国境線上の蟹 1

はじめに
#すべての旅はタグづけ済みである
「旅のことを書いてください」
 
 アメリカ合衆国テキサス州、かつてはメキシコ合衆国コアウイラ・イ・テハス州であった土地の夜。乾ききった大地の片隅の、午後9時を過ぎて食べ物にありつける店など存在しない田舎町のモーテルで腹をすかせながら、受信したメールを前にしばらく考え込んだ。
 
 旅のイメージなら、1日あたり何億テラバイトの文章や画像、あるいは映像となって世に生み出されている。美しい風景や新奇な文物、笑顔の子供たち。突然の災難や、あるいは人生に開いたスピリチュアルな扉のこと。そうした情報はさらに多くの人を旅に導き、多くはエモーショナルな文章と絵葉書のような画像のパッケージとして再生産され、流通してゆく。
 今日の世界を旅するものは、等しくそうした「観光」的欲望から逃れ得ない。世界最高峰から大海原まで、我々はあらゆる場所について入念に調べ、飛行機や自動車や船舶——地球を流通の楽園にした偉大なる発明の数々——で押し寄せ、シャッターを切る。眼前に現れたリサーチ済みの風景、想定の範囲内のハプニングの中から貨幣や「いいね!」などの外的評価と交換可能な記号を選別して切り取り、アップロードする。
 あらゆる物事をカテゴライズし、値札(タグ)をつけて認識/管理するようになった近現代のマナーに則って、我々の罪深き好奇心は世界の秘密をすっかり収奪のチェーンソーで暴き、切り分け、コンテンツ化し終えてしまった。それらしく言うならば「#すべての旅はタグづけ済みである」。
 同時に我々は、本来は我々自身の内的動機によって発生するはずの旅における消費的側面を先鋭化させることで、その総和であるところの固有の生そのものもまた他者の消費の視線から逃れ得ない、共有・流通可能な情報にすぎないものとしてしまったのではないか。そういう時代と言われればそれまでだが、個人的には、自分や他者の生または思考を短期的なメディア・ショーのコンテンツとするのはごめんこうむりたいとは思う。生も思考も、あくまでそれぞれ固有のものである。
 消費し消費されることではない何らかの原理を求める極個人的儀礼として旅をし、あるいは旅を書き/語る者であろうとするならば、「切り取り線」の先へと分け入っていかなければならない。発信のための言葉や流通に適したイメージによって世界を切り分けつまみ食いすることを拒否し、誰かが居心地よくカテゴライズしておいてくれた領域を出て、インスタ映えのしない荒野をひとりで注意深く進まなければならない。その先に、自分にとって都合のいい世界などありはしなくても。
 自分に書くべき旅の話があるのなら、おそらくそういう生への態度のことだと思う。

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『私のように黒い夜』(原題=Black Like Me)は、テキサス出身の白人作家ジョン・ハワード・グリフィンが著した珠玉の旅行記だ。
 1950年代末、白人優位が当然であったアメリカ南部における人種差別の現状に真摯に怒り、問題の本質をいかにして把握し解決するべきなのか考え抜いた末、グリフィンは驚くべき行動に出た。
〈二つの人種の間のギャップを埋める方法は、黒人になる以外にない〉と思い、顔と体を薬品と太陽灯で黒く焼き、髪を剃り、全身に黒い顔料を塗り込んで、差別の嵐が吹き荒れる南部を「黒人として」旅したのだ。
 その姿でニューオーリンズやモントゴメリー、あるいは名もなき寒村など南部の各地を歩いた作家は、何日か前の自分であれば陽気に、あるいは上品に笑顔を向けてくれたであろう白人の善男善女によるむき出しの憎悪や侮蔑、さらには暴力的な威嚇に遭遇し、困惑する。
 職を求めては断られ、バスに乗れば後方の黒人専用席に座らざるを得ず、「黒人は野放図で背徳的なセックスをする生き物だ」と信じる白人男の質問ぜめに遭い、商店でトイレを借りたいと言うと13ブロック先の「黒人用」に行くよう命じられる。精神は次第にそのような状況に順応し、いつしか白人を怒らせぬよう身を屈めて道の端を歩き、暴力や侮辱、人間性の否定の予感にひどく怯えるようになっていった。
〈白人の場合も黒人の場合も、当然のことながら、私は同じ人間だった。しかし、白人の場合には、白人から親愛の情の溢れた微笑を投げかけられ、白人としての特権を享受したが、黒人からは憎悪の視線を浴びるか、諂うような接し方をされた。そして、黒人の場合には、黒人たちは私を親身になって温かさで包んでくれたが、白人たちは私を屑同然に扱った。〉
 作家は自らの経験と精神の変容を経て、初めて「黒人はただ黒人であるという〝記号〟だけで内面など関係なく差別され、それを延々と日常的に体験してきたからこそ絶望しているのだ」という理解にいたる。繰り返すが、彼は黒人差別に対して常に憤り、人権問題への見識も深い人物である。しかし、そんな自分自身をして黒人たちが直面する問題を白人の側から記号としてしか見ていなかったことに、自ら気づく。
 さらに、白人に〝戻った〟後、雑誌にこの旅のルポを書いた彼は、今度はそれまで「よきアメリカ人・グリフィン氏」として自分に接していたはずの近隣の白人たちからも嫌がらせや攻撃を受けるようになった。越境者であろうとした彼は、結果として逆にその境界——自らの意識下に存在していたものも含む——の大きさを、まざまざと認識させられることになった。その後、彼は作家活動よりも公民権運動への傾斜を深め、マーティン・ルーサー・キングJr.らと共闘してゆく。
〈引用部〉『私のように黒い夜』J・H・グリフィン著、平井イサク訳 2006 ブルース・インターアクションズ
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 越境とは、決してロマンチックなだけの行為ではない。それは単に物理的、もしくは制度的なボーダーを超えるということではなく、言葉や倫理、あるいは自分自身の知覚の範囲をも越えてゆく試みであり、その先にいる他者との接触や混交、それに伴う自己の予期せぬ変容の過程において、大いなる当惑や苦痛を伴うことでもあるからだ。
 踏み込んでみた世界は自分が期待したようには出迎えてくれないし、記号としてではなく他者を知ろうとすればするほど、「根本的にわかり合えない」ということも知ることになる。越境を志向することは、どこまでも自分がその境界の「こちら側」にいるのを痛感することとほぼワンセットだ。一歩先へと進んだつもりが、実は境界に沿ってまるで蟹のように右往左往しているだけの自分を発見する。そのつど、自己の内外において境界の存在は補強される。
 だが、それでもある種の蟹たちは抜け穴を探し、彷徨を続ける。徒労感や無力感に苛まれ、ときに己の無知や傲慢さに恥じ入り、期待も予想もしなかった方向へと変容していく自己への葛藤を抱えながら。その先にこそ、バズりも拡散もしない代わりに何人たりとも触れることのできない自分だけの「個の真実」が——それは想像を超える風と光、一瞬だけ見えた巨大な虹の足元、物乞いをするインディオの老婆の不意の表情、もしかしたら実はいつもの部屋の中に——あるのかもしれないという予感に従って。同時に、わかり合えない他者にも等しくそんな個の真実があるはずだと知ることで、消費し消費され続ける歴史のループに抗うために。
 移民史や移民文化の研究をライフワークとする中で、自分自身も非力な蟹として国内外のいくつかの地域を歩き、いくつかの物事を見てきた。わずかな知見ではあるが、それらのことを改めて考えるうちに、いつしか無数のタグで細切れにされてしまったこの世界の地図がめくれ、その下からまったく違う地図が現れるかもしれない。そんな希望を込めてしばらくの間、自分なりに蟹の目で「旅を書く」ことを試みてみたいと思う。

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〈著者プロフィール〉
安東嵩史(あんどうたかふみ)
1981年大分県生まれ。
編集者。移民・移動と表現や表象、メディアの関係を研究することを中心領域とする。
2005年以降、書籍や雑誌からVRまでの発行・執筆・展示・企画などを多数手がける。
2017年にTISSUE Inc. / 出版レーベルTISSUE PAPERSを設立。
ウェブサイトはそろそろ。
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