土の上 14

 雨が降ると山が霧で覆われる。雨が止むと霧は晴れて徐々に空に昇って消えて行く。その様子は山から雲が作り出されるみたいで面白い。山と空の曖昧な境界を眺めながら、雨上がりの午後の道を歩いていた。

 平日はほぼ毎日、散歩がてら小学校の近くまで娘を迎えに行く。田舎はどこに行くにも車が必要で、街に住んでいた頃に比べると格段に歩く時間が減った。だから、日々の迎えは私にとって貴重な散歩の時間になっている。往復二~三十分程度の短い距離ではあるけど、毎日歩く同じ道は季節や天候によって色々に表情を変え、それぞれの時季らしいものが現れては消えて四季の移ろいが感じられる。娘は大体いつも一人で帰ってくるから、学校の話を聞いたり、じゃんけんをしたり、道端の花や木の実を摘みながら二人でゆっくり歩いて帰る。今はコスモスが真っ盛りだ。

 そういえば、家を出てすぐに不意に墨の匂いがした。何となく思い立ち、久し振りに戸棚から硯と墨を取り出し、迎えの時間まで部屋で墨を使って絵を描いていた。硯に水を差し、墨を磨ると、あっという間に何ともいえない匂いが部屋中に広がった。
 大学生の時に日本画の技法の一つである「付け立て」の授業があった。輪郭線は使わずに墨の濃淡だけで植物の絵を描く、というものだった。私は一緒に住んでいた姉が育てていたアボカドを拝借した。種からは茎と葉が伸び、根がもじゃもじゃと生えていて、モチーフとしてはなかなか面白かった。墨一色といっても、濃淡や滲み、かすれなど、筆の動きや墨の含みで多様な表現ができることを知った。植物の絵を描くのは好きだったから、アボカドを描くのにも熱中した。この技法を修得してみたいとも思ったけど、やはり何事も奥が深く、その道を究めるには何も持たずにひたすらそれに向かい歩かなくてはいけないのではないか。そう思うと、私には少し持ち物が多いような気がした。

 見えない持ち物を持って歩いていると、私に染み付いていた墨の匂いはいつの間にか辺りを漂う秋の匂いに溶けていった。向こうの方に、長靴を履き、手に傘を提げてこちらへ歩いてくる娘が小さく見えた。

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《著者プロフィール》
宮崎信恵(みやざきのぶえ)
1984年徳島生まれ。
STOMACHACHE.として妹と共に雑誌などのイラストを手がける。
その他、刺繍・パッチワーク・陶芸・木版画・俳句・自然農を実践する。
http://stomachache.jp
http://nobuemiyazaki.tumblr.com