第1話「フランティックは突然に」

     1

――タツが逮捕されると……聞いとる? 兄弟、ね、あんたの家族のことやろ?

 電話口の女が言う。すでに八十歳を超えているけれど、少なくとも老人のものではない、やけに艶のある声が耳に届いた。郷里の長崎からだった。迫り上がった酸っぱいものが喉を灼く。

 女、それはきっと間違いなく僕の母なのだが、ユーキという名の彼女が続けた、逮捕の後の「……」がよく聴こえていなかった。誰かに死んでもらうとか、あるいは彼女が死ななければとか、もしかしたら、遠く離れた僕も含めてみんなで死のうと誘っていたのかもしれない。

 たまに人語が無機質な音になる。とても暑い夏、揺らめく水の中、プールのザラついた底まで潜ったとき、そのサイドや水面に身体を出して騒いでる人たちの物音のような、ゴボゴボとした。だからつまり、彼女は母と名乗る鳥だか哺乳類の鳴き声を発していたんだと捉えていた。

 母=女=ユーキは僕の返答、べつに息子でなくてもいい、電話の相手が単に生きている人間ならそれでいい、そんな言葉を待っている。

 ああ、うん、聞こえとる。

 不意にプールを連想したのは、磨き立てられたガラス窓、それを隔てて眼下に見える白昼夢じみた油照りしたビル群。加えてひんやりとアロハシャツの袖から出た腕を撫でるエアコンの冷風のせいだったのか。

――アニキのことやろ?

 背中に僕は視線を感じ、肩越しに軽く振り返った。ここは出版社の最上階にある〝特別〟という冠をつけた談話室。大人二人分の高さのある大窓がぐるりに嵌め込まれ、僕はその直角隅っこに立ち、空梅雨のせいでジリジリ灼けるガラスの熱さを感じながら、背後の机についた二人の視線を確かめる。長崎からのコールは仕事中にかかってきたのだ。

 一人は僕のインタビュー相手であるドキュメンタリー映画の監督F氏で、もう一人、僕らの編集者が彼の斜向かいに座っている。いつもは週刊誌の仕事が多いのだが、これは書籍の仕事だった。丸顔の監督は特徴的な大きな眼をまっすぐに向け、面長で端正なつくりの編集者は監督の視線を追って軽く身体を捻って窺っていた。編集者の長い髪が捩れて波打ち、陽光で輝いている。

 僕は母=ユーキに後でかけ直すと断り、インタビューを始めるために監督の前に戻った。主な話題は監督のお姉さんの病気、統合失調症についてで、大発作を起こした後に両親が病気を隠蔽し続け、適切な治療を受けさせなかった挿話だった。僕は監督が穏やかに訥々と語る声に応じながらも引き摺られてしまう、というか心が粟立つ――兄というかタツのことが――。

「Kさん、何か新しく動きがあったんですか、お兄さんのこと」

 F氏が休憩中にアイスコーヒーが注がれたグラスを半ば持ち上げたまま訊いてきた。管財人を入れるとか、弁護士に処理を頼むとか言ってらしたけど? 彼の質問に被せて編集者も口にする。彼らは先週から僕が抱えているタツの問題を知っていた。

「家族は難しいですね」

 F氏は呟く。また胃液が喉を刺激する。なるほど。家・族、ね。家と族は分けたいな。それで僕は、ああ確かに事情が込み入った家だと余計に拗れ続けるから、と投げやりに彼や編集者にではなく、その場に漂う実体のない誰かへ嘲笑ってみせた。

     2

 ことの始まりは――本当の始まりなんて遡れば、僕の生まれる以前、いやもう関係者全員の話になるだろうが――翌日からの仕事を思うと物憂くなる日曜日の真夜中だ。3DKと書けば聞こえはいいが、広さは五〇平米もない僕とEとビビが住むマンション。杉浦茂やpanpanya、小笠原鳥類からジョージ・エリオットなど雑多な本に囲まれた和室に家族三人が川の字で床についてしばらくすると、隅に放り出しておいた携帯が振動した。急な原稿依頼や取材の相談かもしれないので、僕は家族を起こさないように、布団からジリジリ這い出して光る端末を取った。母と名乗る故郷の女=ユーキからだ。煩わしい。

 閉め切ると蒸す六月の夜、少し開けた窓から濡れたように重い夜風が入り、カーテンが鈍く揺れていた。八十を超して心臓も悪いという親が気にかからないと言えば嘘になるが、LINEを書けるくらいなのだから大した話ではないだろうと電源を切った。主夫の僕は明日も早い。

 翌朝、制服を着て夏の気配のする外へ飛び出した娘のビビと入れ替わりに、シャワーを浴びたEがリビングに現れる。彼女に僕は娘がフレンチトーストを食べながら夏休みに登る予定の乗鞍岳でやりたいこと、霧にけぶったハイマツの繁みで雷鳥を探し、オコジョも見たいとか、ブラスバンドの先輩がカーレース狂でサックスの指導などそっちのけであることなど、散漫だけれど充分に詩と冒険を感じる、親なら誰しも子の話に対して思うだろう話を伝えた。Eはぬるいコーヒーを啜りながら時折、アハハと大笑いする。

 Eは山もいいけど、今年は海にも行きたいなと口にして、いつ調べたのか新潟の笹川流れの画像をかざした。濃い緑の海水が玉砂利を洗う画。僕は汚れた皿をゴワつく魚型のスポンジで擦りながら、夏前の収入はいくらになるのか気にして、曖昧に行くのか行かないのか明言せずにいた。毎日のことだ。幾重にも何かをまとった夜が消えて、素っ裸の朝が始まる。決まったものではないセレモニー。

 その後、やっと玄関脇にある納戸と仕事部屋を兼ねた場所、東向きで陽光が無遠慮に入る中で昨夜のLINEを確かめた。

「タツが三千万、使い込んでたそうです。さっき向こうの家から教えられました。心臓が止まるかと思いました。明日、弁護士に相談へ行く予定。心配しないで」

 僕は顔を歪めて、なんでこんなこと書くかね、と呟いてしまう。メッセージアプリで伝えるには重すぎるだろう。取ってつけたように心配するなという結び。これは暗に電話をくれというサインだ。我知らず腰掛けているバランスチェアを小刻みに揺らしてしまう。

 神経質にギシギシ椅子を揺らして、うるさかったのか、しばらくしてEが、どした? 何かあった? と、戸口へ顔を出して訊く。僕は、あーとか、ううとか唸って、銀行に記帳に行くと告げると外に出て行く。通帳は持たずに、煙草入れとマッチをチノパンのポケットに突っ込んで。通りに出ると、眩く照ったアスファルトを走る熱風が頬を打った。

     3

 タツは九歳上、そして僕の兄らしい。一緒に暮らしたのは僕が八歳から十一歳になるまでの四年間で、それ以外は〝訪問者〟だった。

 最初はユーキへの週末の面会者として。

 その次は失踪者として。

 僕が物心をついた頃に彼はじゅうぶん大人に見えたものだ。十三歳になっていた時には一七〇センチはあったろう。背丈は高校に入る頃には一九〇センチを超え、とてもひどく痩せていて、ジーンズのウエストは詰めなくてはずり落ちるほどだったけれど、丈はそのままでいいほど脚は長かった。

 タツの姿を思い出してみると、人としての印象より細い樹木、枝も幹も細っこくて高さだけはある樹木、とくに沙羅の木に似ていた。幹は滑っこく美しい。けれど枝も含めて細くて角張り、丸みがない。そんな樹木だ。もっとも僕が生まれつき遠くも近くも満足に見えない弱視で、眼鏡をかけるようになったのが遅過ぎたせいもあるだろう。その木人の顔立ちは、落ち窪んだ眼窩に底光りする瞳と尖った鼻が特徴的だった。よく港に停泊した客船の外国人観光客からHola、あるいはXin chào、その他だとNamasteなんて言語で挨拶されるほど日本人離れしていた。だから僕と並んで兄弟だとわかる者はほとんどいない。身内の大伯母ですら、あんたらはぜんぜん似ておらん、まるで別人ばい、と盆暮に会うたびに笑っていた。それはそうなのだよ、ね。一九二七年、女学生としてハイキュー選手として名を馳せた大伯母は視力自慢。彼女は理由は知っていたはずだけれど、すっとぼけてばかりだった。

 タツとは一緒に住む期間は短かったし、言ってみれば週末兄弟だったが、とりあえず当たり前に〝兄ちゃん〟と呼んでいた。呼ばなかったのは一度だけだ。

 そう、他人のフリをしたことがある。僕が小学校五年だったろうか、いや、どす黒い鉄砲水が家屋が密集した斜面を削り、既に街を喰んでいた海にすべて呑み込こませた一九八二年の大水害の前だったから、あれは三年生の頃? 港に続く緩い坂道を歩いてくる青年が見えたのは。

 ツンツンに立てた髪を紫色に染め、よれたタイダイのTシャツを着て破れたスリムジーンズを穿いていた。下校途中、隣にいた同級生が、「なんやあれ!」と嘲りの声を上げ、指差す先を見て、それがタツだとすぐにわかったが、「ありゃどこのバカやろか」と笑った。

 タツはRCにイカれていた。忌野清志郎と共通点なんか何もないくせに。髪を突き立てたところでRCの誰にも似ていないのに。佐世保から飛んでくるFENを聴き込んでいた兄は洋楽、とくにボウイやシーナ―・イーストンが好きで、会えば無理やり僕にメタルテープに録音した曲を聴かせまくっていたのに。彼に洗脳された僕は向こうから手を振ってきても、知らんぷりをして坂を下っていった。思えば、一九八〇年代はじめに生きた日本人のティーンエイジャーの変節を責めるのは酷なのかもしれない。誰もが日々変身したかった時代だったのだから。それが歴史。

 あの時以外は、タツは〝兄ちゃん〟だった気がするが、いま五十を過ぎて考えてみると、兄という呼び方以外、何が僕らを兄弟にしていたのか覚束なくなる。タツはラジオを器用に組み立て、短波放送を拾える改造を施し、瓦屋根に登って午前零時過ぎれば関西・関東のラジオ放送を拾える手製の傘型アンテナを設置した。

 思い出がらみで飛び出すのは電波のことばかり。夜中の電波。不可視の信号、息づいた声が届く魔法。そんな儚いもので兄と弟と位置付けられていた。

     4

 僕は女で母=ユーキへ電話をするつもりで、まばらにシャッターが開いた商店街を行きつ戻りつしながら、兄がどんな人間だったか、よくわかってなかったことを知る。わからないのは、彼女も同じだったろう。誰だって、タツ本人もわかっているものかどうか。

 僕は日陰のない商店街を抜け、中央線が行き交うたびに異様に反響する線路下のトンネルをくぐり、からまった藤の枝葉に握りつぶされそうな雑居ビルの前にいた。わずかに薄暗いそこで何の感触もしないデバイスに触れた。下手すれば夜通し待っていたのかもしれない、ワンコールで彼女は電話を取った。

――いま鍛冶屋町のほら、金看板のあるところ。そこの電停の近くに来とると。約束の時間まで一時間あるばってん、気が急いてから早う着いてしもうてさ。そいでね……

 昨夜から混乱が続いているのだろう、最初にユーキが何を喋っているのか、やはり水中で聴く物音。よくわからなかった。僕は親へ向かって曖昧な相槌を打つ。

 で、アニキは今どこにおると?

――アパートさ、自分の。エッちゃんとマア坊(タツの嫁と娘だ。嫁という人は病気がちでマア坊はビビと同い年でたまに見る写真では父親似だった)は義父さんところでさ。逃げるかもしれんから外に南京錠つけて、義弟が見張っとるらしか。

 軟禁じゃないか、と言いかけたが、母は知っている限りの顛末を喋り出す。タツが使い込んだという金は、義父と義弟を騙ってクレジットカードを拵え、手に入れたということだった。一人ではなく、スジの悪い貸金業者と組んでという話だ。

 どうしてそういうやつと知り合ったとやろうか?

――どうも最初はタツが自分でロレックスとか買い込んで転売しとったとけど、お金の回らんようになって借りたとが、そん男らしかとけど。

 そんなら共犯つきの横領や詐欺じゃないの。

 詐欺という言葉に彼女は猛烈なアレルギーがあるので、そんな言葉を使わんで! と金切り声が返ってきた。僕には動物の鳴き声でしかないのだけれど、耳に鋭く響く。

 タツの義父は国政与党と関係している宗教団体幹部であり、県議会議員か議長を務めた政治家で、簡単な話、それなりの名士だ。僕にとっては兄の結婚式(というより、兄たちが信じる神への誓いの儀式)に招かれた時に挨拶した程度だ。そのさい、家の鴨居に眼光鋭く禿げ上がった教育者のような男が粗末な椅子に腰掛けた一葉と、チョビ髭に丸眼鏡で浮世離れした顔立ちの男が仏閣の前に立つ、縁が色褪せた白黒の肖像写真が掲げてあったのを覚えている。僕が子供の頃に大伯母の家で見たことのある御真影、あるいは華僑の友人の居間にかかっていた革命家孫文の肖像。歴史的。得体の知れない、かったるい重さが漂っていた。ともかく兄の義父にも何がしかの揺るぎない信念=歴史があって、それを立派に飯の種にしているんだろう。それならそれで結構なこと、と思ったものだった。信念が生み出す稼ぎをタツが協力者はいるものの騙してモノにしたというのには驚いた。タツも嫁とその家・族と同じものを熱心に信じていて、組織の青年部に属していたはずだから。裏切り? 少なくとも自宅アパートを座敷牢代わりに閉じ込められているのは、向こうの一家にそう思われているからだろう。

 なんでアニキ、そんなことを、と僕が訊くと、ユーキは電話口で声を落として病気かもしれないし、二年前のあの事故のせいかもしれない、それにあの子は素直で騙されやすいし、と答える。タツは六十歳を過ぎている。その彼に〝あの子〟呼びはないだろう……親というものは。

――いや、あん事故も病気のせいかもしれん。そうじゃなからんば、こげんこと。 

 急に確証を得たような口調になった。ユーキがホステスとして街の不夜城で幅を利かせていた、一分の隙もない化粧と衣装が目に浮かぶ。思い出す。誰か、自分が必要とする相手と対する場合に必ず示してきた習性。頭のてっぺんから足先まで硬い芯が通ったような佇まい。

 あれだけ僕からの電話を暗々裏に誘ったくせに彼女は弁護士事務所に入って待つからと慌ただしく通話を切ってしまう。僕は事情が明らかでないまま、湿っぽい繰言を聞かせられるよりマシだったので、ホッとして腰掛けていたビールケースから立ち上がる。藤の葉陰から強い日差しが疎に差してきた。

     5

 彼女が語った事故を、すっかり僕は忘れていた。タツは四年ほど前に自動車を壁に激突させたのだ。あの時も夜中にLINEで報せが届いた。軽薄な報告手段。やたらとシフトに入っていた看護士であるタツは夜勤前にウネウネと曲がりくねった自宅近くの坂道を突然直進し、国道に出る手前にあった石垣補強した法面に激突させたのだった。

 タツは集中治療室に運ばれ、事故の検証が長崎県警が行った。たしか彼のワゴンRはガレージを出たところで六十キロを超えていて、無灯火のまま細い九十九折の道にある側溝や縁石を飛び越え続けたらしい。脳裏に激走するルパンのフィアット500が過ぎる。

 報せを受けて僕は自殺だと思ったけれど、事故後二週間は経ち、意識も取り戻していたタツが証言した通りに車両故障で処理されたようだ。彼の意思なのか、世間体を気にした誰かからそう説明するように説得されたのかはわからない。とにかく警察は素直にタツの話を受け容れた。
 故障って本当?

 僕は不審に思って、タツに電話をかけた。帰省して見舞いに行くということは考えもしなかった。怖かったのか、煩わしかったのか。あらゆる家・族が疎ましいと思ってはいた気がする。

 ベッドに寝かされているはずのタツは半分潰れた喉仏のせいか、ざらついた声で、

――とにかくさ、真っ直ぐ突っ込んでったとさ。

 と、答えたきり押し黙った。十年近く互いに連絡を取ってない相手に何を話せばいいのか、考える気力も体力もなかったのだろう。短い言葉の後の沈黙が長かった。なんとなくステアリングに前頭部を強打し、紫斑の浮いた顔、真ん中から折れて腫れ上がった鼻が思い浮かぶ。それは八〇年代、ラジオを通じて遊んでいた〝兄ちゃん〟と呼んだ少年の顔でしかない。

 タツの荒い息遣いを耳にして、僕は病室で訊くべきだったと悔やんだ。お大事に、とだけ告げると逃げるように通話を切り、もう一人にコールした。

 あれは自殺じゃないんですか? 何も事実を突っついて、ことを荒立てる気はないんですけど。表向きは凪がいいと思ってますけど、気になったもんで。

 電話口に立っている義父は、僕の疑問を笑って跳ね除け、タツ君には自殺する理由がないじゃないかと言った。ホスピスで病棟の誰よりも献身的に働き、妻子を大事に扱い、釈尊への信仰も厚い。三大美徳の保証の保証。口ぶりは自身の政治と宗教信条を語る程度に力強かった。僕は自分のことを顧みて、人間なんて大した理由がなくたって自殺は出来るものですよ。理由があれば尚更、ちゃんとやれます、とは反論せずに、事故の後に馬鹿なことを尋ねたことを詫びて会話を終わらせた。

 けれど、タツが自殺する理由はあると思っていたし、その理由の一部、もしかすると大部分を僕が占めていると感じてもいた。責任を負うのは真っ平だけれど、僕が元凶だとタツが指弾するなら仕方ない。家とか族の話とは別に彼との関係で、ずっと思ってきたことだから。僕が寝ている時に息の根を止めようと押し付けてきた枕の感触。夏のプールで限界まで潜ってみたような苦しさ。懐かしさ。

 タツへの見舞いに足繁く通ったユーキもわかっていた。それは親として。そうなっても変じゃない、むしろ自然な反応だということを。電話で彼女は言ったように。

 事故も病気のせいかもしれん。そうじゃなからんば、こげんこと。 

 長崎で僕の家・族と深く付き合った人間なら、ライトも点けずに曲がりくねった坂道をアニメのフィアット500みたいに車を走らせ、コンクリートに激突してみせた、タツの夜を説明はできるはず。勇気。諦め。自己滅却の希望。とにかく、頭の中で暴れる強い何かに導かれて彼はやったんだ、と。死んだ祖父母も大伯母も伯父、そしてユーキと、その愛人、この僕だって賢しら顔をぶら下げて言うのだ。

     6

「へえ、乗鞍岳の前に新潟の海ですか。いいなあ。でも家族三人でしょ、予算は大丈夫なんです?」

 僕は大丈夫かなあ、でも夏の恒例ってことになっちゃってるから、と答えた。

「原稿料、前借りしてるんでしょう。稿料借りまくりの僕がいうの変だけど、この不景気に出版社が追加で借してくれます?」

 Nさんならまだ貸してくれるかもしれないけど、僕はどうだろう。いま抱えてる脚本とか編集の仕事を納めて、それからなら、なんとかなるんじゃないかな。

「俺はもう無理ですよ。Yさんくらいじゃないですかね、前借りオーケーは、もはや。何これ、美味い。なんて名前でしたっけ?」

 薄暗い喫茶店。窓から近くの公園と池に漂う緑色粒子が届いている。以前、行き場を失った僕の原稿を出版社に売り込んでくれたNがシュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテをフォークで突きながら笑う。

「へえ、〝黒い森のサクランボ〟。ハードコアテクノの名前みたい。これ奢りじゃないと食べないな。もう一個いいすか」

 友人知人の家を転々としている彼は僕の返事を待たずにカウンターにいる店主へ追加を注文した。ドイツ語、フランス語も理解し、通読が困難なセリーヌ『北』やシュティフター『晩夏』に関して愉しく語れるN。美術から音楽まで自在に操る彼は常に、いついかなる時も文無しで自分の演奏機材や倉庫に預けてあるCDやレコード、絵画を売って糊口をしのいでいる。ボヘミアンというなら、こういう人を指すのだろう。そんなNの小遣いにでもなればと原稿を依頼したのだった。絡みつくタツの件から暫し離れたい、そんな寄り道のつもりもある。

 縮れた肩まで届く髪と悪戯小僧の眼をしたNは先年、両親がぽっくり死んでいて、お悔やみを告げた僕に「厄介払いが出来てよかった、それだけですよ」と吐き捨てるように言っていた。その様子が僕には小気味よかった。「へえ、マジすか、お兄さんが逮捕かも。だるいね、くそだるい。騙した額が三千万? どうやったんですか。そっちが気になる」

 僕はタツが高級腕時計を転売する商売に誘われたという話をした。Nはクレジットカードを拵えるのにタツが僕の名義を騙らなかったのはラッキーだったっすねと、額にかかる縮れ毛を払いながら言った。僕は、自分なんかカネもないし、利用する価値はないよ、と答えた。でも言われれば確かにタツは僕を騙りの手段に使わなかった。

 長崎から逮捕話が届いてから、おおよそ半月後の今朝、未だタツはアパートに軟禁中で義父と弟側が警察に届けを出すかどうか保留中だとユーキから知らされた。それを聞いた僕が閉じ込められているアニキ、イメージしたのはアウンサンスーチーと言うと、Nは仰け反らして笑ってみせた。

「なんか気の毒っすね、お兄さん」

 僕は電話でユーキに対し、あっちの家の問題なら、向こうで処理すりゃいい。だってアニキは大人だよ、と言うと、彼女は責任の一端を被せてきてるから仕方ないとボソボソ答えた。タツと一緒になって騙したという業者は雲隠れしてしまってるのも、共犯者を庇っていると疑われているらしい。

 話に耳を傾けるNは変に粛然として「その相棒は正しい。全く正しいな」と頷く。そして促されもしないのに僕は今朝のやり取りを続ける。

――放っておいたら被害届を出されて逮捕されるとよ? 弁護士さんは責任能力のあるなしを鑑定してもらえって。

 やればいいじゃない、アニキの弁護士が言うなら話は早い。事故のこともあったし、今回だって相当なことだ。するとユーキは弁護士がタツと接見してみて、担当するのを渋ってるのだという。なんで? 

――とにかく話にならんとって、雇う気もあるのかないのかハッキリしないって。

 僕は彼女にタツと会ったのかと訊いた。

――アパートの玄関先で会ったけど、弟さんが見張っとる前でね……そうしたら昔のこと、あたしが自分を棄てたからとか、ずううっと、母さんを責めるっさ。耐えられんけん、一回だけで懲りたと。弁護士さんも向こうの家も刺激せんほうが良かって言うもんやし。母さん、どげんしようかね……。

 ユーキは泣いていた。〝母さん〟か。その言葉の重ったるさに耐えられず、僕は東京だからどうなるかわからないけれど、こっちの弁護士にも相談してみると答えたのだった。

「しっかしヤバいっすねえ。還暦過ぎて幽閉されてる息子が八十の親を責めるとか、もう地獄絵図じゃないですか。あ、このキルシュトルテ、残り良かったらどうぞ」

 そうなんだよね。こっちは逆流性食道炎で喉は灼けちゃうし、おまけに痔まで。堪んないよ。で、知り合いの弁護士に声をかけて、リモートで面談ってところまで行ったのに当人がこっちの電話もメールも受け付けないし。

 弁護士の件でタツに電話したのは自動車事故以来だった。紀尾井町にある弁護士事務所を出た僕は、暑さで地表から空まで煮える中、応答音声があるまで待った。留守電にメッセージが残せればと思ったけれど、自動音声はかけ直すように告げるだけだった。仕方がないのでタツのショートメールとEメールへ〝トラブル聞いた。弁護士、話したいと言ってる、連絡斯う〟と打ち込む。文末に 〝弟〟と書きかけてやめた。名前のSとだけ入力し返事を待ったが音沙汰はなかった。

 おふくろはあっちの家に弁済するから実家を売るとか言ってて。歳も歳だから孫も連れて帰って来いっていうんですよ。

 そうNに苦笑いしながら咀嚼した黒い森のサクランボはコーヒーと迫り上がる胃液に混ざって血の味がした。

「で、長崎に帰るんですか」

 Nは窓から漏れる光に眼を細める。僕は痛み出した尻を浮かせて、どうするかなあと曖昧に応えた。僕の煮え切らなさのせいか、僅かだけれど彼は普段、弛みがちな頬を突っ張らせたように見えた。それは彼が忌み嫌うような話題を僕が無理に聞かせていることへの不快感も含まれていたように思う。

 ユーキが帰省しろと頼んでくる予想はしていたけれど、僕はまだ故郷に帰り、家・族の泥濘に足を突っ込む準備が出来ていない。もし深入りすれば今の生活を失う気配も感じていた。だから痔の手術を盾にして、ことが済んでから旅程を考えると答えたきり、今日の今日まで宙ぶらりんのままにしている。僕はその考えをNには話さず、黙ってぬるい水を飲んだ。

「東京が地元だから面倒が少なくていいけど、なまじ田舎があるとめんどいっすね」

 Nは立ち上がり、機材を詰めたリュックを背負い、手売りのCDを入れたキャリーケースをガタピシいわせてライブに出かけて行った。家族関係はどうでもいいですけど、痔だけは治した方がいいっすよ。店のドアベルを鳴らした後、彼は肩越しに振り返って告げた。さらば友よ、という感じで。

     7

 フランティックな朝がやってきた
 ふらふらフラン
 フランティックでスリリング
 フランティックな朝、朝
 ふらふらふらん、フランティック

 誰の詩だっけ。

 混み合う東京駅構内に漂う匂い。バニラに柑橘に沈香の。それはバックパックやカート携え、色とりどりのTシャツ、ショートパンツで装った海外からの旅行者たち、アスファルトから湧いてきたような彼、彼女らがたなびかせている香りだろう。そ外気を包む盛夏の熱気がホームから流れ、構内の冷気とぶつかり合っていた。

 詩じゃないな、コマーシャルソング?

「なにふんふん言ってるの」と、麦わら帽を被ったEが訊く。国籍の違う旅行者たちと変わらない格好の彼女は手に取った雑誌二冊のうち、どちらを買うか尋ねたいようだった。歌の文句か、詩を思い出したけど、何なのかわからないんだ。へえ。Eは踵を返して、マンガの棚の前にいるビビに向かう。僕はバックパックを背負った彼女らをぼんやり眺めながら、ボトルに詰めた冷たいミントティでロキソニンを流し込む。先週受けた手術の痛みがまだ抜けていず、活きのいいままだ。

 長崎へ帰るのを渋る理由で持ち出した痔は思わぬ難敵だった。二〇一一年三月十一日の東日本大震災が起きた四ヶ月後だったか、月刊誌で東京電力と福島の原発事故を取材していたのだけれど、収束の見えなさ、大きめの余震、不可視の物質の測定調査に疲れて重い痔を患った。その際に新橋の名医に執刀してもらった。変な話だけれど、アフリカ象の研究を中曽根康弘の支援で行っていた動物学者の紹介だった。象に関するフィールドワークは痔との戦いなのよ、と彼女が教えてくれたのをよく憶えている。その手術は痛みすらなく、大腸ポリープも切除してもらえて、僕には良い体験だった。今回もそこでと思っていたら、その名医は引退していた。代わりに地元で肛門科を探し、まあまあの口コミだったから受診したが、手術がいけなかった。麻酔をすると、頭と口だけは朦朧としたが下半身の感覚だけ生々しいまま。効いてません、と泣き声で医者に訴えたが言葉にならない。途中、医者も気がついたようだが、深呼吸して、深呼吸を、とお題目のように呟きながらオペを続行したのだった。ラマーズ法じゃないのに。僕は恥ずかしい話、死ぬ、死ぬ、と呂律の回らない口で叫んでばかりいた。

 だからこの東京駅の中にある書店でも尻がズキズキ痛んでいたのだ。それを鎮めるために不意に飛び出したのが〝ふらふらふらん、フランティック〟という言葉の連なりだった。フランティックは〝必死の〟〝取り乱した〟〝大慌ての〟という形容詞だとウィズダム英和辞典に出ているはずだ。

 ふらふらふらん、フランティック  

 まだ新幹線の出発には間がある。本を選びに夢中なEとビビにトイレと電話をすると言い置いて、そこから少し離れた丸の内改札の柵のそば、不思議に雑踏のエアポケットになった場所へ歩いた。腕時計は十時半を回ったところ。このまま行くのか。鎮痛剤はまだ効かないでいる。

 手術後、長崎のユーキから一度断った弁護士が担当を引き受けてくれ、タツの責任能力鑑定をやることになったこと、そして帰省する旅費を送金したというメッセージが届いた。口座を確かめると一人分ではなかった。

――みんなの分よ。あんた稼ぎはなかろうけん。あたしも今回のことで参ってるけん、ビビに会いたかと。家の処分やら、タツの鑑定にも立ち合って欲しかとさ。

 電話口のユーキが形のいい眉を寄せるのが眼に浮かぶ。んん、まだ手術の加減も悪かし、こっちに抱えとる仕事も片づかんから。僕は逃げを打つ。

――あんた、自分のことばっかり。家族のことやろ、東京におってばかりで何もしてくれんたい。

 彼女が我慢してきたものを、控えめだが、搦手でぶつけてくるのはわかる。わかりすぎる。普通の家族ならそうかもしれない。けれど、僕ら家・族は、或る嘘で作られたものだった。嘘。それは誇張でもなんでもない。それをユーキが忘れたはずはない。このやり取りは一種の心理ゲームになっていた。字面では当たり前の家族の対話。その薄皮の下には虚構が根を張っていた。

 柵にもたれて僕は落ち着かないまま、尻ポケットから携帯を取り出して長崎からのメッセージを眺める。

「楽しみに待ってます」

 出発時間、駅弁と飲み物を買い、Eとビビと僕は新幹線に乗り込んだ。ホームを覆う屋根の隙間から青々した空が見える。

 フランティックな朝がやってきた
 ふらふらフラン
 フランティックでスリリング

 ああ、そうだった。これはタツのものだ。

 まだ僕が小学生の頃、祖父母が寝静まり、ユーキが夜の街でまだ働いている時間、布団にくるまって二人で聴いたラジオ。そのコマーシャル中、急に彼が口ずさみ、僕を笑わせた。傍の祖母が起こさないよう、忍び笑ったつもりだけれど、一度笑えばエコー効果で発作的になって終いには涙が出てしまった。

 こんなタツのような、笑いで浮き立たせる言葉は作れない。僕と彼は父親が違う。育った流れも違う。だから故郷へは帰らない。 

 向かうのは透けた深緑の海。波はぶるぶるとゼリーのように逆立ち、底に見える玉砂利は赤銅色、青銅色、陰気さのない灰色で前後左右、自由自在に転がり游ぶ。どれも生きてる?

 新潟の海を僕は選んだ。なぜ新潟か。Eがまだビビを産む前に一人、あてもなく夏のドライブに出かけた際、飛び込みで泊まった宿が柏崎近くの海の家だったからだ。Eはビビに一度、日本海へ沈む太陽と砂浜を見せたいと言っていた。砂浜が弓形に広がり、夜になると夜光虫が渚を洗うんだ。僕も、その海は眺めてみたかった。

 新幹線は大宮の灰色な街並みを過ぎていく。嘘で作られた家・族に今は足を踏み入れたくない。百万語を費やしても理屈は通らないかもしれないけれど、僕の父親は詐欺師だったから。それがおそらく、すべての分岐点になっているのを知っているから。家には帰らない。

 それが現実、それが真実。

 街を抜け、山々を突き、新幹線は僕らを乗せて海へ向かっていく。

(第2話「はるかなひと」へ続く)