生きる隙間 1

渋谷のはずれの道端で人を思いっきり殴った、握り拳で。その人は倒れて、歯が欠けた。殴った張本人である私までくらくらと意識が遠のいた。最低だ。傷つけられたからといって仕返ししていい訳なんてないし、解決の糸口なんてそこにはないのに。それから私の心身の調子は、みるみるうちにおかしくなった。
毎日、負に囚われてばかりで人を許すことができない自分が惨めで落胆した。悲しみの粒が体の底からふつふつ湧き上がってくる。沸騰する直前みたいに。湧き上がる悲しみは、発散のための怒りへと変化する。やかんが蒸気をあげながら鳴りだすみたいに。怒りは熱量が高い。健全へ導いてくれるはずの私のエネルギーは怒りで消費されてしまって、心身は疲れ果てた。身体はほんとうに正直だった。突然顔中に真っ赤な湿疹が出て腫れ上がり、半年以上治らなかった。
思考と身体が切り離されているようで、自分自身をコントロールできなくなった。毎日眠気が止まらない。楽しかった仕事も集中してできなくなった。人と会うのも億劫になって直前に謝りの連絡を入れることが続いた。
限界だ。
順調に人生を送っていると思っていた。いろいろ挫折もあり離婚したりもしたけど、友人もたくさんいて、行ける場所もたくさんある。孤独を誤魔化して生活できる賑やかな都会は、私にとって最適な場所だったはず。でも、そんな気を紛らわせる環境にさえ寄り添えなくなってしまった。
独りになりたい。
毎日眠くて濁ってる、生産性もない、存在が苦しい、いなくなりたい、どこか遠く。
そんなことばかり考えていたとき、平べったい地方の町に祖母が遺した家のことを思い出した。バブル期に建てられた、今となっては要らないものだけが詰め込まれて忘れ去られてしまった日本家屋のこと。もしかしてその家は、私に与えられたサナトリウムみたいな場所なんじゃないかと思い始めた。そのしんとした空間、住むしかない。
私は仕事を辞め、賃貸を解約して、2021年12月の頭にその家のある平べったい田舎町へ引っ越した。思い立ってからあっという間で、引っ越しまで3ヶ月もかからなかった。
12月はまるまる、家の中の不要を取り除いた。穴の空いたソファー、動かない家電、湿気を含んだ羽毛布団、続々と出てくる不用品を、業者に回収してもらった。生活は無駄ばかりだな、と思った。その後は両親にも手伝ってもらってフローリングや壁紙を貼って、ようやく〈これから〉を受け入れられる隙間を作った私の家が完成した。
私は今、ひとりでその家にいる。生まれて初めて手に入れた私だけの空間。苦痛を叫ぶ避難所でもあり、人目を避けて孤独と向き合う場所でもあり、柔らかな冬の光を幸せに思うところでもある。
ひとりきりになるという寂しさは、悲しさとは違い怒りとしては消化されない、それだけでずいぶん楽になった。寂しさは生きるために積み上げられた日課に馴染んで消えていくことにも気づいた。朝起きてすぐ朝日を向かい入れるため縁側のカーテンを端から端まで開いたり、大きなストーブに灯油を汲み上げたり、新鮮な食材を毎日3食しっかり調理したり、できる限りのことをひとりで行う儀式のような時間が生を保ってくれる。
感覚が乱れきって都会で悲鳴をあげていた精神が、また身体と少しずつつながり始めた気がする。山脈に遮られる雲を眺めて天気の変化を予想したり、空中を舞う柔らかい雪の粒を眺めたり、自分の心身の外へ意識を飛ばせる少しばかりの余裕が、生まれ始めたの、かも、たぶん。
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〈著者プロフィール〉
小嶋まり
渋谷区から山陰地方へ移住。写真、執筆、翻訳など。
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