ホームフル・ドリフティング 8

#8 神保町神田小川町のオフィス
 家に置かれていた家具をすべてオフィスに移したとしたら、人はそのオフィスを家のように感じるのか。なんだかよくわからない思考実験のような話だが、実はほとんど同じような体験をしたことがある。
 あれは昨年の秋ごろの話だ。ぼくは友人とともに事務所を借りてみたものの、事務所用にあれこれ新しく家具を揃える金銭的余裕がなかった。それで少し前までルームシェアをしてせいで大きめの机や本棚、ソファをもっていたぼくが、それらをまるっと事務所に移動させたのである。
 結果は、悲惨なものだった。とにかく事務所が家っぽいのだ。蔵書や雑貨、照明の類もまとめて移してしまったことがそれを加速させたのだろう。なのに床はオフィス然としたカーペットだから余計タチが悪い。まるで家のようだが、明らかに家ではない。空間のセッティングが間違っているようで、それはなんだか間抜けだった。
 予想外だったのは、一方で自宅からは家らしさがごっそりと抜け落ちてしまったことだ。ダイニングテーブルとソファ、本棚その他諸々がなくなっているのだから無理もない。空っぽになったリビングはまるで引っ越してきたばかりの部屋のようだったが、新鮮さはない。ただ、何かが欠如している。リビングには寂しさだけが漂っていた。
 あのときぼくの「ホーム」は、きれいに二等分されていたのだ。どちらのホームも分割されたばかりのころは未熟で、単体ではホームとして成立しえない。しかし、ホームは「育つ」。空間に合わせ、そこにいる人との関係性を立ち上げながら少しずつホームは醸成されていく。ホームは置かれた場所で咲くのである。
 わたしたちが「ホーム」だなと思える場所に設えられたあれこれはその場所を構成する一部でもあるし、ホームの「種」でもある。種をどこかに持ち出せば、その先で種からは別のホームが生み出されていく。そういうふうにしてこの世界のあらゆる場所にあらゆる人々の種が埋まっている。ときには家具をシェアしたり受け継いだりすることでホームの「異種交配」が生まれることもあるだろう。
 あと数カ月で、事務所を借りてから一年が経つ。少しずつ家具や事務用品を買い足してきたおかげで、オフィスとしての機能も整ってきた。しかし困ったことに、何をどう頑張ってもホームらしさだけが抜けないのだ。机もソファも新しくなったのに、ホームはしっかりと部屋に根を張っていて取り除こうにも取り除けないらしい。「育て方」を間違えてしまったということなのだろう。

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《著者プロフィール》
もてスリム
1989年、東京生まれ。おとめ座。編集者/ライター。
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