老いを追う 19 〜年寄りの歴史〜

第七章 老いらくの恋の顛末 1

 「老いらくの恋」という言葉がある。世間ではおそらく、肯定的な意味では使われていない言葉だろう。「年甲斐もない」とか「いい歳をして」とか、年寄りが色気を出すと周囲から眉をひそめられてしまう。
 『いじわるばあさん』の伊地割石も、おじいさんたちとつきあい、デートを楽しんでいた。しかし、何十年も前に死んだ夫の浮気をいまだに根に持つ、嫉妬の塊ともいうべきいじわるばあさんは、デートの相手が通りすがりの女性によそ見をしただけで、マンホールの蓋を持ち上げて落っことしてしまう。ほかにも、男性からプレゼントされたオルゴールの曲が、『エリーゼのために』というタイトルだと知り、「ほかの女のための曲」かと逆上したこともあった。
 いじわるばあさんの恋はこんなふうに、案外、邪気のないものだった。けれども歴史上には老いても恋に燃え、異性に溺れた人々も少なからずいる。

 とんち者のキャラクターで知られる、一休さんこと一休宗純は室町時代の高僧である。しかし僧侶の身でありながら、髪を伸ばし、髭を蓄え、禁じられている飲酒や肉食をしていた。また遊郭に出入りし、男色趣味があったともいわれている。そんな一休は七十代半ば過ぎには、「愛人」を囲っていたと伝わっている。
 七七歳の喜寿の年、一休は大阪住吉の薬師堂で、目の見えない女性が歌う「艶歌」に魅せられた。翌年の春に住吉で再会した女性は、一休が住む山城国薪(たきぎ)の里の酬恩庵で暮らすようになる。
 一休は森女(しんじょ)と呼ばれるその女性を「一代風流之美人」と称えて、激しく愛した。漢詩集『狂雲集』には「美人陰有水仙花香」、「美人の陰は水仙のような甘い香りがする」と題する詩がある。
 「楚台はまさに望むべく 更に攀(よ)ずべし 半夜の玉床 愁夢の顔 花は綻ぶ 一茎 梅樹の下 凌波の仙子 腰間をめぐる」。
 この詩をあえて訳すなら「美女の体は眺めるべきであり、さらによじ登るべきである。夜中の立派な寝床でもの悲しげな女の顔がある。女の花が男性の下にある一茎で綻んだ。美女は仙女となり、腰のあたりにまとわりついている」といったことになる。
 喜寿を迎えた僧とは思えない精力が、詩としても昇華されているのである。

 俳人小林一茶の「老いらくの恋」はよく知られていることだろう。
 三九歳で父を亡くした一茶は、長年にわたり継母や弟との財産争いに翻弄され、独身のままだった。最初の結婚は五二歳のとき、「きく」という二八歳の女性とであった。二人は三男一女をもうけたが、子どもたちはみな幼くして亡くなり、きくも三七歳の若さでこの世を去った。
 六二歳のときに「ゆき」という女性と二度目の結婚をしたが、不仲が理由でわずか半年で離婚した。一茶はゆきとの離婚後すぐに、持病の中風が再発し、言語障害が残ってしまった。
 三度目の結婚は六四歳のとき、「やを」という女性とであった。一茶は彼女とのあいだにも子どもをもうけたが、子どもの顔を見ることなく、六五歳で生涯を閉じたのだった。
 一茶の色恋が最も「さかん」だったのは、最初の妻きくとの蜜月時代である。残された日記によれば、きくと結婚後連日連夜の「媾合」に及び、妊娠中も交じわったという。五八歳のときに脳卒中で半身不随になってもセックスへの意欲は衰えなかった。
 五十代で初婚、六十代で二回も結婚した一茶のことを、羨まく思う人がいるかもしれない。しかし一休や一茶の、老いても旺盛だった夜の営みを、今日の感覚で理解すべきではないだろう。性に対するタブーも少なく、年老いていることが彼らの魅力を損なうことにはならなかったのだ。また一方で、社会的な地位を利用した老人のエゴが垣間見えもする。

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《著者プロフィール》
畑中章宏(はたなかあきひろ)
1962年大阪府生まれ。
作家・民俗学者・編集者。著書に『災害と妖怪』(亜紀書房)、『蚕』(晶文社)、『『日本残酷物語』を読む』(平凡社)、『天災と日本人』(筑摩書房)、『21世紀の民俗学』(KADOKAWA)ほか多数。
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