ホームフル・ドリフティング 3

#3 入谷アーバンホテル

 大学生のころ、「入谷アーバンホテル」という都会的な名前のビジネスホテルで半年ほどバイトをしていたことがある。制服に身を包みフロントに立つ、夜勤のバイト。宿泊者のほとんどはスーツを着たサラリーマンだった。拘束時間はそれなりに長かったのだが、給料は悪くなかったし、何より大体いつも暇なのがよかった。勤務中にTwitterを眺めたり、休憩時間が来たらTSUTAYAで借りた『ゴシップガール』を観たり。
 いまでも覚えているのは、いつもこのホテルに泊まっていたおじさんのことだ。六〇代半ばくらいにみえるこのおじさんはひとつの部屋に何十日間も泊まり続けていて、ホテルに住むようにして暮らしていたのである。おじさん宛に荷物が届くこともあったし、ホテルの従業員からも少し特別な扱いを受けていて、事情は知らないが不思議な人だなと思ったことを覚えている。

 それから月日が流れて、今度は自分がビジネスホテルを利用する立場になった。出張で地方や海外のホテルを訪れると、たまにこのおじさんのことを考える。何十泊もしているおじさんの部屋の中は一体どうなっていたのだろうか、その部屋はおじさんにとって「家」たりえたのだろうか、と。

 いうまでもなく、ホテルは「家」ではない。リゾートホテルやラグジュアリーホテルのようにいわゆる日常とは異なる体験を提供するホテルならなおさらだ。ただ、そこで生活する以上、ホテルの中に「家」が萌芽する可能性はあるだろう。一泊だけならいざしらず、何泊もするうちに「住む」感覚が生まれたっておかしくはない。
 泊数を重ねるにつれ、ホテルの部屋は宿泊者に合わせて少しずつ揺らいでゆく。毎日リセットするように元の状態に戻そうとする人もいれば、色々なやり方で自分なりに部屋をカスタマイズしようとする人もいる。それぞれにとって過ごしやすい環境に向けて、部屋は調整されてゆく。それは何も置かれていない空き部屋から生活を始めるのとは少し異なったかたちで、自分にとっての「家」をつくっていく作業のように思える。

 「家」のつくり方はさまざまだ。愛用するルームシューズがないとダメだという人もいるだろうし、洗面所にいつもの歯ブラシや石鹸を置くと落ち着く人もいるだろう。コンセント周りにパソコンや充電器を繋げていき自分なりのフォーメーションをつくらないと気がすまない人もいる。高校生のころ読んだ『メンズノンノ』に載っていたコラムのなかでは、とあるスタイリストの男性が「冬のニューヨークは乾燥しているので、ホテルにチェックインしたらまず温かいシャワーを出しっぱなしにして部屋の湿度を上げるようにしてますね」と語っていた。肌が乾燥するのが嫌なのだそうだ。かくいうぼくは、みっともない話なのだけれど、つい部屋のあちこちに自分の荷物を散りばめてしまう。ベッドに、デスクに、椅子に。自分の家が散らかっているからその方が落ち着くのかもしれない。
 だとすれば、同じホテルに数十泊もしている人の部屋は、それはもう、だいぶその人なりの「家」っぽさが充満しているはずだ(そういう人に限ってまっさらなままだったりもするけれど)。だからいま、あのおじさんの部屋の中がどんな状態だったのか無性に気になってしまうのだろう。そこにおじさんなりの「家」の姿があったらいいな、と。でも、もしかしたら一階に設けられた小さなレストランや五階の自販機コーナーも含めてあのホテル全体がおじさんにとっての「家」だったのかもしれない。

 あのおじさんはいまも元気にホテル泊を続けているのだろうか。もっとも、入谷アーバンホテルはぼくがバイトをしていたときに潰れてしまって、いまはもうないのだけれど。

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《著者プロフィール》
もてスリム
1989年、東京生まれ。おとめ座。編集者/ライター。
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