行けたら行きます 15

 もう春も過ぎようとしている。
 石田さんが死んだのは本当に寒い時期で、確かこの冬2度目の大雪が降った頃だった。通夜の夜なんか吹雪になってしまい、狭い葬儀場に入りきれなかった人で外に行列ができたと聞いた。(その節は本当にありがとうございました)

 先日久しぶりに会った友人から「形見はあるの?」と聞かれた。
 今月発売の「文藝」で再開した連載で書いた通り、私は葬儀の翌日から石田さんの部屋の片付けを始めた。早いと言われればそれもそうなのだが、石田さんの病気が発覚してからの1年半という時間をかけて、私自身は心の準備をしていたように思う。また、片付けることでその作業もいよいよ終盤、という感じがあった。本は古本屋の友人に取りに来てもらい、CDとレコードは石田さんの音楽仲間の人たちに協力してもらって、レコードショップに売るものと、石田さんのファンの手に届くようにイベントで売ってもらうのと、友人たちへの形見分けと分別してもらい、私の手元にはこれまでの各音源を1枚ずつ残したのみだった。それでも少なくはない数があり、石田さんのキャリアの長さと熱を感じる。いつか子ども達にも聞かせられたら、と思う。
 子ども達の反応についてもよく聞かれる。偶然YouTubeでECDのMVがおすすめ動画に出て来たことがあった。最初嬉しそうに見ていた上の娘は突如号泣し、下の娘は複雑な顔をしながら「パパがいないって思えないから泣けない」と言うのだった。娘たちは8歳と6歳である。胸が締め付けられるような思いがするが、私はそんな二人に寄り添うことしかできない。

 さて、形見の件に戻ると、持ちもので形見らしいものは特になく、ずっと使っていたボロボロになったパスモを私が引き継いで使っているのが唯一の形見と思っている。人に見せると驚かれるほどボロボロなのだが、この物の扱いが雑で頓着しない性格が、石田さんの性格を如実に現している気がして、私は気に入っている。あとはターンテーブルを取っておいたくらいだろうか。ほとんど処分してしまった。

 服と靴は綺麗なものがいくつかあり、それは野間さんに預けることにした。野間さんは『レイシストをしばき隊』の主宰者で、石田さんも生前懇意にさせてもらっていた方だ。野間さんに相談したタイミングにちょうどしばき隊のイベントがあり、そこでオークション形式にして売ってくださるとのことだった。革ジャンが3枚もありどうしようかと思っていたのだが、石田さんと同じ思いを持っている人が引き継いで着てくれたらと考えていたので、本当に嬉しかった。実は野間さんは物凄い近所に住んでいるのだが、石田さんが生きている間、私はほとんど関わらなかった。正直ちょっと怖かったのだ。石田さんがデモに傾倒していくのと反比例して、私自身はそういうものから距離を置くようになっていった。私生活では石田さんとのことを含めいろいろなことがあった。

 石田さんが亡くなったのをきっかけに、野間さんはうちのことを気にかけてくださるようになり、ある時「一子さんが一人でお酒を飲みに行きたい時とかでも、お子さん預かりますから」と言ってくれたことがあった。これまで、困ったらなんでも言ってね、という優しい言葉はたくさんの人からかけられていたが、こんな風に具体的に言われたのは初めてだった。今までは石田さんがいたからこそ一人で出かけられていたこともあり、もう子ども達が大きくなるまで、夜に一人で出かけることなんて出来ないのだと思っていた。
 たまたま夕方から夜にかけて打ち合わせが入り、初めて野間さんに預けた時には、すっかり馴染んだ娘たちに向かって「ほんまにいつでも来てええんやで」と言ってくれた。戸惑う私に「昔の下町のご近所さんみたいにお付き合いしましょう」と提案してくださり、本当にありがたく、嬉しかった。形見とは言わないかもしれないが、石田さんがわたし達に残してくれたものは、こんなところにもある。

 そんなわけで、今日も娘たちは意気揚々と野間さんの家に遊びに行ってしまい、私は日曜の昼間に一人で原稿を書いているというわけなのです。

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《著者プロフィール》
植本一子(うえもといちこ)
1984年広島県生まれ。
2003年にキヤノン写真新世紀で荒木経惟氏より優秀賞を受賞、写真家としてのキャリアをスタートさせる。広告、雑誌、CDジャケット、PV等幅広く活躍中。
著書に『働けECD―わたしの育児混沌記』(ミュージック・マガジン)、『かなわない』(タバブックス)、『家族最後の日』(太田出版)、『降伏の記録』(河出書房新社)がある。
『文藝』(河出書房新社)にて「24時間365日」を連載中。
http://ichikouemoto.com/