老いを追う 5 〜年寄りの歴史〜
畑中章宏
第二章 翁の正体 2
だれもが知っているように、おとぎ話の「桃太郎」にも老夫婦が出てくる。この二人も『竹取物語』の翁と嫗と同じく、子どもがいなかった。
桃太郎がどういったいきさつで授けられたかについては、じつは時代による変化がある。
現在よく知られるのは、川で洗濯していたおばあさんが、川上から流れてきた大きな桃を家に持ち帰り、食べようと思ってその桃を割ったら、中から元気な男の子が飛び出したというものである。しかし、古く伝わる『御伽草子』ではこんなふうではなかった。
おばあさんは川に流れてきた二つの大きな桃を持ち帰った。その日見た夢に氏神様が出てきて、桃を食べたら必ず子どもを授かるといった。夫婦がお告げに従って桃を食べると、たちまちのうちに若返り、おばあさんは身ごもり男の子を産んだ……。
江戸時代までの「桃太郎」話のほとんどが、このようにおばあさんが回春して、子どもを産むものだった。それが明治になってから、桃から生まれる話に変化していったのである。
おとぎ話の「桃太郎」では、『竹取物語』のようにはおじいさんの年齢が語られていない。おばあさんはおそらく高齢出産だと思われるが、いくつで産んだのか、出産が難儀だったかどうかも伝えられていない。こうした話で、嫗が身ごもり子どもを産むのは、神仏による霊験や奇瑞であることのほうが重要だったのだろう。
桃太郎の誕生は、年寄り夫婦が若さを一挙に取り戻し、〝子づくり〟に励んだ結果であることが言外に示されている。すると「桃太郎」からは昔も今も変わらない、性への執着をみることもできるのだ。
「一寸法師」も子ども向きには、なんとなく授かったように語られているけれど、神様に祈ったところ、おばあさん自身が身ごもり産んだのだった。また一寸法師は、身の丈が三センチしかなかったにもかかわらず、たいへん勇ましく、武士になるため京に上っていったといわれている。しかし『御伽草子』では、何年経っても大きくならないものだから、化け物ではないかと老夫婦が気味悪がるので家出したのだといっている。
かつては、年寄り夫婦の回春や産まれた子どものいびつさについて、生々しく語られていた。老いることへの恐怖、アンチエイジングの希求、セックスへのこだわり、それらが簡単には克服できないことも含んで、これらのおとぎ話は成り立っていた。しかし近代になると、おとぎ話から高齢者問題のリアリティは排除され、教訓的、修身的な「童話」にされてしまったのである。
かぐや姫も桃太郎も一寸法師も、身なりは小さくとも、人間だった。しかし、子どものいない老夫婦への授かりものが、人間ではない生物だった場合もある。
そうした話のなかで、比較的よく知られる「田螺(たにし)長者」はこんな話である。
年寄り夫婦が子どもを恵んでくださるようにと、水神様(あるいは観音様ともいう)に毎日お祈りをしていた。するとめでたくおばあさんが子どもを産んだが、その子はタニシだった。それでも夫婦は大切に育てた。
タニシには馬の耳に入って馬を操る能力があり、そのことが村の長者の知るところとなった。長者は、タニシは神様からの授かりものであり、そのご利益にあやかりたいと、自分の娘とタニシを夫婦にした。夫婦が水神様の夏祭りに出かけた帰り道、烏に襲われ、その弾みで殻が割れて、タニシは立派な若者になった。人間になったタニシは商売にも成功し、夫婦と老夫婦は仲良く暮らしたという。
話によっては、タニシとの異類婚を拒んだ長者の姉娘が、妹夫婦の仲を妬んで、カラスに襲わせたというものもある。またタニシのほかに、サザエやカエルやヘビ、カタツムリやナメクジを主人公にしたものもある。
大事に育てた娘と別れる際、「血の涙」を流した竹取の翁と嫗と比べれば、「田螺長者」はかなりのハッピーエンドである。しかし幸福な老年期を送るには、異類を産んでも嫌がらずに育てるという、なかなかに険しい峠を越える必要があったのだ。
かつての日本人たちは、幸せな老後を過ごすための困難を、こうした昔話やおとぎ話に託して物語化したのにちがいない。
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《著者プロフィール》
畑中章宏(はたなかあきひろ)
1962年大阪府生まれ。
作家・民俗学者・編集者。著書に『災害と妖怪』(亜紀書房)、『蚕』(晶文社)、『『日本残酷物語』を読む』(平凡社)、『天災と日本人』(筑摩書房)、『21世紀の民俗学』(KADOKAWA)ほか多数。
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