老いを追う 6 〜年寄りの歴史〜

第二章 翁の正体 3
 今回は「花咲か爺」と「舌きり雀」を取りあげて、対照的な年寄りの話をしてみたい。
 まず「花咲か爺」には、心の優しい年寄りと欲張りな年寄りが出てくる。おとぎ話のなかで彼らはいったい、何を得たのだろうか。
 心の優しいおじいさんが、川で白い仔犬を拾ったことから話は始まる。おじいさんが犬に教えられたとおりに畑を掘ると、小判が出てきた。その後、殺されてしまった犬の墓に植えた木で臼を作ると、餅をついたら米が溢れ出てきた。臼を燃やした灰をまいたら枯れ木に花が咲いた。それを見た殿様が褒美をくれた。
 欲張りなおじいさんは心の優しいおじいさんを羨み、なにかと真似した。ところが出てきたのはがらくたやげてもの、汚物や妖怪の類だった。灰をまいたら殿様の目に入り、罰を受けた。
 「舌きり雀」の主人公は、心の優しいおじいさんと欲張りなおばあさんの夫婦である。
 怪我した雀を助けたおじいさんは雀のお宿でもてなされ、お土産に軽くて小さな葛籠(つづら)をもらった。その中にはたくさんの宝物が入っていた。舌を切り雀を放り出したおばあさんは、雀のお宿で重くて大きな葛籠をもらった。その中には魑魅魍魎や虫や蛇が入っていた。
 民俗学ではどちらの話も「動物報恩譚」といい、「舌きり雀」は異郷を訪れて財宝を得る「致富譚」といわれている。心の優しい老人は財宝を得て、欲張りな老人は恐ろしいものや汚いものに驚かされた。後者の老人がそんな目に遭ったのは、動物をいじめたり、死に至らしめた報いであろう。しかし彼らが隣人を羨み、少しでも経済的に潤いたいと思ったのは人情というものである。さらに言えば庶民にとって、小判や宝物も珍しいものだったろうけど、魑魅魍魎や妖怪はかなり珍しい見物だったにちがいない。
 花咲か爺にはどこか耄(ほう)けた感じもみられる。
 「ここ掘れワンワン」と吠える犬に従い、畑を掘ったらお金が出たというところまではともかく、それ以降に起こる出来事は、犬を殺されたショックによる妄想なのではあるまいか。「舌きり雀」でも、おばあさんが糊を舐めた雀の舌を鋏で切るあたりまでは写実味があるのに、おじいさんが雀のお宿に行ったあたりから、夢まぼろしのようである。愛玩していたペットの死、あるいは失踪により老人の受けた衝撃が、こうした幻想話を産んだのかもしれない。
 うがった見方だけれども、「枯れ木に花を咲かせましょう」と叫んで灰をまき、花を満開にしたおじいさんと、灰をまいて殿様の機嫌を損ねたおじいさんは、同一人物だと考えてみることはできないだろうか。人間の二つの側面だという教訓的な捉え方ではなく、ひとりの老人の一連の行動だと私は想像してみたい。「舌きり雀」のおじいさんとおばあさんを同じ人物だと考えることはさすがに無理がある。しかしこの二人の行動パターンも、相補いあう人間心理と捉えたほうが、たんなる勧善懲悪をまぬかれた読み方ができるはずだ。
 鎌倉時代の、『宇治拾遺物語』に「舌きり雀」によく似た「雀報恩の事」、いわゆる「腰折れ雀」の話が載っている。
 腰を折った雀をおばあさんが助けた。傷が治った雀が、瓢(ひさご)の種を一粒持ってくる。種を播いたら実がなり、その中から米が尽きぬほど出てきた。それを羨ましく思った隣のおばあさんが真似をして、雀の腰をわざと折ったら、瓢から蛇や蜂が出てきて刺されて死んだ。
 この話で重要なのは次のような部分である。
 最初のおばあさんも雀にやさしくしていると、周囲の人間からばかにされていた。ところが瓢から米が出てきたとたんに驚かれ、羨ましがられた。もうひとりのおばあさんも、家族から「同じ年寄りだというのに、隣と違ってこちらの年寄りは何もしない」と言われたので「隣より裕福になれば、子どもたちにもきっと褒められるだろう」と、三羽もの雀の腰を折ったのであった。
 「腰折れ雀」には老いぼれたと疎んじられたり、若い者を見返してやりたいという、年寄りの涙ぐましい努力や、悲哀に満ちた心情が綴られているのである。
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《著者プロフィール》
畑中章宏(はたなかあきひろ)
1962年大阪府生まれ。
作家・民俗学者・編集者。著書に『災害と妖怪』(亜紀書房)、『蚕』(晶文社)、『『日本残酷物語』を読む』(平凡社)、『天災と日本人』(筑摩書房)、『21世紀の民俗学』(KADOKAWA)ほか多数。
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