老いを追う 40 〜年寄りの歴史〜

第十四章 死に急ぐ年寄りたち 1
 民俗学者の宮田登は、『老人と子供の民俗学』(一九九六年)という本のなかで、老人と自殺の問題についていくつかの事例を示しながら、考えをめぐらせている。
 宮田によると、昭和四九年(一九七四年)七月二九日付の『読売新聞』に、「老人自殺の風土」と題した記事が載っているという。その中身は新潟県刈羽郡高柳町に住む老人が、「毎年死に急ぐ」という報告である。
 この地域は豪雪地帯で、年寄りが「若い者はみんな都会へ行ってしまう。わしらを置いて、そして誰も帰ってこない」と言い、記事が書かれた頃には一年に八人の老人が死んだこともある、全国一自殺率の高いところだった。
 そうしたなかに、婦人会のリーダー格だったおばあさんが、六八歳で首を吊って死んでしまうことがあった。
 おばあさんが糖尿病を患っていたことから、警察は病苦による自殺だと判断した。しかし、おばあさんの持病はそれほど重症ではなく、自殺をするような人だと思えないので、周りの人はその判断をいぶかしがった。おばあさんは布袋をかぶり、薄化粧をしていたので覚悟の自殺だと思われる。
 おばあさんは永年、小学校の先生をし、定年後は婦人会長をつとめていた。そして日頃から、「老人は宝である、お互いに長生きしましょう」と言って、励まし合っていた。また、彼女の夫も老人団体の指導者で、かなり裕福な農家だったことから、死に急いでいるようにはみえなかった。
 おばあさんが死んだ日、家族は田んぼの草取りに行き、おばあさんはお昼の支度をするためひとりで家に残っていた。午後一時ころ、家族が家に戻ると、おばあさんは身辺整理まですませて、亡くなっていたのだった。
 年寄りの自殺原因で多いのは、病苦と厭世である。時期としては農繁期の四月から六月、九月から十一月に集中し、死亡時刻は家族が外出し、ひとりで留守居しているときが目立つという。
 豪雪地帯であっても、出稼ぎにいった子どもからの送金があり、生活に困ることはない。だから経済的なことより、「ぽつんと取り残された孤独感」が問題だと考えられる。毎年九月末から翌年四月まで、高柳町には、老人と子どもだけが村に残る。男も女も子どもを老人に預けて、関東方面に出稼ぎに出てしまうからである。
 「せがれたちが安心して帰ってこられるように家を守っておかなくては。雪で家がつぶれたら子供たちにしかられてしまう」という老人もいたという。
 残された年寄りたちは、寄り合ってはお茶を飲み、世間話をする。冬は毎日屋根にのぼって雪を下ろす。老化してからだが衰えてくると、「もうオレは家族の足手まといになった。子供が働いているのにこのまま長生きすれば、子供や孫に厄介をかけるばかりだ」と、家の役に立たないという自覚が強まる。家族が、「じいちゃんは邪魔だから家にいて」と言って気をつかうと、老人は追いつめられた気持ちになるのだろう。
 東京から嫁入りしたある女性は、この土地では、「自殺することを、当人も近親者もそれほど重大なこととは思っていないように感じた」というのだった。
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《著者プロフィール》
畑中章宏(はたなかあきひろ)
1962年大阪府生まれ。
作家・民俗学者・編集者。著書に『災害と妖怪』(亜紀書房)、『蚕』(晶文社)、『『日本残酷物語』を読む』(平凡社)、『天災と日本人』(筑摩書房)、『21世紀の民俗学』(KADOKAWA)ほか多数。
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