老いを追う 41 〜年寄りの歴史〜

第十四章 死に急ぐ年寄りたち 2
 民俗学者の宮田登は昭和四十年代末(一九七〇年代半ば)の、日本における老齢自殺について考察した。
 豪雪地帯である新潟県刈羽郡高柳町に、中風で寝たきりの六七歳の老人がいた。通年の出稼ぎで東京へ行ったままの息子から、「東京に定着したいので出てこないか」という便りがあった。それから一週間後、老人は首を吊った。自分の土地を離れたくなかったからだろうと周りのひとは考えた。
 このあたりでも年寄りたちは、老後も働きつづけることを望んでいた。福祉施設などで簡単な労力奉仕をするだけでもよかった。
「本当にわれわれが欲しいのは仕事だ。簡易作業場のようなものを作ってもらいたい。年寄りの親ぼくの場になる」。
 町の老人相談員たちは、「生き甲斐をなくし、孤独感、さびしさから死を選ぶ」と指摘し、「たまり場」のような空間の必要性を説く。高柳町では年寄りの自殺防止対策として、「できる仕事は老人に頼み、家庭の一員としての役割意識をもたせる」「長寿者の話を聞く会を開いて、地区内で位置づける」といった課題を掲げて、実施に移したらしい。しかし、その効果があらわれたかどうかは明らかではない。
 二一世紀の今日の話。精神科医の森川すいめいが書いた『その島のひとたちは、ひとの話をきかない』(青土社刊)という本がある。副題は、〈精神科医、「自殺希少地域」を行く〉。森川は先行研究を手がかりに、全国でも極めて自殺率が低いとされる。徳島県の旧海部町(現在は海陽町の一部)にくりかえし足を運ぶ。かつてはこの町は商売で賑わっていたが、効率化の波にのまれて過疎化している。
 町なかのある寺で掃除をしている老人が、著者をみつけて世間話をはじめた。ほとんどの時間は家にいるというその老人は、「ひとは減った」「こころがしんどい」と話し、都会に嫁いだ娘が心配だと言った。
「娘はね、田舎で育ったでしょ。だから都会では苦労するの。ここでは内と外がないでしょ。だから常識がないって、都会では言われるの」。
 老人の口をついて出た言葉は、著者が抱いていた「田舎」のイメージとちがった。田舎のひとは外のひとに対して閉鎖的で、こころを許さない。ほかのところでは「田舎だから、みんな、本音を言わない」と聞いたこともあった。
「本音を言っていたら近所関係が成り立たなくなる。互いに協力し合いながらも本音のない話をすると聞いたことがあったし、田舎とはそういう人間関係の厳しい場所があるのだと刷り込まれていた。だから老人の話にはびっくりした」。
 この町では何人かの老人が「苦しさ」について語った。あるひとは家の外に立って、
「昔は、道路にひとがいっぱい出ていてね」
 と言った。朝そこに立っていると、多くのひとと話をすることができた。
 また別の老人は、
「そこの角に八百屋があって、いつもにぎわっていたのよね。最近は、なくなっちゃって」
 とこぼした。この町の年寄りは、旅人である森川に簡単に弱音を吐くのである。
 このあたりで昔から大事にされている言葉がある。
「病、市(いち)に出せ」。
 病や苦しみは内にためず、どんどん「市」に、自分の住む空間に出しなさいという訓(おしえ)である。
「市」に出された年寄りたちの語りは、いったいなにと交換されるのだろう。そんなことを考えながら、『その島のひとたちは、ひとの話をきかない』をもう少し読みすすめることにする。
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《著者プロフィール》
畑中章宏(はたなかあきひろ)
1962年大阪府生まれ。
作家・民俗学者・編集者。著書に『災害と妖怪』(亜紀書房)、『蚕』(晶文社)、『『日本残酷物語』を読む』(平凡社)、『天災と日本人』(筑摩書房)、『21世紀の民俗学』(KADOKAWA)ほか多数。
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