国境線上の蟹 2


不可逆の道の上で
 見渡す限りの赤土やサンドベージュと、水分を失わないよう葉をトゲ状に作り変えた灌木だけが延々と続くアメリカ合衆国南西部の内陸。遠くにそびえるメサ(テーブル上の岩山)以外には変化のほとんどないこの土地をひとりで走れるだけ走る、本質的にはそれだけのためにこの大陸へと渡ることがしばしばある。情報や意味からできるだけ遠くに逃れるように車を飛ばし、3ガロンぶん積み込んだペットボトルの水を次々に飲み干してはハッチバックに放り投げ、ただ延々と続く虚無に全神経を澄ませる。
「観光」を促すものの何一つない、この風景が心地いい。大地は太古の昔から大地なのであって、我々に来て、見てもらおうなどと思ったこともないし、誰の「いいね!」も必要としない。世界はそもそも我々のためになど存在していないということを、この風景は教えてくれる。
 貨幣や名誉といったあらゆる現世的な価値観が意味をなさないこの広大無辺の荒野において、自分を現代の旅人たらしめているものは、目の前を貫いてまっすぐ地平線の先に伸びる道だけだ。合衆国をサイコロステーキのように切り分けるインターステート・ハイウェイ、単に「ルート」とも呼ばれるUSハイウェイ、より細かく張り巡らされた州道などなど。記憶も感情も飲み込まれてしまいそうな巨大な空間の中で、わずかに己を次のどこか、次の誰か、次の何かに結びつけてくれるこの道に、必死にしがみつく虫のように車を走らせる。日本において「道」というと「武道」のように強固な意志を持って選びとられる何かを連想するが、この大地においては、我々にほとんど唯一残された選択肢だ。ここから振り落とされたら、もうどこにも戻れない。
 どこにも戻れない?
 わずか500年ほど前まで、そもそもここには道などなかったではないか。
 その頃、この平原にはただ大地があり、山々があり、太陽が輝き、時に雨が降り、雪が降っていた。そして、そこを歩く赤い肌の人たちがいた。現在ではネイティブ・アメリカンと総称される彼らはまだ馬に出会ったこともなく、何日もかけて何万キロと歩きながら、この土地の言葉であらゆるものを歌にし、名付けていった。やがて東や南から白い肌の人たちが馬でやってきて、奪い、追い立て、殺した。白い人たちの言葉で名付けられた街が生まれ、白い人たちの言葉で名付けられた子供が生まれ、馬車のための道が作られ、そのうちに鉄道が走り、さらに多くの白い人たちがやってきて、奪い、追い立て、殺した。
 ゴールドラッシュに沸く1838年、主に金採掘者の利権確保のために17000人のチェロキー族が父祖の地を銃で追われ、厳寒の荒野を約1900km歩いて強制移住させられ、うち4000人が飢えと寒さで命を落とした。(チェロキーの血を引く人類学者ラッセル・ソーントンは、1984年の調査報告で8000人という数字を挙げている。)彼らが歩いた荒野はのちに、Trail of Tears(涙の道)と呼ばれた。1908年にアイルランド移民の子であるヘンリー・フォードが開発し、アメリカをいよいよ道路の王国にした大衆車・T型フォードの最後の1台——1500万7033台目が1927年5月26日、ミシガン州ハイランドパークの工場でフォード自身の立ち会いのもと組み上げられた頃には、白い人たちは赤い人たちから奪いつくし、狭い土地に押し込めたあとだったので、もう誰も殺されなかった。
 本当は何ひとつ理由のないこの国を、道がかろうじて規定している。ユナイテッド・ステイツ・オブ・アメリカ、自由と平等というフィクションによって成立したこの帝国をフィジカルに繋ぎ止め、その上を走る者に【この先にそれがあるのだ】という希望あるいは幻想を抱かせるには、この広大な大地を貫く道は十分にドラマティックな舞台装置だ。
〈すべてのものが道に位置を占め、しかも、何ものも痕跡を残さない。道は無限の無人地域で、すべての人々の共有であり、どこにもとどまることなく、どこへでも通じている。そして道は、まったく空っぽであってさえ、なおかつなんらかの約束をふくむもののように見える。ほんとうの道(カミーノ・レアール)とはそういうものなのだ。〉(『道の文化史』ヘルマン・シュライバー著、関楠生訳 1960 岩波書店)
 人がそこに何らかの思いを託し、その上を走るというフィジカルな体験を重ねるほどアメリカは追認され、補強される。アメリカとは、ほとんど道のことなのだ。

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 1977年にペンシルヴェニア生まれ、ロス・アンジェルス在住のベン・ジョーンズという映像作家/ペインターがいる。この映像のようにジオメトリックでカラフルな図案が織り成す作品があるかと思えば、ここにみられるような毒のあるドローイングもある。いずれも現実離れしているようで、この国におけるリアリスティックな現状認識も感じられる。
 2012年、ビースティー・ボーイズのマイクDがキュレーションした展示「Transmission LA」を見にMOCA(ロス・アンジェルス現代美術館)に行った際、出品されていたこのインスタレーションが強烈に印象に残った。 
 細長いトンネルのような隘路を抜けると、そこには無限の一本道が続く広大な三次元空間。そう、アメリカだ。凶暴な太陽や闇夜に微笑む月を伴侶としながら延々と続く地平線への旅を、我々は追体験することになる。コンピューターゲームを思わせる仮想空間の中で続くロードトリップの中、ゲーム的なタッチで表現されているのはサボテン、路肩の看板、メサといったアメリカ中西部的なオブジェクトと、この大地を走るものの恍惚と倦怠を誘う、目も眩むような光だけ。そして、通常ならゴールもしくは旅の中継拠点となるであろう街影は、時折はるか遠くに見えるものの決してたどり着くことのできない、逃げ水のような場所として描かれる。
 道によって規定され、駆り立てられるように西へ西へと広がってきたこの国において、かつてフロンティアと呼ばれた収奪の最前線が太平洋に到達し物理的に消滅してもなお、あらゆる芸術は常に【この先にそれはあるのか】という逃れられない問いを背負っている。現在においてはなおさら、その再定義という命題が多くのアーティストにあるだろう。
 ジョーンズのこの作品においては、その問いに対する答えは永遠に出ない。なぜなら、この旅はどこにもたどり着かないからだ。地上に現出した仮想空間としてのアメリカ、地理的にも性質的にもその極点として位置づけられるロス・アンジェルス——「天使たち」と名付けられた困惑と刹那の都にこのロードトリップは永遠にたどり着かず、よって終了も幻滅も、そして「アメリカ」の達成も、永遠にない。まるでそれを望むように、アメリカは走り続ける。
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 いいかげん退屈と眠気が襲って来た頃、小さな村にさしかかり、看板に「GUN」と大書された店を通り過ぎてガススタンドに立ち寄る。この国ではほとんどのスタンドがセルフだが、機械だけで全てが完結するタイプはまだそう多くなく、大半は店員に声をかけて給油機をアクティブにしてもらい、支払いはレジでというスタイルだ。会計をしつつコーヒーを頼み、チェックシャツにデニムのベストを着て長い白髪を後ろに束ねた、いかにも「気のいいカウボーイ」という風情の主人と会話しているうち、不意に「どこから来た?」と尋ねられる。
「どこから来た? Where are you from?」は、外見や肌の色を問わず、この大陸を旅する者なら必ず投げかけられる言葉だ。あらゆる者がどこからか来て、【この先にそれがあるのだ】と信じ、どこかへと走っていった。「それ」がある(かもしれない)ことさえ知らなければ故郷を去らず、絶望もせず、もしかしたら殺し殺されずにすんだ者たちもいただろう。だが、知らなかった頃には戻れない。一度道の先に「それ」を幻視してしまった以上、「それ」に振り落とされぬよう、しがみつくように走り続けるしかないのだ。永遠に達成されない、不可逆のアメリカという道の上で。
 かつて奪い、追い立て、殺した者たちにも、彼らを道へと駆り立てた「個の真実」はあったはずだ。その行為を是認などする気はないが、その時々の政治や経済によって〝動員〟されたものの行いをもって個人のすべてを断罪することには、一定の留保が必要だろう。もちろん奪われ、追い立てられ、殺された者たちにも等しく固有の生があったことを忘れるわけにはいかないし、彼らにただ「虐げられし者」というステロタイプの弱者像を押し付けるのも間違っている気がする。ある者は果敢に戦い、ある者は狡猾に出しぬき、あるいは苦渋の末にドルを稼いで生き延びることを選んだ。不可逆の歴史の中で、アメリカをそれぞれに行き交い、生きたのだ。当事者でもなく、その歴史の果てで虫けらのように車を走らせているだけの現代の我々に、彼らの何を裁けるというのだろう。
 そうした個々の人生を一色で塗りつぶす「観光」的暴力から自由であるためにできることはといえば、答えのないままに想像し、書き/語ることしかない。目の前の荒野に、まだ道がなかった頃のことを。そこを歩いていた人々の生を。道を作り、街を作り、人生を作ろうとした人々の営みの、光と影を。そうした行いによってこの不可逆の一本道から思考を脱線させ、過去から連綿と続く長いタイムラインの中に己を再配置し続けることしか、世界の奥行きを垣間見る手段ない。そのために、ある種の旅人はこの大陸を走るのだ。
 

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〈著者プロフィール〉
安東嵩史(あんどうたかふみ)
1981年大分県生まれ。
編集者。移民・移動と表現や表象、メディアの関係を研究することを中心領域とする。
2005年以降、書籍や雑誌からVRまでの発行・執筆・展示・企画などを多数手がける。
2017年にTISSUE Inc. / 出版レーベルTISSUE PAPERSを設立。
ウェブサイトはそろそろ。
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