ホームフル・ドリフティング 34

♯34 ルーティーンからホームへ
 
 
 ルーティーンに憧れる。朝起きたらAをして、出社する前にBを買って、寝る前にはCをする、というような。自分は「定時」のない働き方をしているし、毎日同じ場所に通っているわけでもないのでルーティーンが形成されづらいのかもしれない。よく言えばそれは「自由」といえるのだろうが、当の本人からすると単に心もとないだけだ。
 そう、ルーティーンがない生活は心もとないのだ。ある日は八時に起きてすぐ仕事に向かうかと思えば、また別のある日は昼過ぎまで寝ていたりする。そういう生活は安定感に欠けていて、どこか不安を感じさせる。しかし、いまわたしたちの社会で起きている組織や仕事の流動化はこれまでの働き方を溶かしていき、多くの人を心もとない状態にするのかもしれない(もっとも、多くの人はフリーランス化したりノマド化したりしても規則正しく過ごしていくのだと思うけれど)。
 毎日三食食べるとか毎日八時間寝るというのもいってしまえばルーティーンみたいなもので、だからわたしたちの生活はルーティーンがつくり上げているようなものだ。ノマド的な働き方やホテルを転々とするような暮らしに漂うどこか信用ならざる雰囲気は、ルーティーンがもたらす「生活」らしさの欠如から生じているのだろう。
 しかし、本連載が主張してきたように世界がホームフル化しホームがあちこちに遍在していくのであれば、わたしたちの生活もまたあちこちに散らばっていくことになる。わたしたちの生活を支えているのは第一にホームであり、毎日同じ場所に帰り同じ場所からどこかに出かけるからこそさまざまなルーティーンが繰り返されうるのだから。翻っていえば、従来のホームではない場所でルーティーンを重ねていく術を発明しなければ、わたしたちのホームはただただ引き裂かれていってしまうのだろう。
 ホームとは睡眠や食事のような行為(機能)にのみ分解されるものではないし、その空間のみによって成立しているものでもない。ホームとは家の外で行なわれる仕事も含めたさまざまな振る舞いを結びあわせた「網」の上に立ち上がってくるものであって、どこかひとつが切り離されてしまえばホーム全体がぽろぽろと崩れていってしまう。
 だからわたしたちはホームフル時代のルーティーンのあり方を考え出さなければいけない。あらゆる場所や行為や機能が分散化する世界において、何かを繰り返しながら生活を立ち上げていく術を再び学びなおさなければいけない。ホームフルって意外と大変なのだ。

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《著者プロフィール》
もてスリム
1989年、東京生まれ。おとめ座。編集者/ライター。
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