。
「デンヴァーの街を1年間すべてプラスティック・フリーにしてみたら、どの国にどれくらいの環境負荷を軽減することになるか試算している。経済はアメリカだけの問題じゃないから、地球の裏側の国とか、意外なところにも影響があると思うんだよね」と言いながら、自国が作り出し、構造的に温存し、おそらくは自らもその恩恵の中で育ってきた目の前の非対称関係には清々しいほど無自覚な笑顔。想像力の限界と、絶対的な境界。彼を笑い、憤るのは簡単かもしれないが、では私たちは果たしてそうした「見えない他者」との因果からどれだけ自由で、どれだけ潔白で、どれだけ傲慢であることができるのだろうか。
 気のいい彼は続ける。「ところで、この店のフライド・ライス、マジでうまくない?」
 バリオ・セグンドでプリペイドのSIMカードを買った際、対応してくれたホンジュラス出身だという店員は「フアレスに行くのか?もう戦争は終わったし、殺人もほとんどなくなったらしいな。夜道には気をつけろよ!」と快活に笑った。8年で3500件以上あったものが1251件に減っているということを「殺人がほとんどなくなった」というのかどうかはわからないが、その物言いも、マイケルの笑顔も、国境を日々往来する人々の姿も、すべてはボーダータウンに存在する現実の諸相、のごく一部だ。政治的には国境に、地理的には川に隔てられつつもほとんど溶け合うように隣り合いながら、互いのまなざしが交錯することはほとんどない。
 大都市圏としてはアメリカ全国でもトップ10に入るほどの治安を誇る美しい街、エル・パソから橋を渡ると、「メキシコ」が始まる。アメリカが収奪し、消費し、排斥し、あらゆるツケと悪徳とゴミ屋敷の掃除を押しつけて知らぬ顔をしている「メキシコ」が。

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 エル・パソからフアレス側に渡るのは実に簡単だ。橋のたもとの料金所で乗用車であれば3.5ドル(両端にタイヤを装着するアクセルシャフト1本につき1.75ドルという計算なので、シャフトを増やすたびに1.75ドルがかかる)、歩行者なら50セントの通行料を払い、歩いて渡るだけ。日本でいう高速道路の料金所のようなゲートをくぐり、悠々と国境を越えていく車の群れを横目に、アーチ状になった橋の歩道部分をアメリカで買い込んだ牛乳や電化製品などを満載したカートを引く母親と幼児、夜勤明けの帰宅途中でもあるのかしきりにあくびをしながら誰かに電話をする巨体の若者、何の用事があったのか手ぶらで歩く中年男性、その他「国境を越えるのだ」というような緊張感はとりたてて感じられない様々な通行人に混じって歩けば、アーチ状の橋のピークに国境が位置している。正確にいうならば「ここがメキシコとユナイテッド・ステイツ・オブ・アメリカの境である」旨を記した碑が置かれている。
 橋を囲ったフェンスから外を覗き見れば、コロラドからニューメキシコの乾燥地帯を流れてきたがゆえにまだ水嵩がそう高くはないリオ・グランデと、その両側の堤防に点々と描かれたグラフィティが見える。ボーダー・パトロールによって管理されている川の付近は一般人立ち入り禁止であり、昼夜を問わず「コヨーテ」と呼ばれる密入国業者や彼らに手引きされた人々がアメリカ入国の機会をうかがっているためパトロールも目を光らせているはずだが、これを描いたものたちはいったいどこから忍び込んだのか。
 もともとこの場所で生活を営んでいた人々を唐突に引き裂いて——チカーノたちの言葉を借りれば「体の中を通り過ぎ」て——この大陸の近代史が引いた概念上のボーダー。直上からそれを物理的に/政治的に規定する川、そしてその両側に広がる、お互いを(実質的には片側の人々のみを、だが)排除するためのノー・マンズ・ランド。幾重にも意味を帯びすぎてしまった帯状の地形を、それでも「ストリート」の延長として、すなわち生活と移動と思考が司るマージナルな空間として新たに取り戻そうとするかのように、グラフィティは少しずつ覆ってゆく。
 そんなことを考えているうちにあっという間に橋は下り坂となり、そして、フアレスの街にたどり着く。かつて日本のどこにでもあった有人の自動改札のようなゲートの向こうに、かつての「世界の殺人の首都」の光景が広がり始める。やや緊張しながら街区に足を踏み入れようとしたとき、退屈そうにゲートの脇のブースに突っ立っていた男が、顔見知りと見て自分の一歩先を歩く男に声をかけた。
「フアン、ドンデ・エスタバス?(フアン、どこ行ってたんだ?)」
フアンと呼ばれた男は一声、大げさな身ぶりでこう答えた。
「ノルテ! ポル・ドラレス!(北にな! ドルのために)」

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〈著者プロフィール〉
安東嵩史(あんどうたかふみ)
1981年大分県生まれ。
編集者。移民・移動と表現や表象、メディアの関係を研究することを中心領域とする。
2005年以降、書籍や雑誌からVRまでの発行・執筆・展示・企画などを多数手がける。
2017年にTISSUE Inc. / 出版レーベルTISSUE PAPERSを設立。
ウェブサイトはそろそろ。
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