行けたら行きます 5

 石田さんと死について話したことはない。どこか気を使っている自分がいる。でも、話せるうちに話しておかなければいけないことや、聞いておかなければいけないことがたくさんある気がして、それだけで足がすくむ。途方もない気分になる。いつもいた人がいなくなるということは、どういうことなのだろうか。
 もしも石田さんが癌になっていなかったら、と考えると、やっぱりどこかで離婚していたのではないかと思う。病気がまた二人を家族に戻した。皮肉なものだけれど、石田さんもそれは思ったらしく、同じようなことが次に出る本の原稿にも書いてあった。
 その原稿には「墓」についても書いてある。石田さんが二十二歳の時に死んだお母さんの眠る石田家の墓は、厚木の方の集団墓地の中にある。ロマンスカーに乗って小旅行気分で結婚の報告をしに行った。暑い日で、妊娠中だった私は墓までのバスの中で貧血になったのを覚えている。上の娘が生まれてから一度行ったきり、私はそこを訪れていない。今まで、なんとなく自分もそこに入るのだろうと思っていた。しかし石田さんの原稿には、その墓に自分は入らないことに気づいたと書かれている。確かに、結婚した時に石田家から籍を抜き、石田さんが世帯主となった。それはつまり、自分を筆頭とした家族が一つできたわけで、自分たちの墓を作らなければならないということらしい。それを知り私は絶句した。ここにきての墓問題だ。
「どうしよう、東京って墓足りないんでしょ?」
「そうなんだよ。まあ、墓なんて生きてる人のためのものだからさ、僕はなんでもいいんだけど」
 私が墓を作る。家さえ持っていないのに。どうしてこんなことになってしまったんだろう。石田さんが昔、鳥葬が良いと言っていたのを思い出した。どうせなら鳥の餌になりたいのだそうだ。それでも骨は残る。法律的に、日本ではできないね、ということで鳥葬は却下されたのだが、では海に散骨すれば墓を持たなくて済むのだろうか?
「まあ、警察に捕まらない範囲で、調べておいた方がいいよ。そう遠くないことかもしれないし」
 まさに他人事とはこのことだろう。娘たちも結婚すれば、また別の墓に入る。結局は私と石田さんだけの墓になる。そんなもの、本当に必要なのだろうか?という思いが二人の共通意識だ。
 かと思えば、今度は葬式の話をし始めた。いつも行っていた渋谷の床屋まで行く体力がなくなり、家から徒歩三十秒の場所にある床屋に行くようになったのだが、最近そこの親父が死んだらしく、その話を盗み聞きしたと言う。普通の葬式だと、なんだかんだで百万はかかるらしい、と言い出す。
「だから家族葬にしてさ、その後に誰かがお別れ会をやりたいって言い出したら、みんなでやればいいんじゃない?」
「え、そうしたらもう火葬されちゃってるから、死んだ石田さんの顔をみんなが見れないじゃん」
「いや、それはやり方があるんだよ。コンちゃんの時も家族葬だったけど、その前に顔見に行った」
 コンちゃんというのは二年前に死んだDEV LARGEのことだ。家族葬だったらしいが、火葬前に友人たちと連絡を取り合い、顔を見に行ったと言う。
 とうとう葬式の心配までし始めた、と思うとおかしくて仕方ないが、笑ってもいられない。
 結婚してから、今が一番会話している気がする。我々夫婦、いよいよ御法度がなくなってきた。しかしこれも、石田さんの調子がいい証拠でもある。調子の悪い時は、話なんてできないのだから。
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《著者プロフィール》

植本一子(うえもといちこ)

1984年広島県生まれ。

2003年にキヤノン写真新世紀で荒木経惟氏より優秀賞を受賞、写真家としてのキャリアをスタートさせる。広告、雑誌、CDジャケット、PV等幅広く活躍中。

著書に『働けECD―わたしの育児混沌記』(ミュージック・マガジン)、『かなわない』(タバブックス)、『家族最後の日』(太田出版)がある。

『文藝』(河出書房新社)にて「24時間365日」を連載中。

http://ichikouemoto.com/