#01「庭のパライソ」
イルリヒト
ある一家でイヌを飼う事になった。近所から貰い受けた、柴犬のような雑種だった。小学生の長男は室内で飼いたいとねだったが、母に却下され、庭に犬小屋を置くことになった。元来動物好きであった一家の主人つまり父は、”世間一般における外飼いのイヌの大多数が犬小屋の脇に打ち込まれたアンカーに短いチェーンで拘束された状態で極めて不自由に過ごしている”という事を日頃から不憫に思っており(ほんとうは生き物を飼育するという事自体に後ろめたさを感じる性質であった)、我が家のイヌであれば少しでも自由に動き回れるようにしてやりたいと考えた。しかし放し飼いにするにも敷地全てを柵で囲える程の金銭的余裕は無い。そこで正方形の庭の対角に1本ずつ支柱を建てて間に頑丈なワイヤーを張り、そこに片方を輪にしたチェーンを通して、さらにそのチェーンの先端にイヌの首輪に付けたリードを連結するという、いわば[敷地内限定放し飼い装置]を作り、イヌが庭のほぼ全域を動き回る事が出来るようにした。この装置は思いがけず一部の動物好きな近隣住民から賞賛を受け、さらに度々遊びに来る長男の友人達からも好評を得た。
犬はパライソと名付けられた。パライソはつぶらで真っ黒な瞳を持ち、こんがりと美味しそうに焼けたパンのような、いわゆるキツネ色の滑らかな毛並みをしていた。そして、人懐っこいがおとなしい性格であり、騒がしく吠え立てるような事もほとんどなかった。偏食が多い長男は夕食のおかずを度々残してはこっそりとパライソに与えていたのだが、そのせいでパライソはすっかり彼に懐いてしまい、少しでも庭先に顔を出せば、すぐさま嬉しそうに駆け寄って来るのであった。彼もそんなパライソが大好きになった。彼が学校から帰ってくると、パライソはワイヤーの音をシャーーーーーーーッと響かせながら凄まじい勢いで駆け寄って来る。よほど彼のことが好きなのだろう。しかし勢い余って行動範囲外まで飛び出しては首吊り状態になり、一度キャインと鳴いては引き戻されて我に返るという、まるで天国から地獄に自ら飛び込むようなルーティンを日々繰り返していた。可哀想に思った長男は、父にこの装置の改善を願い出たが聞き入れられず、それからは一旦裏口から帰宅して屋内から庭に顔を出す事にした。
やがて長男は高学年になり、パライソも成犬に育った頃、母がニワトリを飼いたいと言い出した。父はすぐに日曜大工で割としっかりとした鶏小屋を作り、犬小屋から充分離れた庭の一角に設置した。そして母がニワトリのつがいを貰って来た翌日から、一家では朝食に産みたての鶏卵を食べるのが日課となった。肉食の獣類と鳥類という自然界では基本的に食って食われる関係でしかないはずのイヌとニワトリだが、何故かパライソはニワトリたちには無関心な様子であった。父は「それは普段からパライソに十分な餌を与えているから当然の事」だと結論し、一家の誰もがそれを確信していた。実際その後も、パライソとニワトリたちは何事もなく共存を続け、日々は平穏に過ぎていった。
それから3ヶ月あまり経ったある日の事、学校から帰った長男がいつものように庭を覗くと、パライソの姿が見えない。チェーンがワイヤーの中程からだらりとぶら下がっており、パライソはその先に連結してあるはずのリードごと居なくなっていた。犬小屋の中にも見当たらない。まさかと思い、慌てて鶏小屋を覗いてみると、地面に厚く敷かれた藁の上に、パライソはまったりと寝そべっていた。よくよく見ると鶏小屋の前面に張られた金網の一部が破れて20センチ程の穴ができており、そこから侵入したようだった。しかし驚くべき事に、その鼻先で平和にぽつぽつと餌をついばんでいる、肉食のケモノとしては格好の獲物のはずであろうニワトリたちには一切目もくれず、ただ藁に埋もれて呑気にくつろいでいるのだった。その様子はまさに牧歌的であった。長男はパライソとニワトリたちがこんなにも仲良く平和に過ごしているという事実に深く感動した。そして彼の報告を受けて鶏小屋の様子を見た父と母は、「ケモノやトリでも人間の愛情を込めて然るべき環境を与えてやれば、こんな風に想いは伝わる。そして自然の摂理すら覆す事さえできるものなのだ」などと得意気に語った。とはいえ今後ニワトリたちが逃げ出したり、野良ネコ等に襲われない様に金網の穴はしっかりと塞がれた。パライソの首輪に付いていたリードはロープで作られており、チェーンと連結されていた持ち手の輪になっている部分がチェーンとの摩擦により切れてしまった様だった。その対策としてリードは金属製のものに交換され、庭はまた元の状態に戻った。
しかしその後、半月も経たずにそれは起こった。帰宅した長男が庭を覗くとパライソの姿がまた見えない。しかしこの間とは状況が少し違っていた。ワイヤーはしなり、チェーンに連結されたリードは真っ直ぐ鶏小屋を指している。そして金網には再びぽっかりと穴が開いており、リードはその真ん中に鋭く突き刺さっていた。小屋の中を覗いてみると、この前と同じようにパライソはのんびりと藁に寝そべっていたのだが、ニワトリたちの姿はどこにも見あたらなかった。パライソは組んだ前足に頭を乗せ、ゆったりとくつろいだまま長男に気づくと、そのみずみずしくつぶらな真っ黒い瞳で彼を無邪気に見つめながら、パタパタと軽やかに尻尾を振った。だがその時、彼はパライソの周囲にいくつかの羽毛が散らばっていることに気づいた。急に不安に襲われた彼は、動悸する胸を震える掌でぐっと押さえながら、鶏小屋の中を見回した。すると小屋の隅の方にニワトリの脚だけが4本、まばらに転がっているのを見つけたのだった。それらは一見作り物の様にも見えたが、近づいて見れば紛れもないニワトリの脚そのものであった。そしてその近くには卵黄がひとつ、傷もなくつややかな球体を保ったまま落ちており、その中心部には有精卵であることを示す円い胚盤がはっきりと見られた。殻は見当たらなかった。息を呑み呆然と立ち尽くす彼を、卵黄はまるでみずみずしくつぶらなオレンジ色に輝く眼球のごとく、じっと見つめていた。
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◾️イルリヒト
音楽家/文筆家/画家
アコースティックギターと電子楽器による即興演奏を主とした公演活動を行なっている。2024年よりアヴァンポップバンド「マヴォ」にてヴォーカル&メロトロン担当。
【Soundcloud】
https://soundcloud.com/illricht
【マヴォ X】
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【マヴォ Bandcamp】
https://mavoist.bandcamp.com/
🎸マヴォ ライブ情報⚡️
★11月10日(日) 西荻窪PitBar
[Song is Answer,Think of Song vol.8]
OPEN/START 16:00/16:30
前売/当日 ¥2500/¥2800
[ACT]
❶S.A.T.S
❷nonlot
❸Hundora
❹MAD MISSION
❺破壊光線
❻SUSTINARS
❼マヴォ
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問い合わせ:「マヴォ X」まで