土の上 10

 大学では陶芸を専攻していた。陶芸家を目指していたわけではなかったけど、卒業する頃にようやく自分の芯になるようなものができ始め、思うようなものがぽつぽつと作れるようになった。このまま卒業したのではどうにもならないなと思い、大学院に進学することにした。同じ環境でもう少しはっきりとした芯を自分の中に見出したかった。
 大学は名古屋市郊外の長久手町(現在の長久手市)の山の中にあった。公立の大学で学生数は少なかったけど、広大な敷地内には豊かな山や森、湿原などがあった。朝、自転車で木々に囲まれた坂道を走ると、子供の頃にキャンプ場で嗅いだような匂いがした。そこには下宿先にはない匂いや音、風景があり、自然と気持ちが切り替わった。また、少人数ではあったものの、東海地方を中心に全国から集まった学生たちは、専攻や学年、年齢の垣根を越えて交流があった。それぞれが自分の制作に打ち込んでいて、私も刺激を受けることが多かった。朝から晩まで大学にいて、また明日、と帰っていく毎日だった。時々、帰ってからも友達と集まり、ただ話をしては夜が更けていった。

 私の専攻は一・二年生は一通りの基礎的な課題をこなし、三年生でいくつかの研究室に分かれた。私はお皿を作りたいというよりは絵を描くのが好きだった。陶芸で自分が表現したいものは何なのか、少ない知識と経験で悩みながらも少しずつ自分なりのやり方を見つけていった。そして、いつからか土の板に絵を描くようになった。初めはただ平面的だったものが、先生とのやりとりや、気分転換に始めた石膏型を使った立体作品の制作を機に少しずつ変化していった。先生との関わりはあまり多くはなかったけど、ふとした助言が私の狭い視野を広げてくれたように思う。

 陶芸は成形や乾燥、素焼き、施釉、本焼成など、完成するまでにたくさんの工程を経る。釉薬も原料を調合して何度もテストピースを焼いた。一連の作業を通して、目標に向かってコツコツと根気よく制作するペースが身に付いた。

 時々、研究室で徹夜で作品を焼成する日があった。皆で窯場のテーブルを囲んで雑談したり、晩ご飯を作って食べたりしながら、上昇していく窯の温度を三十分ごとに記録し、火力や電力の調整をした。夏はひたすら暑く、冬は温かい夜の窯場が眠気を誘った。本焼成の焼成時間は長く、窯を終えて大学を出る頃には夜中や夜明け前になっていた。真っ暗な山を下り、人気のない道路をものすごい勢いで自転車で爆走して帰るのが好きだった。
 窯出しされた作品は、想像したものと違ってがっかりすることも多かった。でも、一旦自分の手を離れて焼き上がったものは、自分の力の及ばない不思議な力が加わっているようだった。そういうことも陶芸の面白いところのひとつだった。

 大学にいた六年間は「つくること」で自分と向き合い続けた日々だった。今振り返ると、贅沢で夢のような毎日だったと思う。今もあの頃の延長のような生活を送っているけど、制作で悩む時にいつも自分を奮い立たせてくれるのは、あの頃の粘土まみれの私なのだ。

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《著者プロフィール》
宮崎信恵(みやざきのぶえ)
1984年徳島生まれ。
STOMACHACHE.として妹と共に雑誌などのイラストを手がける。
その他、刺繍・パッチワーク・陶芸・木版画・俳句・自然農を実践する。
http://stomachache.jp
http://nobuemiyazaki.tumblr.com