老いを追う 25 〜年寄りの歴史〜
畑中章宏
第九章 「ポックリ往生」と「ボケ封じ」 1
『恍惚の人』のベストセラーは、民間信仰でも「ブーム」を生み出した。「ポックリ寺」と呼ばれる寺院に参詣し、「ポックリ」と死ぬのを祈願することが流行になったのだ。
「ポックリ」は、「コロリ」や「コックリ」などとともに、古語辞典の項目に挙げられていることから、近世にはすでに使われていたようである。また「ぽつくりわうじゃう」という項目を立て、「なんの苦痛もなく、突然死ぬこと。安楽な死に方であり、特に老人がこれを願い、願をかける寺もある」と説明する辞典もある。
寝たきりやシモの世話にならず、家族に負担をかけず、心身が健康なうちにあの世に往きたい。近世の人々も抱いたこうした願いと信仰が、一九七二年(昭和四七年)『恍惚の人』の出版を契機に復活し、隆盛をみたのである。
『恍惚の人』のなかで「ポックリ」はこんなふうに捉えられている。
主人公である昭子の姑が、美容院から帰ってきて家に辿り着いたところで、突然死んでしまった。すると昭子と周りの人々は次のような会話を交わした。
「うちのお姑さんのこと理想的な死に方だって言ってくれたんですよ。最後まで、健康だったし、誰にも迷惑かけなかったし、皆に惜しまれるしって。(中略)私も死ぬときはお姑さんにあやかりたいわ。美容院で最後の身だしなみをしたなんて、美しいわよ、本当に」。
「七十五だったそうだね。病みつかずに亡くなられたのは御当人も周りの者も幸せというものだよ」。
「姑のような女の一生を、人はなんと形容するだろう。決して我慢できないだろうと思われる一生。そしてその鮮やかな死」。
また九〇歳の老人が老人クラブで囲碁を打っていると、碁盤の前で動かなくなり、碁石の上に顔をつっぷして亡くなったという挿話もある。
「まあ齢に不足はないからねえ。勝負に勝って死んだんだから極楽往生ですな。あやかりたいものですね」。
「まあ九十まで病知らずで、思いつかずに死ねるなんて、幸せなひとでしたねえ」。
姑の急死は「理想的な死に方」「鮮やかな死」であり、老人のそれは「極楽往生」で、「幸せな死」だと周囲からみられたのだ。
老年医療の現場にかかわるある医師は、「ポックリ死」の条件として健康に長生きしたこと、脳と体が同じような時期に衰え、体調が悪くなってからは短い期間に、苦しまずに他界したこと、家族も「長生きしてもらった」という達成感や納得感、安堵感、満足感が得られたこと、という三つがあると指摘する。
近世においての「ポックリ往生」の信仰では、安楽な死に重きがおかれていたとみられる。しかし、『恍惚の人』の二人の老人の死にみられるように、現代の「ポックリ」祈願は、長患いせず、苦しまずに死にたいというだけではなく、最後まで健康で長生きしたいという願いも欠かすことができない。
さらに近年ではこんな調査結果もあるという。「ポックリ往生」を願っている人でも、あまりにも突然死ぬと、家族を驚かせ、悲しませてしまうので、一週間か一〇日ぐらいは看病してもらいたいといった具体的な願望まで出てきているというのだ。
それにしてもいったい、神様や仏様は、そんな都合のいい祈願を聞いてくれるものだろうか。
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《著者プロフィール》
畑中章宏(はたなかあきひろ)
1962年大阪府生まれ。
作家・民俗学者・編集者。著書に『災害と妖怪』(亜紀書房)、『蚕』(晶文社)、『『日本残酷物語』を読む』(平凡社)、『天災と日本人』(筑摩書房)、『21世紀の民俗学』(KADOKAWA)ほか多数。
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