老いを追う 36 〜年寄りの歴史〜

第十二章 老人と子どもの絆 3
 この連載ではこれまでにも、老人と子どもの絆について記してきたことがあった。
 ひとつは第一章「母をすてる」で取り上げた棄老伝承のうち、祖父、父、子の男系三代が登場する「葛藤型」と呼ばれるものである。
 ある男が、六十歳になった父親を「畚(もっこ)」に入れて山奥にすてにいこうとした。しかし息子が、「もっこは持って帰りましょう。いずれまた必要になりますから」と言うので、男は親をすてるのをとどまった。つまりこの親棄ての類型では、孫によって祖父が救われたのだった。
 また第五章「隠居はかなえられたか」で紹介した『遠野物語』の乙爺(おとじい)にも、子どもたちと交遊があった。
 乙爺は峠の上に小屋掛けして、甘酒を売っていた。そして「遠野の昔話をだれかに話して聞かせておきたい」と口癖のように言っていたが、からだが臭いので、昔話を聞こうとするものはいなかった。しかし甘酒を買いにくる子どもたちは、この年寄りのことを父のように慕っていたというから、おそらく子どもたちは昔話に耳を傾けたことだろう。
 夏目漱石の短編集『夢十夜』の第四夜は、老人と子どもの不可思議な関係が、夢の主題になっている。
 歳を忘れた「爺さん」は、臍(へそ)の奥からやってきたという。爺さんが「あっちへ行くよ」と言うので、夢では子どもの自分がついていくと、柳の木の下に三、四人の子どもがいた。「今にその手拭が蛇になるから、見ておろう。見ておろう」と爺さんは子どもたちに言って、真鍮でこしらえた飴屋の笛を吹き出した。
 爺さんは「今になる、蛇になる、きっとなる、笛が鳴る」とうたいながら河岸に出て、そのままざぶざぶ河の中へ入り、胸まで浸ってしまった。それでも爺さんは、「深くなる、夜になる、真直になる」とうたいながら、見えなくなってしまった。
 子どもの自分は、爺さんが向こう岸へ上がったとき、蛇を見せるだろうといつまでも待っていたが、爺さんはとうとう河から上がってこなかった。
 なんとも奇妙な後味が残る話で、老人ふるまいと子どものまなざしが、感情をざわめかせる。
 柳田国男は太平洋戦争のさなかに書いた『先祖の話』でこんなふうに述べていた。
「爺さん」「婆さん」というのは、ある一組の老夫婦を指したものでなかった。お盆やお彼岸にやってくる訪問者のことを、「御先祖さま」や「精霊さん」などと言ったが、子どもにとって最も親しく、またなつかしいだろうという心づかいから「爺さん」「婆さん」という言葉が選ばれたというのである。また老人にとっても「自分が孫であり祖父や祖母とともにいた日のことを憶い起し、さらにまたいまの孫たちの自分のようになる日」を想像するのが、盆や彼岸の機会だった。
 民俗学者の宮田登は、老人と子どもにかんする柳田の考察を踏まえて、「小児は魂の生身を離れやすい存在であり、一方、老人の老いてくたびれた魂は、できるだけ休んでふたたびまた、溌剌たる肉体に宿ろうと念じた」のだという。そして、その期限が三十三年目の弔い上げの儀式であり、老人の魂はそこで浄化され、子どもの体に再び宿っていくと柳田は推測したのだろうと宮田は考える。
 柳田国男はほかの本ではこんなふうにも書いていた。
「平穏無事なる村の生活に老いて行く人々は、子どもが生まれると再び子の心に復(かえ)り、孫ができると自分が孫であった頃の、感覚を喚び起こされるのであります。殊に子供の相手は年寄ときまっていまして、そのあいだにはまた大きな鏈(くさり)が繋がって行くのであります。」(『野草雑記』)
 かくして老人と子どもは、円環のように結ばれるのであった。
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《著者プロフィール》
畑中章宏(はたなかあきひろ)
1962年大阪府生まれ。
作家・民俗学者・編集者。著書に『災害と妖怪』(亜紀書房)、『蚕』(晶文社)、『『日本残酷物語』を読む』(平凡社)、『天災と日本人』(筑摩書房)、『21世紀の民俗学』(KADOKAWA)ほか多数。
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