国境線上の蟹 31

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「みんなが恐ろしい」
 
 今日も、アメリカを走る。
 ロス・アンジェルス、虚飾と刹那にあふれたハリウッドやビバリーヒルズに背を向けて南へ1時間も行けば見えてくる黒々と青い空の下を。カンザス、冬の陰鬱な曇り空のもと永遠に続くような灰色の大平原の中を。ミシガン、フリーウェイの路傍に一瞬現れてはそのまますっ飛んで行く十字架と廃屋の群れを見やりながら。ニューメキシコ、「この世」という概念が発生するはるか以前から変わらずに存在する赤土の大地を。
「アメリカを知る」とは、いったいどういうことなのだろうか。この国を、いや、この「概念の帝国」がかろうじてへばりついているこの広大な大陸を走り、そして歩くほど、それはわからなくなってくる。
 ニューヨーク・シティ、早口で話す人たちと飛び交う黄色いタクシー。エル・パソ、カラフルな喧騒にあふれた国境地帯バリオ・セグンドで縦横無尽に飛び交うスペイン語の響き。名前も忘れたアイオワの街、バーガーショップの入り口ですれ違いざまに「China!」と叫んで笑いながら走って行ったハイスクールの生徒。サン・フランシスコ、ユリーカ・ヴァレーからカストロを見下ろす頂に漂う、まだ果たされていない自由の約束の残り香。
 とにかくさまざまな風景と位相のモザイクであるこの国を一言で表現するのは、はっきり言って不可能だ。心が冷えるニュースと「人はそれほど捨てたものではないのではないか」と思わされる出来事の間に所在なく浮遊しているようなこの国に対して、たまに訪れるだけの自分などはおそらく死ぬまで適切な言葉を持たないままだろう。ただ、考え続けるだけで。

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 この国の郊外や寂れたロードサイドをうろついていると、しばしば、ダイレクトなそれではないものの、真っ白に乾燥した「暴」の香りが充満していることがある。薄暗く小便臭い地下道ややたらアグレッシブなホームレス、喧騒のなかで行き場なく屯する若者たちの鈍い目の光といった都会特有の不穏さではなく、平板な住宅地の外れ、バイパスの終着点に突如現れるガンショップ、フェンスの向こうの荒れ地、巨大なスーパーの駐車場を闊歩する青年の全身ミリタリールックといったそこかしこに転がる、カラッと乾いた非人間性。
 もちろんそうした場所にも人は暮らしているわけで、善も悪も喜怒哀楽も、よそものの目から見えないところでさまざまな機微がきちんと存在しているはずだ。だが、その一つひとつがよそものの目に触れることはない。私たちよそものは彼らをなにひとつ見ていないし、彼らも私たちよそものを見ることはない。この国に転がる乾いた非人間性の風景が、そうした関係を浮き彫りにする。誰もがもともとよそものであるこの大陸のほぼ全域で、私たちはお互いに知る機会も、その意識すらないまま、流通やインフラや情報によってのみつながっている。「隣の家まで10キロメートル」という場所もザラにあるような、圧倒的な距離と距離と距離、何もない空間と空間と空間によって大部分が構成されたこの大陸は、たとえ真っ暗な夜道であっても、どこかプラグマティズムの強い光に漂白された白い宇宙のようだ。さしずめ、ほとんどの人々はその宇宙に浮かぶ星々のようなもので、お互いに独立し、お互いに遠い。それは寂しげな風景ではあるが、遠すぎるからこそ、私たちはその風景にどこか安心もしている。近づいてしまえばそこにいるのはエイリアンかもしれず、そこでやりとりされるのは「暴」に他ならないからだ。この大陸に真っ白な肌の人間たちが降り立った、その時から。
 そう、アメリカは常に何かを恐れている。他者と出会ってしまうこと、ひいてはそこに「暴」が生まれることを恐れている。

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 もう10年以上前になるが、そのときはテキサスとオクラホマの州境にほど近い付近を走っていた。
 このあたりはニューメキシコ方面へと延びる赤土の大地ではなく、延々と続く古第三紀以降の砂岩層が地表を覆ったグレーの荒野や低木の林が続く。壮大なメサもない、ただただ平板なグレーの風景。その途上に、パンパという街があった。記録によれば1888年、すなわち「ホームステッド・イヤーズ」(第8章参照)の最中にサンタ・フェ鉄道の駅と電信局が建設され、そこを中心に少しずつ形成されていった街だという。牧畜で有名なアルゼンチンの大草原の名をとって名付けられたこの街は、2018年の国勢調査では人口は17235人、貧困率は15.9%。いたってどこにでもある、中西部の小都市だ。特に用事もなかったのだが、そろそろ西日もだいぶ傾いてきており、当時使っていたblackberryの端末で地図を見たところ(いまでは恐るべきことに、当時はGoogle Mapにモバイルのサービスはなかった)日のあるうちに次の街にたどり着くのが難しそうだったため、郊外のモーテルにでも宿を取ることにした。
 今宵の寝床を探して走っている最中、誰からも忘れられたようなうらぶれた建物がポツポツと立ち並ぶ町外れにたどり着いてしまった。その先にはもう、見渡す限りの地平線。どうやらこの先には宿などなさそうだと、街区の端にあった店舗らしき建物の駐車場に車を入れてUターンをすることにし、ついでに少し停車してアイドリングをしたまま一休みしようとコーヒーをすすっていた。すると、コツコツとウィンドウをノックする音がする。見れば、カウボーイハットをかぶったサングラスに髭面・長髪、ジーンズに『スタートレック』のTシャツを着た男が車外に立っていた。ケースに入った長竿のようなものを背負っている。
「Hi」窓を開けて。
「ここで何してるんだ?」Hiの返事もなく。
「一休みしてるんだよ」コーヒーカップを掲げて。
「旅行者か?コリアン?」車の中を覗き込みながら。
「日本人。宿を探してる」ロードマップを見せて。
「そうか。宿は街の北のほうにあるよ」少し口元を和らげて。
「ありがとう。ここは何?」まあ、気づいてはいたが。
「ガンストアだ。見慣れない車だったもんでな。アラブだったら撃っちまうとこだったよ!ハハハ」
 まったく笑えない。笑えない上に、日本人としてはどうしてもある事件を思い出さざるを得なかった。
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 現在30代半ば以上の多くの日本人は記憶していることだろうが、1992年の10月17日、ルイジアナ州のバトン・ルージュで日本人の留学生が射殺されるという事件が起こった。ハロウィーンパーティに出席するため『サタデーナイト・フィーバー』のジョン・トラボルタの仮装をして、訪れる予定の家とは違う家に迷い込んでしまい、射殺したロドニー・ピアーズという男によれば、自分が怪しんで「Freeze!(止まれ!)」と言ったにもかかわらず接近を続けたために発砲したのだという。この事件は12人中10人が白人、2人が黒人の陪審員裁判によって「刑事無罪」が確定した。バトン・ルージュの人口は約半数が白人、残りの約半数が黒人で、アジア人やヒスパニックはごくごく少数である。それゆえに「判決は人種差別である」とも問題になったが、「週刊文春」1993年6月17日号に掲載されたピアーズの独占インタビュー(世界初!ピアーズ被告独占インタビュー「私はなぜ服部君を射殺したか」)には、それ以上に根深い何かが見え隠れしている。
〈事件直後、まさかこんなに大きくマスコミに騒がれるとは思ってもみなかった。(中略)弁護士も大した事件ではない、つまり just another accident として軽く見ていた。それが、あっという間に大騒ぎになり、意表をつかれた思いでした〉
〈起訴される前はどうしてこんなに大きなニュースになったのか理解に苦しみながら、辛い毎日を送っていた。妻も毎日泣いていました〉
 人間を射殺しておきながら「大した事件ではない」「理解に苦しむ」と言ってのけられる心理こそ、理解に苦しむというものではある。だが、ピアーズ自身は妻の前の夫が子供に会うためにたびたび家を訪ねてくるのを毛嫌いしており、何度も「次に会ったら撃つ」と警告していたらしいことから、日々の鬱積した不満や極端な自己肯定感の低下という前提状況があったとも推察される。拳銃やライフルを6丁も所有し、庭で猫や小動物を射殺する習慣があったことなどもその発露の一環と思われるし、日本人=見知らぬエイリアン(彼にとってはそのようなものだ)の射殺に関しても、もしかしたらに彼にとっては同じことで、本当に「それだけ」なのではないか。「制止したのに近づいてきた=射殺してよい」という飛躍と事後の開き直りぶりは一般的な感覚では理解不能であり、油断すると彼固有の邪悪さということで結論づけてしまいがちな話ではあるが、「こんなはずではなかった」という鬱屈の発露としての攻撃行動と、自らの正当性に固執するその背中越しに、アメリカが見えるような気もするのだ。その成り立ちからおそらくそうであった、真っ白な、乾いた「暴」の荒野が。
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 ポストモダン時代の社会を「リキッド化と固定化」と表現した社会学の泰斗ジグムント・バウマンは、その遺作となった『退行の時代を生きる 人びとはなぜレトロトピアに魅せられるのか』(伊藤茂訳、2018 青土社)において、現代の世界はホッブズが「リヴァイアサン」を着想した状況——万人の万人に対する戦争——に回帰しつつあるのではないかという問いを立て、多くの人々が安易に暴力や怒りを表出するようになった背景について〈蓄積された怒りを解き放つことは、自己目的的なものであって、それ自体の動機や目的とは関連がない〉と書いた。自らの存在感や社会的地位の耐え難い小ささ、低さ、軽さ、または「そのように見られている」という敗北感や屈辱感、あるいは恐れに起因する暴力は、自らのそうした部分を覆い隠そうとする自己目的化の傾向にあり、有りていに言えば「相手と理由は二の次」ということになる。
 アメリカではこの20年、コロンバイン、サンディフック、ブラックスバーグ、ラス・ヴェガスといった代表的なもの以外にも1日に1件の割合で4人以上が死傷する乱射事件が起きており、vox.comのまとめた銃犯罪に関するウェブサイトによれば2013年から今日に至るまで、平均すると1日に1人以上の命が銃によって失われている。銃撃は往々にして、自らを「脅かされた/抑圧された/見捨てられた人々」だと感じるものたちによって発生し、少なくない割合で自殺も含まれる。他者に向かい、そして自らにも向かう「自らの弱さを無化しなければならない」という強迫観念。

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 2001年9月11日を境に、無化すべき「弱さ」が特定の他者集団に向けられた大陸の黄昏どき。調子にのって、もう少し会話を続けてみた。
「アラブを見たことがある?」
「いや、ないね。でも奴らのことならよく知ってる。テレビでテロリストを見てるからな」
「テロリストじゃないアラブもいる。どうやって見分ける?」
「簡単だ。目につくところに出てくるやつがテロリストさ」
「そうか。じゃあ、自分もどこかにいくよ」
「ザッツ・グッド」
 その後さまざまなところを走り、さまざまなものを見たいまの自分であればもう少しコミュニケーションを試みたかもしれないが、そのときの自分には、「この人間から離れるべきだ」というアラートが聞こえてしまった。とはいえ、きっと話してわかりあえることなどほとんどなかっただろう。二言目にはマナー講習のように「どうしたらわかりあえるか」を語りがちな私たちは、そもそも本当に他者と「わかりあいたい」と思っているのか。
〈目につくところに出てくるやつがテロリストさ〉という彼の発言は普通に考えるとずいぶん乱暴な話だが、これは「圧倒的に多数派であるにもかかわらず、脅かされている(と思い込んでいる)アメリカ人」の正直な本音というところだろう。アメリカが、そして自分たちの享受すべきものごとが、脅かされている。思えばこの国は、その当初からそうだった。これまで目につかなかった、というより目にしようとしてこなかった人々や事象がどこからか現れ、自分たちを脅かしていると、いつでも思っている。西部の夕日の向こうから、荒野に響く大陸横断鉄道建設の槌音の向こうから、パール・ハーバーの爆煙の向こうから、カストロやストーンウォール・インの狂騒のなかから、セルマを出発してモントゴメリーに向かう行進のなかから、コーランの響きの向こうから、砂漠のフェンスの向こうから、AI制御の物流センターの向こうからやってくるものたちに「脅かされた多数派」の恐怖とともに、この国はあり続けた。実際にはそれらは取るに足らないパーセンテージであったとしても、そして自分自身の状況と明確な因果関係すらなかったとしても、自らの領域や、自らの優位というアイデンティティを脅かす(かどうかはわからなくても)他者が「目につくこと」そのものが脅威であるという、恐怖。
 ガンストアの彼が着ていたTシャツの『スタートレック』にはヒカル・スールーというアジア系のキャラクターが登場する。このヒカルを演じた日系二世の俳優ジョージ・タケイ——現在はゲイのマイノリティ・コミュニティの重要なアイコンの一人である——は幼少期、パール・ハーバーへの日本軍の奇襲と開戦によって高まった日本人嫌悪のあおりを受けて家族とともに強制収容所に収容された経験の持ち主である。日本から渡ってきた父のみならず、生まれてこのかたアメリカ市民であった二世の母も含め、10万人以上の日系人が手ひどい差別の対象となり、財産までも没収され、アーカンソーやテキサスの過酷な環境下にある収容所に送られた。その経験を「(私たちは)なんの脅威でもなかった。アメリカを愛していたし、まともで、正直な、働き者の集団だっただけだ。それだけのことで、何万もの人生が破壊された」と振り返るタケイが、その経験をもとにこの7月に出版するグラフィックノベルにはこういうタイトルがついている。
They Called Us Enemy』(彼らは私たちを敵と呼んだ)。恐怖によって。
 この夕暮れの些細な会話から十年以上が経つが、その恐怖は少しずつその輪郭をぼやかしながら、確実にこの国を、そして、この国がその「子」をまき散らしてきたこの世界を支配している。社会保障の崩壊、雇用への不安、流動化する政治秩序。これまで自らの存在を裏打ちしてくれていたさまざまな制度や摂理が溶解していく中で、多くの人々が「どうしてこんなことになったのか」という明確な答えを得られないまま、そして誰のせいでこんなことになったのかわからないまま「自分たちは脅かされている」と考えている。ムスリムと雇用を奪う(と、思い込んでいる)移民とテロリストと社会規範を乱す(と、思い込んでいる)ゲイやレズビアンを混同したまま、無機質なイミグレーションの通路を、やたらと停車させたがるボーダーパトロールを、廃屋だらけの田舎町を、街々の路地を、自己目的化した恐れが覆っている。そして、そうした恐れを増幅させ、扇動し、自らの力とするものがいる。

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 オハイオ州出身のバンドThe Nationalが2010年に発表したアルバム「High Violet」の中に「Afraid of Everyone(みんなが恐ろしい)」と題された印象的な一曲がある。その名の通り、この国を覆った「わけのわからない恐怖」について歌うこの曲を、自分は何かあるたびに聴いている。
Venom radio and venom television
I’m afraid of everyone, I’m afraid of everyone
悪意だらけのラジオ、悪意だらけのテレヴィジョン
みんなが恐ろしい、みんなが恐ろしい
With my kid on my shoulders I try
Not to hurt anybody I like
But I don’t have the drugs to sort it out
子供を肩の上に乗せている
愛するものを誰も傷つけないように
だけど状況をよくするドラッグはない
I defend my family with my orange umbrella
I’m afraid of everyone, I’m afraid of everyone
And my shiny star spangled tennis shoes on
I’m afraid of everyone, I’m afraid of everyone
I don’t have the drugs to sort it out
Sort it out
家族をオレンジの傘で守りたい
みんなが恐ろしい、みんなが恐ろしい
テニスシューズに散りばめた星もあるんだ
みんなが恐ろしい、みんなが恐ろしい
考えをまとめるドラッグはない
Yellow voices swallowing my soul, soul, soul, soul
Yellow voices swallowing my soul, soul, soul, soul
Yellow voices swallowing my soul, soul, soul, soul, soul, soul, soul, soul, soul, soul, soul………..
黄色い声が俺の魂を飲み込む
黄色い声が俺の魂を飲み込む
黄色い声が俺の魂を魂を魂を魂を魂を魂を……
〈対訳:筆者〉
 
「どうしてこんなことになったのか」その答えを誰も明確に持ちえないまま、明快に赤と青に切り分けていればよかったはずの世界が変化し流動化し多声化していくさまが理解できないまま、ただ恐怖を募らせていく人々。プラグマティズムの光に漂白された、この白い宇宙のような大陸に浮かぶ星々——そう遠くない場所にいるはずの他者を見ず、会話も交わさず、存在しないことにしていられるそれぞれの——にこもって、その空間の中で神経症のようにエコーするメディアやインターネットの真偽も定かでない声を聴きながら、いつかどこかで自らに降りかかる「暴」を恐れている。その恐怖を無化しようとして、自ら「暴」の風景へと還っていく人々もいる。距離と空間に、絶望的に隔てられながら。
 この国を構成する圧倒的な虚無の空間に長く身を置いていると、そんな人たちの姿が少しずつ見えてくる。ニューヨークやロス・アンジェルスのメディア人には見下され、愚か者扱いされ、まるで存在しないもののように扱われながら彼らが確かに発するなんらかの——方法を間違え、言い方を間違え、その相手さえも間違えていることがほとんどかもしれないが——シグナルを、しかし単なるよそものである自分もまた本当には受け取ることができないし、彼らと本当に交わすべき言葉も持たないまま走り去っていく。お互いの視線と言葉はすれ違ったまま、ヘッドライトに切り裂かれ、真っ白な闇に散っていく。
 そんな束の間の邂逅と、延々と続く虚無との対話を繰り返しながら、彼らと何かを語りたいけれど語るべきことなどなく、どちらかというとその間に広がる宇宙よりも遠い距離を感じるまま永遠に離れていくことを繰り返す、そのこと自体を考える。永遠にわかりあうことなく、永遠に無関係である私たちのことを考える。自分にとって「アメリカを走る」とは、最近、そういうことになりつつある。

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〈著者プロフィール〉
安東嵩史(あんどうたかふみ)
1981年大分県生まれ。
編集者。移民・移動と表現や表象、メディアの関係を研究することを中心領域とする。
2005年以降、書籍や雑誌からVRまでの発行・執筆・展示・企画などを多数手がける。
2017年にTISSUE Inc. / 出版レーベルTISSUE PAPERSを設立。
ウェブサイトはそろそろ。
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