解説・山本美希
【一部抜粋して掲載しています。全文は書籍にてお読みいただけます。】
大白小蟹―本の形から考える物語
本書は、作者である大白小蟹さんが筑波大学の修了制作として提出したものを基に編集し直された作品だ。その制作に際して、指導教員として立ち会えたことはとても思い出深く、年月を経て本書が出版まで漕ぎ着けたことも嬉しく思う。彼女のマンガ家としての活躍はすでに読者の皆さまがよくご存知の通りだが、この解説では、大学院生時代の大白さんの創作活動について、また修了制作版と今回のリイド社版の異なる点について、中心に触れたい。
大学院にて修了制作と修了論文に取り組んでいた大白さんは、物語を表現するための支持体となる本の形態そのもの、つまり造本について関心を持っていた。それを「本の物質性」と呼び、物語表現にその物質性を生かした事例を調べ、またそれを自身の作品制作に活かす方法を検討していた。そこで大白さんが考案した制作のプランは、昔話の「桃太郎」を、さまざまな異なる形式の造本で表現することだった。修了制作としての提出時、作品のタイトルは『MOMOTARO STORIES』だったのだが、それは本書の基になった1冊に加えて、いくつかの桃太郎作品をシリーズとして制作したからだ。「桃太郎」の内容を、異なる形態の本(絵本、4コママンガ、円環する本など)として表現することで、それぞれの本の形態に即して絵や構成が変化し、物語の異なる側面を浮かび上がらせる多彩なアプローチが可能になるのではないか、というのが当時の狙いだった。
大白さんが修了制作に取り組んでいたこの時期、絵本『空からのぞいた桃太郎』(2017)が刊行され話題になっていた。この絵本では、桃太郎を中心に描く一般的な絵本とは異なり、桃太郎の住む村の全体を空から見下ろす俯瞰の視点が全編にわたり採用されている。その視点によって、「桃太郎」側の成功話として語られてきた物語から、距離を置こうとしたという。この絵本に付いている解説冊子では、「桃太郎」について、古くは福沢諭吉や芥川龍之介、近年では池澤夏樹や高畑勲が批判してきたことにも触れている。実はこのような、桃太郎を侵略者として捉える立場は、尾崎紅葉『鬼桃太郎』(1891)などから既に見られた。
[中略]
もう一点、本書の特徴として指摘できるのは、セリフがない点だ。私自身も文字のない絵物語を制作してきたが、情報の伝達に若干の難しさが生じる一方で、はっきりと説明できない感情を表現する際にはとても有効な方法だと考えている。文字のない絵本では、情報の伝達の難しさ・わかりにくさを回避するさまざまな手法が用いられるが、本書においても、絵だけでは情報不足が懸念される場面ではフキダシの中に絵を入れるなどの工夫をしており、読みやすさへの丁寧な心配りがなされている。
この点に関してひとつ記憶しているのは、当初のラフでは、パイナップル爆弾の設定が決まっておらず、破裂のタイミングがわかりにくい問題があったことだ。どれが安全でどれが危険なパイナップルなのかがわからないと、事故の場面の説得力がなく、物語がうまく進行しない。絵だけでそれを表現する方法を相談し、次のラフではヘタが取れると爆発する仕組みにすることにした。この変更によって絵だけでも明快に爆発のタイミングを示すことができ、新たにヒモをくくり付けて投げる漁の描写も盛り込まれた。小さなことのようだが、絵で物語を表現するためには、このような細々とした問題を解決していく必要がある。この試行錯誤の過程は、大白さんの粘り強く創作へ取り組む姿勢を示すエピソードとして、私の中で印象に残っている。パイナップル爆弾は、芥川龍之介の『桃太郎』(1924)で桃太郎に理由なく征伐された鬼が、復讐のために椰子(ヤシ)の実に爆弾を仕込む描写を参考にしたそうだが、パイナップルの格子状の凹凸を模した造形は手榴弾の形に似ている。青色の「TARO」の中で、子供が襲撃を逃れて洞窟に逃げ込む描写は、沖縄戦で市民がガマに逃げ込んだ歴史を思い起こさせる。長い間、複数の国の支配を受けた沖縄の歴史や、沖縄戦を本書に重ねて読む人もいるだろう。あるいは、2024年現在、拡大しつつある戦禍を想起する人もいるかもしれない。文字のない表現は、物語の解釈や意味づけを読者へ委ね、さまざまな解釈を可能にする表現である。本書は人々に、対立と戦争について、それぞれの方法で考えさせる機会をもたらすだろう。
大白さんは、大学4年生の卒業制作では、沖縄にいる自身の家族をテーマにしたマンガを制作しており、その中では沖縄のお盆の風習や、祖母の老いを見つめていた。マンガ家としてのデビュー作『うみべのストーブ 大白小蟹短編集』(2022)に収録されている短編「雪の街」も、大白さんの学生時代の作品のひとつで、今でも私はこの短編がすごく好きなのだが、突然友人を亡くした二人が出会い、ともにその死を悼む内容である。そして本書の底本になった修了制作では、戦争と暴力の始まる地点を捉えた。いずれの作品にも、自身の身の回りの出来事を穏やかに温かく見つめる視線と同時に、その中に潜む不条理や、大事なものが簡単に失われてしまう可能性が描き込まれていた。今振り返れば、学生時代の作品から、すでにこうした作家性があらわれていたのだ。その後の作品にも、こうした大白さんの作家性が反映されていることは、読んでいただければわかるだろう。担当教員としてだけでなく、マンガ家のひとりとして、そして読者のひとりとして、大白さんの今後の活動に大いに期待したい。
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参考文献
名村道子「江戸時代の桃太郎」『国文』19号、1963、pp. 50-59
滑川道夫『桃太郎像の変容』東京書籍1981
鳥越信『桃太郎の運命』日本放送出版協会1983
窪田美鈴「昔噺絵本―『桃太郎』絵本における視覚表現の変遷」『はじめて学ぶ 日本の絵本史I』ミネルヴァ書房2001、pp.207-223
谷暎子「占領下に出版された『桃太郎』をめぐって―プランゲ文庫所蔵絵本を中心に―」『絵本学』8号、2006、pp. 47-60
森覚「絵本がつくる社会と政治 時代による解釈の変遷」『絵本の事典』朝倉書店2011、pp. 547-549
首藤美香子「昔話『桃太郎」の再話における表象戦略―講談社の絵本から占領期の絵本まで―」『白梅学園大学・短期大学紀要』52号、2016、pp. 1-19
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解説者プロフィール
山本美希
マンガ作家、筑波大学芸術系准教授。
『かしこくて勇気ある子ども』(2020)で「このマンガがすごい!2021」オンナ編8位。『Sunny Sunny Ann!』(2012)で第17回手塚治虫文化賞新生賞を受賞。そのほかの作品に『ハウアーユー?』(2014)、『爆弾にリボン』(2011)など。文字なし絵本の表現を中心に、絵本・マンガ・イラストレーションについて制作・研究・指導に取り組む。
🌊㊗️新刊のお知らせ㊗️🌊
2024年12月17日発売
『太郎とTARO』(著 大白小蟹)
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新たな戦争の時代に突入した今、次世代のマンガ家が絵で語る戦争の寓話。
宝島社「このマンガがすごい!2024」オンナ編1位に輝いた『うみべのストーブ 大白小蟹短編集』の著者、その原点を書籍化。
暴力の始まる地点を捉えたことばのない絵物語。
「沖縄の歴史や、沖縄戦を本書に重ねて読む人もいるだろう。あるいは、現在拡大しつつある戦禍を想起する人もいるかもしれない。
文字のない表現は、物語の解釈や意味づけを読者へ委ね、さまざまな解釈を可能にする表現である。本書は人々に、対立と戦争について、それぞれの方法で考えさせる機会をもたらすだろう。」
山本美希(マンガ家・筑波大学准教授)
●あらすじ
むかしむかしあるところに「赤い人」と「青い人」はそれぞれ平和に暮らしていた。
その日、波はいつものようにおだやかだった。
しかし、彼らは最悪の形で出会ってしまい…?
●見どころ
本作『太郎とTARO』はオールカラー・サイレント・コミックであり、外函から取り出すと『太郎』と『TARO』の2冊の本が入っています。
⽂字無しで絵とコマで表現することで解釈の余地が⽣まれ、「戦争」や「対⽴」について読み⼿それぞれが経験に照らし合わせ考えを 巡らすことができるような普遍的な寓話になるよう制作されました。
絵本のような親しみやすいタッチで『太郎』と『TARO』の2つの視点で描かれた2つの本は私たちにごく当たり前でとても大切なことに気づかせてくれます。
永く読み継ぎ、大切な人に手渡したい2冊セットの上製本を外函入りでお届けします。
B5変型 / 4C32ページ+4C32ページ / 定価4,950円 (本体 4,500円)
ISBN 9784845867745 / ブックデザイン 脇田あすか+山口日和