老いを追う 7 〜年寄りの歴史〜

第三章 不老長寿の願い 1 

 このご時世、すべての年寄りが長生きを願っているわけでもないだろう。かつての社会とは別の意味で老人には世知辛く、かといってあの世が極楽だといった信心もないままに、年寄りたちは過ごしているような気がする。しかし人類の歴史をかえりみると、強い権力を得た人ほど、不老不死、不老長寿に執着してきたみたいである。
 古代神話の垂仁(すいにん)天皇は不老長寿の果実、「非時香菓(ときじくのかくのみ)」を求めて、側近の田道間守(たじまもり)を常世の国に派遣した。田道間守は十年程のち、「香菓」をもって帰国した。けれども、天皇がすでに崩御していたことを聞き、悲しみのあまり天皇の陵墓で自殺したという。
 垂仁天皇が亡くなった年齢は、『日本書紀』では一四〇歳、『古事記』では一五三歳とされている。だから書紀に従ったとしても、一三〇歳になっていたのに不死の薬を探しに行かせたことになる。
 『古事記』はこの不死の果実を「橘」だとしている。橘の実はとても酸っぱく、食用にはあまり向かない。だからかこの橘は柑橘系のうち、橙(ダイダイ)や蜜柑ではないかと言われている。
 垂仁天皇の生への執着はともかく、田道間守の残念には同情を禁じ得ない。年寄りのわがままな願いをかなえるため、はるばると旅して、要求を満たすものを見つけてきたのだから。果実は古代に菓子とみなされていたことから、田道間守は菓子の神、菓祖として神社にまつられるようになった。

 中国前漢の武帝は西王母(せいおうぼ)という女神から、三千年に一度だけ実るといわれる不老長寿の「仙桃」を授かった。桃は中国では古来、魔除けの力があるといわれてきた。武帝は晩年に迷信深くなり、また年老いた皇后を見かぎって若い美女にうつつをぬかした。父の世継ぎを先延ばしにされていた皇太子は反乱を起こしたが失敗し、母の皇后とともに自殺した。武帝はその四年後、まだ七十歳ほどでこの世を去った。武帝は西王母の桃を食べたはずだが、効き目がなかったのだろうか。
 西王母は中国神話に度々登場している。もとは仙女だった嫦娥(じょうが)は、夫が西王母からもらった不死の薬を盗み、月へと逃げた。西遊記の孫悟空は、西王母が所有する桃園の管理を任されていたが、仙桃を食べ尽くした。また武帝に仕えた東方朔(とうほうさく)は、この桃の実を三つも盗んだ。彼らは決して老人ではなかったけれど、不死の誘惑にかられたのだ。果たして嫦娥は月でガマガエルになり、孫悟空はそれから数百年後、三蔵法師と旅に出た。東方朔は八千年の寿命を得たともいわれる。いずれにしても、桃はただ美味いだけではなく、なにかしらの力が備わっているのだろう。
 日本の「桃太郎」の古い型で、おじいさんとおばあさんが桃を食べて若返ったのも、こうした中国の神話や伝承がもとになっている。ちなみに長寿と桃の神である西王母の誕生日は三月三日で、「桃の節句」の由来でもある。

 不老不死の果実といえば、こんな伝承がほかにある。
 天智天皇が狩りに出かけたとき、八人の子どもを持つたいへん元気な老夫婦に出会った。天皇が長寿の秘訣をたずねたところ、老夫婦は、「ここで獲れる無病長寿の霊果を、秋になると食べるからです」といって果実を差し出した。天智天皇はそれを食べて、「むべなるかな(いかにももっともだなあ)」といった。その後「むべ」がこの果実の名前となり、それから毎年、朝廷に献上することになったという。
 ムベはアケビ科の一種で、春には白い花をつけ、秋になると鶏の卵よりやや大きい楕円形の実を結ぶ。アケビなどと比べると果実が小さく、果肉は甘いが食べにくいそうである。
 橙や蜜柑や桃なら私ももちろん食べたことがある。しかし、橘やムベは口にした記憶がない。最近ではこうした神話・伝承をもとに橘やムベの実を加工し、商品化しているところもあるらしい。物は試しに取り寄せて、母親に届けにいこうかとも思う。
 私自身はとくだん長寿や不死を望んではいないけれど、このところひしひしと感じる、寄る年波が少しでも収まるものなら果実の力を借りてみてもいいかもしれない。

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《著者プロフィール》
畑中章宏(はたなかあきひろ)
1962年大阪府生まれ。
作家・民俗学者・編集者。著書に『災害と妖怪』(亜紀書房)、『蚕』(晶文社)、『『日本残酷物語』を読む』(平凡社)、『天災と日本人』(筑摩書房)、『21世紀の民俗学』(KADOKAWA)ほか多数。
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