土の上 45

 小学生から大学生くらいまでずっと誰かと文通をしていた。「誰か」は転校する前の学校の友だちが多かった。
 今ではSNSを通じてその後の同級生たちの歩みを知ることができるけど、私が小・中学生の頃は友だちからの手紙に書かれた元同級生の意外な変貌ぶりにドキドキしたものだった。この個人的な一対一のやりとりは、回を重ねるごとに親密度が増す。文章と文章の間に挿絵を描くのも楽しかった。今思い返すと、くだらないことを書いていたのだろうなぁと恥ずかしくてたまらなくなるのだけど。学校から帰って自分宛の手紙を発見した時の嬉しさたるや、すぐに開封して一気読みするのが常だった。
 小さい頃から父親の仕事の都合で転校することが多かった。小学二年生までは活発な性格だったと自覚しているけど、小学三年生になる頃の転校をきっかけにだんだん内気な性格になっていった。転校先の田舎の保守的な体制が合わず、どこか前の学校と線引きして、いつも居心地悪く感じていた。どうしてそこまで頑なだったのかはわからないけど、周りに溶け込んで馴染むことにずっと抵抗していたように思う。そして何より、前の学校の仲の良かった友人たちとの別れが悲しかった。
 そんな中での親友たちからの手紙には救われた。間違いなく心の拠り所のひとつだったと言える。学校では誰とも共有することのできない感覚を手紙からは感じることができたし、自分の感じたことや考えたことを言葉ではうまく言えなくても、手書きの文章にはいくらか上手に綴ることができた。
 
 余談になるけど、心の拠り所としては兄弟の存在も大きい。両親は昔から仲が悪かったから、親よりも兄弟と一緒にいる方が楽しかった。私には兄・姉・妹・弟がいるから、全員集まると小さな集団になる。馴れない学校から帰ってきても、家にはいつものメンバーがいることに安心感を感じていたのだろう。妹にいたっては、なぜか毎日一緒に学校から帰ったり、妹の友だちの家に私も遊びに行っていたくらい、常に一緒にいた。それで今は二人で仕事をしているというのだから、不思議なような、あるいは自然な成り行きのような気もする。
 結局のところ、文通相手たちと再会することはなかった。年を重ねるごとにお互いの趣味や考え方も変わっていき、やがて互いに何となくズレを感じ始め、手紙も途絶えがちになった。
 少し前に、中・高校生の頃に文通をしていた子がSNSを通じて連絡をくれた。かなり久しぶりで驚いたのだけど、それぞれの近況を知らせ合って、昔の手紙のやり取りのことを懐かしんだ。お互い大人になり、慌ただしい生活を送る毎日の中で、昔のような長い手紙を頻繁に送り合うことはもうできないだろう。それでも、不思議と清々しい気持ちでそれを受け入れられる自分がいるのだった。

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《著者プロフィール》
宮崎信恵(みやざきのぶえ)
1984年徳島生まれ。
STOMACHACHE.として妹と共に雑誌などのイラストを手がける。
その他、刺繍・パッチワーク・陶芸・木版画・俳句・自然農を実践する。
http://stomachache.jp
http://nobuemiyazaki.tumblr.com