土の上 28

 昨年末に五年振りにノートパソコンを買い換えた。その軽さに驚き、これなら電車での移動も楽になるな、と嬉しくなった。普段よく使っているPhotoshopもいつのまにかクラウド化していて、たったの五年で随分時代遅れになるのだなぁと、軽く浦島太郎気分を味わった。
 そのパソコンを背負って、仕事で尾道へ行く機会があった。最寄駅から電車で高松方面へ向かい、瀬戸大橋を渡って岡山を経由した。徳島で電車に乗ることは滅多にないため(そもそも徳島に走っているのは電車ではなくて気動車だけど)、電車に乗るのは夏に東京と名古屋に行って以来だ。 
 車窓にはまだ雪の残る田舎の風景が流れていた。いつも車で通っていた場所を車内から見つけて、こんなところに線路が通っていたのだな、と初めて気付くこともあった。
 乗り込んだ特急列車は三両編成中二両が自由席だった。空いているだろうと思って自由席に乗ったけど、平日の朝は高松への通勤客も少なくないようで、何駅か停車するとすぐに座席は満席近くなった。
 私が留守の間、娘は仲の良い友人家族の家にお泊まりすることになっていた。そのお母さんとメールのやり取りをしつつ、窓の外のアロエの群生や大きなボウリングのピン、幼稚園の園庭で一斉に飛び跳ねて踊る子どもたち、などが視界を通り過ぎていった。
 瀬戸大橋を渡り、岡山で各駅停車の電車に乗り換えた。ここから尾道までは一時間半かかるらしい。乗り換えが少ない方が良かったから、のろのろと鈍行の旅を楽しむことにしていた。電車の窓ガラスからはじわじわと外の冷気が伝わってきて、座席下のヒーターに手を近づけると、冷え切った指がゆっくりと解凍されていった。
 途中、よくある田舎の風景が続き、鈍行の旅にも飽きてしまった。友人に借りた『富士日記(武田百合子著)』をリュックサックから取り出し、読み始めるとすぐに「忍野」という地名に目が止まった。山梨県の忍野村には大学時代の後輩が住んでいて、何度か手紙のやり取りをしている。文章からは忍野に温泉があることくらいしかわからなかったけど、後輩からの手紙に「カマドーマ、クモ、ヤスデのルームメイトはきつい」と書かれていたから、自然豊かな場所、という見解で大きな相違はないだろう。岡山で電車に揺られながら、忍野のことを考えるとは思わなかった。
 やがて広島に入り、福山で東京から新幹線で向かっていた妹が乗り込んできた。本をしまい、尾道駅間近の坂の斜面を埋め尽くす家々を見ていると、徳島とか富士とか忍野とか東京とか尾道とか、色んな所に人が住んでいるんだなぁ、と何だか果てしない気分になってしまった。

 尾道では三日間かけて様々な場所へ案内してもらい、画像検索では知り得なかった街の雰囲気を感じとることができた。
 商店街を巡っている途中、ある玩具店が気になり入店した。中を覗くと懐かしいおもちゃで溢れかえっている。次々と小さい頃の忘れ去られていた記憶が蘇り、夢中になって見て回った。爆音でプリンセスプリンセスの曲が流れている店内には店主のおじさんが一人。ここにも浦島太郎がいた。

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《著者プロフィール》
宮崎信恵(みやざきのぶえ)
1984年徳島生まれ。
STOMACHACHE.として妹と共に雑誌などのイラストを手がける。
その他、刺繍・パッチワーク・陶芸・木版画・俳句・自然農を実践する。
http://stomachache.jp
http://nobuemiyazaki.tumblr.com