行けたら行きます 17

 喪主挨拶では、石田さんの最期の様子について話そうと思った。
 自宅療養となってからの数ヶ月間、調子のいい日はしょっちゅうレコード屋へ出かけていたようで、それは昔から変わらないことだったが、ある日銀行からデビットカードが届いた。デビットカードはクレジットカードと違って、その場で銀行から引き落とされる仕組みになっている。財布を持たない人だったが、お金を引き出しに行く体力もなかったのだろう。パスモも1万円単位でチャージしていて、小銭をポケットに入れるのも億劫だったのかもしれない。本当にガリガリに痩せていた。
 石田さんの分の確定申告で、その年にどれくらい使ったかがレシートと通帳を見ればわかる。2年前に癌が発覚してから常勤の仕事は辞めたものの、去年は闘病しながらも本を1冊出すことができた。その印税のまとまった金額が秋口に入っていたのだが、それを年末までにほとんど使ってしまっていた。どうやらタクシーを使ってまでレコード屋をはしごしているらしかった。その頃、着払いの荷物もしょっちゅう届き、ネット通販にも手を出していた。レコードだけでなく、見たことのない怪獣のフィギュアが枕元に増えていた。
 これには私も相当腹を立てた。癌が発覚した時、子どものためにどれだけお金を残せるか考えている、というようなことをインタビューで語っていたはずなのに、死を目前にすると人はこうなってしまうのだろうか。仕方ないことだと思いながらも我慢できず、これ以上お金を使うようなら出て行ってもらうと突きつけたこともあった。最初は「わかった」と萎れていたものの「DJで使うレコードだけは買うのを許してほしい」と食い下がる。借金してまでやることじゃない、と突っぱねたものの「最後のDJでは珍しく楽しそうに踊ってた」と、一緒だったDJのクボタタケシさんに後から聞かされた時は、嬉しかったのと同時に胸が痛んだ。
 カウンセリングの先生に言わせれば、それは依存症でしょうね、ということだった。思えば、アルコール依存症が買い物依存症に代わっただけかもしれない。お金がなくなれば買い物は止まるらしいが、もはや通帳にお金はほとんど残っていなかった。その数ヶ月で相当な額を使っていたことを話すと、皆驚く。喪主挨拶で話したことは最後までそんな感じで、ざっくばらんなものになってしまった。死者への手向けになっていない気がするが、私たちらしいとは思う。
 先日、下高井戸にあるTRASMUNDOという石田さんもよく行っていたレコード屋へ集金に行った。石田さんのレコードとCDを委託で売ってもらっていたのだ。店主のハマちゃんとは10年以上の付き合いになる。レジ横の壁には、石田さんと私の和装の結婚写真のポストカードが貼られていて、その横には告別式で配った石田さんのポートレートの喪中はがきが飾られている。
 石田さんも最後までよく来ていたらしい。いつも昼間の早い時間で、店の階段をゆっくりとした足取りで登って来る人影が思い出されるという。石田さんは店に着いても、入る前に必ず店の前の階段に座って一休みしていたとハマちゃんが教えてくれた。階段を登るのがきつかったのだろう。そこにしばらく座って息を整えてから、やっと顔を出したらしい。
「いい思い出として胸に秘めてるんだよね」
ヌッと暖簾くぐって、石田さんがまた入ってくるんじゃないかと思って、と笑う。
 石田さんの金遣いの荒さで私が怒り心頭だった時も、ここへ相談に来たことがあった。そういえば喪主の挨拶よかったよ、とハマちゃんが言う。
「俺も石田さんに年が近いからわかるんだけどさ、買って集めてなんぼっていうかね。だから一子ちゃんの気持ちももちろんわかるんだけど、石田さんの気持ちもすげーわかるっていうかね」
ハマちゃんの言うこともわかる。これが石田さんでなければあんなに私が怒ることもなかっただろう。本当は私は何に怒っていたのか、今ひとつわからないでいた。
「一子ちゃんが求めてるものって、一貫して愛じゃん」
ふいに言われたハマちゃんの言葉に驚かされた。10年以上私を見て来た人の言葉だ。何かの本に、愛に飢えている人はお金に執着すると書かれていたのを思い出した。
 石田さんに愛されていなかったのかといえば、そうではないと今となっては思える。ただそれが、私の望む愛され方ではなかったから、いつまでも気づけずに、愛を求めていたのかもしれない。私はいつも、自分の物差しで人をはかっていた。一番そばにいた石田さんにこそ、それが顕著だったのだろう。人にはそれぞれの背景があって、愛し方も人それぞれなのだ。
 石田さんがいなくなったことで、愛にまつわる苦しみのようなものからは解放された。それと同時に、あんなに憎く思っていた母への気持ちが、不思議なことに徐々に変わっていった。石田さんが亡くなったのを機に、少しずつ母と連絡を取るようになったのだ。会話をするのはまだ出来そうにないが、メールのやり取りは続けている。少し前の自分からすれば信じられないことだ。もしかすると私は、石田さんへの怒りを本人にぶつけられないために、その矛先を母に向けていたのかもしれない、と考えるようになった。もちろん、母に対する葛藤がなくなったわけではないが、石田さんがいなくなってから母への感情が変わったことは、とても意味深いことに思えた。
 この話は現在進行形なのでまた今度。
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《著者プロフィール》
植本一子(うえもといちこ)
1984年広島県生まれ。
2003年にキヤノン写真新世紀で荒木経惟氏より優秀賞を受賞、写真家としてのキャリアをスタートさせる。広告、雑誌、CDジャケット、PV等幅広く活躍中。
著書に『働けECD―わたしの育児混沌記』(ミュージック・マガジン)、『かなわない』(タバブックス)、『家族最後の日』(太田出版)、『降伏の記録』(河出書房新社)がある。
『文藝』(河出書房新社)にて「24時間365日」を連載中。
http://ichikouemoto.com/