老いを追う 42 〜年寄りの歴史〜

第十四章 死に急ぐ年寄りたち 3

 精神科医の森川すいめいが、日本列島の「自殺希少地域」を歩いた『その島のひとたちは、ひとの話をきかない』をもう少し読みすすめる。
 森川は徳島県の旧海部町で、あるおばあさんに出会った。
「ひとりはさみしい」
 とおばあさんはかつての町の賑わいについて話した。
「昔はね、午前中にみんな家の外に出ていたの」。
 町角に立てばだれかと会うことができ、ただしゃべることができたのだという。森川は、このおばあさんとの一時間くらいの話でも、話し慣れている、つらい話を言い慣れていると感じた。
「孫はね、学校行かなきゃいけないから、ここには住めない」。
「子どもはね、働いているでしょ、遠い所へ行かなければならないの」。
「今日はね、車で子どもたちはでかけているの」。
 おばあさんは、人出でにぎわう場所に行ったら、ひとが歩く速度がはやくて、膝の悪いじぶんは迷惑だから一緒に行かなかったのだと言った。
「将来のことは不安よね。私も、施設に入れられちゃうのかしらね」。
 というおばあさんの言葉を聞いて森川は、「施設」というのは社会の動く速度についていけなくなったひとが入る場所なのかと感じた。近くに井戸があるのを見て、ああ、本当に、井戸端会議があったんだな、と森川は思った。

 井戸とか井戸端というのは、すぐれて民俗学的な場所であり、概念である。かつての共同体では、街や村の真ん中にあり、そこに行けばさまざまな世代のひとと、なんでもない言葉を交わせる場所としてあった。そして井戸端では速度がゆるくなり、時間が滞留する。井戸は、「あの世」の入り口、出口であり、昔むかし井戸を伝って、地獄とのあいだを往き来したひともいた。町じたいが高齢化し、過疎化し、経済的に立ちゆかなくなると、井戸や井戸端の持っていた意味が見失なわれてしまう。
 こうした井戸は「辻」と呼ばれる場所に掘られていた。辻はいまでは、交差点のような地理的イメージで思い浮かべられるかもしれないけど、もう少し重層的な場所である。いくつかの道が交じわるところ、また複数の時間が交錯するところが辻であった。ただ現実には井戸端や辻は、町や村の情報交換の場になるとともに、だれがどこでなにをしているかを共有し、「干渉」のもとになる場所でもあった。

「困っているひとがいたら、今、即、助けなさい」。
 森川が広島県の下蒲刈島(しもかまがりじま)で老人と立ち話をしていたとき、老人が教えてくれた言葉である。これは前回の話に出てきた「病は市に出せ」と同じような意味合いをもつ言葉で、旅先で老人と話をするといつも、こうした人生訓を教えてくれるという。
 いっぽうで、「なるようになる。なるようにしかならない」という言葉を森川は聞いた。
 厳しい自然と対峙してきた年寄りたちが、工夫して生きてきたことからこその言葉だと思われる。「外の世界は変化する。明日は不確かである。相手は変えられない。ゆえに変えようとしない。老人たちはああしたらいい、こうしたらいいとは言うが、そうしなかったとしても止めようとしなかった」。
 青森県下北半島風間浦村では、老人がずっと、
「かっこつけなくていい」
 と言っていた。
 年寄りたちは若者たちがかっこつけようとしたり、かっこつけて失敗したとしても、「だから言ったでしょ」とは言わないというのだ。森川はまた、老人の対話力の高さを各地で感じたという。老人は死に急ぐどころか、ひとを助けることに慣れ、若者は年長者に守られて、生かされていることがわかっていったというのである。
 自殺が少ない地域では、干渉と寛容が微妙なバランスを保っているのだろう。そして、そこに住む年寄りたちは、話し上手であり、聞き上手でもあったのだ。

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《著者プロフィール》
畑中章宏(はたなかあきひろ)
1962年大阪府生まれ。
作家・民俗学者・編集者。著書に『災害と妖怪』(亜紀書房)、『蚕』(晶文社)、『『日本残酷物語』を読む』(平凡社)、『天災と日本人』(筑摩書房)、『21世紀の民俗学』(KADOKAWA)ほか多数。
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