国境線上の蟹 24

21
ソウル・トレイン、ソウル・ステーション(2)
〜褐色のヒューマン・ラッシュ
 
 
 293564キロメートルにも及ぶ、世界のどの国と比べてもダブルスコア以上の大差をつけて第一位の総延長距離を誇るアメリカ合衆国の鉄道網は、自動車の時代になった今もって経済の、特に流通においては大動脈であり続けている。

 都市間輸送の主役は小回りのきく(といっても20トンや36トンなど、日本とは桁が違うのだが)トラックに譲ったかもしれないが、その代わりに中国やアジアからの国際的な輸入品が飛躍的に増えてきた20世紀末以降、船便で運ばれてきた巨大なコンテナをそのまま貨物列車に搭載して長距離を走る「インターモーダル輸送」といわれる鉄道輸送の形が増加している。確かにこれならわざわざコンテナの中身を移し替える必要もないし、港に着いたら即輸送にかかれるため、非常に効率的だ。インターモーダル形式の普及にともなってコンテナが2段積み(ダブルスタック)できるようになったため、さらに大量の輸送が可能となっている。

 全車両延長が7キロメートルにもなることもあるという長大な貨物列車は、それ自体が巨大な壁のようにも見え、人里離れた荒野の真ん中などで遭遇すると、その威容に圧倒される。まるで、移動する資本主義の大聖堂だ。ぽっかりと空虚な無人の大地をひた走ってゆく巨大な質量の塊を見ていると、圧倒的な富と物量をテコに20世紀をひた走り続けてきたこの国がやがて滅びても、その魂を乗せて永遠に走り続けるのではないかという錯覚に襲われもする。

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 そんな聖なる鉄道網は、いくつかの地点において「南」へと流れ込んでゆく。カリフォルニア州サン・イシドロ/バハ・カリフォルニア州ティファーナやアリゾナ州ノガレス/ソノラ州ノガレス、テキサス州エル・パソ/チワワ州シウダ・フアレス、テキサス州ラレード/タマウリパス州ヌエボ・ラレードなどメキシコ国境沿いのボーダータウンは、北の富を南へ、南の物品を北へと運ぶ列車のターミナルでもある。「北の富」とはいうものの、第2章で紹介したようなマキラドーラを始め、圧倒的に安いメキシコの労働力によって生産された物品が運ばれていくということも多い。
 
 メキシコ側ではメキシコシティのほかいくつかの港湾都市を起点にフェロメックス、カンザス・シティ・サザン・ド・メヒコといった鉄道会社が貨物列車を運行しているが、これらはかつてメキシコの公共インフラとして運営されていたものの、現在では全てにアメリカの鉄道会社の資本が入っていることからも、多分にアメリカ側の都合によって運営されているものであることがわかる。

 アメリカ・メキシコ間を行き来する鉄道はすべて貨物のみで、旅客の輸送は行なっていない。乗っている人間は、基本的にすべて運転士や機関士などの乗務員ということになる。
 
 基本的に、と書いたのは実際のところ、メキシコ国内を走っている間、この列車には多くの〝乗客〟が乗っているからだ。

 ドイツのミュンスター大学で歴史号の博士を取り、それからフリージャーナリストを経て児童文学へと転じたドイツの作家ディルク・ラインハルトの『列車はこの闇をぬけて』(天沼春樹訳、2017 徳間書店)は、アメリカ合衆国に働きに出たままの母親を追って故郷であるグアテマラの村を出た主人公が、メキシコへと潜り込み、道中で会った仲間たちと「ノルテ(北=転じてアメリカのことを指す)」に向けて旅をする様子を描いた小説である。

 フィクションの体をとってはいるが、著者のラインハルトが実際にアメリカを目指してメキシコ国内を旅する少年や少女たちと出会い、彼らへの綿密な取材を重ねてこの作品を書き上げただけあって、児童文学とはいえど実にリアリティのあるディテールに満ちており、日本版も400ページを超える大著だ。本作はドイツにおいて高く評価され、最古の児童文学書であるフリードリヒ・ゲルツテッカー賞を受賞している。

 旅のメンバーは妹を置いてグアテマラの村を出てきた主人公ミゲル、同じく都市部でストリートチルドレンをしていたアンジェロ、ホンジュラスからきた寡黙なインディオの少年エミリオ、エル・サルバドルからやってきた少女ヤス(ヤスミーナ)、そして何度かアメリカへの入国を試みては惜しくも失敗している世慣れた不良少年フェルナンドの5人。このメンバーを見るだけで、あることが瞬時にわかる。アメリカに行くことを望むのは、何もメキシコ人だけではないのだ。

 グアテマラ、ホンジュラス、エル・サルバドル、コスタ・リカ、ベリーズ、そしてメキシコ。貧しさを抜け出すことを夢見て、中央アメリカ諸国のほぼ全域から、数多くの移民たちがアメリカを目指している。多くの場合路銀をあまり持たない彼らの最も理想的な移動手段は、南メキシコをなんとか徒歩で移動し、中部の各都市を出発する貨物列車の屋根に乗ることだ。それゆえ、多くの人々がまずメキシコに不法入国し、それから列車の屋根に飛び乗って北を目指すことになる。アメリカの視点で漠然と「メキシコから来た不法移民」と表現される彼らの後ろには、それぞれの事情でそれぞれの感情とともに捨ててきた祖国がある。

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『列車はこの闇をぬけて』の冒頭、グアテマラからメキシコに入国する際、ミゲルはある少年からこんな言葉を聞く。

〈(首尾よく入国しても)そのあとは、ア・ラ・ベスティアだ!〉

 ベスティア=bestiaとは、スペイン語で「野獣」という意味である。また、バハ・カリフォルニア地域のスラングで「マジで最悪」という意味でもある。つまり、彼らがこれから旅することになるメキシコ南部こそ、獣のような人間たちが猖獗を極める地獄のような地域だということなのだが、それはそのまま、アメリカへと向かう貨物列車につけられた仇名でもある。

 実際、彼らを待ち受けるのは、ほとんど苦難ばかりの旅だ。祖国からメキシコに入るにも国境警備隊の目が光っており、越境の案内人に高額の報酬を渡さなければならない。メキシコに入ってしまっても、各地を縄張りにするギャングたちにそこそこの金を渡さなければ、電車の出る街まで安全にたどり着くこともおぼつかない。その他、移民たちの持つ金品を狙った強盗や女性たちへのレイプ、人身売買目的の誘拐、そして殺人などの被害も多発しており、さらにはたびたびの検問の過程で、警察や軍の兵士でさえそうした恐喝や暴力に加わることもある。中米からの移民を題材に取った映画『闇の列車、光の旅』(原題:Sin Nombre、2009 アメリカ、メキシコ合作)の監督キャリー・ジョージ・フクナガも、そのもとになったショートフィルムの取材のために700人以上の移民とともにこの貨物列車の上で旅をし、その過程で、夜中に強盗団に襲われた移民が金品を渡さなかった結果、貨車から突き落とされて死ぬという現場に遭遇したという。

 先述のように、メキシコの貨物列車は現在はアメリカ資本なしには成立しない。これはすでにメキシコ政府がこの列車にまつわる運営努力を放棄しているということでもあり、ましてや通り過ぎていくだけの貧しい外国人の安全などに気を配ることはまったくない。それどころか、そもそもインフラ整備すらもおぼついておらず、脱線事故などもしばしば起こる。2013年にはメキシコ南部のタバスコ州で列車が脱線して最終的に11人が死亡 しているが、この列車の屋根には250人以上のホンジュラス人が乗っていたという。脱線こそしなくても、体勢を崩して足を踏み外したり、寝ている間に山中に差し掛かって木の枝にはたき落とされたり、熱中症や病気になったりして、旅路の間にいくらでも人々は脱落していく。転落すればもちろん重傷を負うし、ほとんどの場合、周囲は人っ子一人いない山間か砂漠だ。

〈「このまえの旅のとき、知り合いになったやつから聞いたんだ。川を越えた百人のうち、チアパスをぬけられたのがちょうど十人。北の国境にまでたどり着けたのが三人。それで、うまく合衆国との国境を越えられたのは、たったひとりだけだったそうだ」〉(前出『列車はこの闇をぬけて』より)

 この貨物列車が「死の列車(el tren de la muerte=エル・トレン・デ・ラ・ムエルテ)」と呼ばれる所以である。

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 彼らが最終的に向かう先であるアメリカ合衆国側では、当然、さまざまな方法で〝不法移民〟を規制、できれば排除しようとする力学が働いている。現大統領ドナルド・トランプが「メキシコ国境に壁を建てる」とぶち上げるはるか以前、ビル・クリントンが大統領であった1994年からカリフォルニアで「オペレーション・ゲートキーパー」と冠した壁の建設作戦は始まっていたし、2006年に成立した「安全フェンス法」もその一環である。トランプの手法は〝不法移民〟への反感と憎悪をいたずらに煽って自らのプレゼンスを高めようとするものではあるが、アメリカ社会の基本的な姿勢は、トランプ以前からそう大きく変わってはいない。

 オバマ政権時代の2014年、突如としてひとつの曲がラテンアメリカのヒットチャートに登場した。「La Bestia(The Death Train)」 ——ミゲルが耳にし、彼が旅した貨物列車につけられた仇名そのもののタイトルがついたこの曲はメキシコのトラディショナル・ソング「corrido」を下敷きにしたキャッチーなメロディとノリのいいクンビア風味のアレンジで、中米の人々の耳に残りやすいよう作られている。21のラジオ局で一斉オンエアされ、「ヒット」といえる状態になったその歌詞は、こんな調子である。

〈南から来た野獣、それが彼女の呼び名。この悪辣な死の電車〉
〈鉄の獣のような貨車を運ぶ。移民たちが畜牛のように詰め込まれ、屠殺場へと向かう〉
〈痛みの雲に覆われた地獄への道、突然の雷は一切の情けを知らない〉
(対訳:筆者)

 などなど、貨物列車に乗って旅する人々の苦難を並べた歌詞は、徹頭徹尾、これからアメリカへと密入国しようとする人々に旅路の恐ろしさを想像させ、心をくじきそうな内容である。

 この歌の制作を担当したのは、アメリカの広告代理店「エレベーション」である。クライアントは、アメリカ合衆国税関・国境警備局。つまり、国境付近で不法移民や薬物の流入を取り締まる政府機関であり、この曲および中米各国のラジオ局におけるパワープッシュは、アメリカ政府のプロパガンダ・キャンペーンなのだ。

 この曲でどれだけの移民が実際に旅路の不安に怯え、アメリカ行きを断念したかは定かではない。効果のほどは正直言って疑問だが、この年にオバマ政権が〝不法移民〟の流入を阻止するために議会に要求した37億ドルの臨時予算のうち、この曲にかけられた予算はそう多くもないだろう。もっと他の実効的な部分――警備隊の増員などに割かれたその予算により、2014年以降、しばらく低迷していた越境移民の逮捕者数は増加に転じている。

 繰り返すが、アメリカ社会の基本的な姿勢は、トランプ以前からそう大きく変わってはいない。

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 だが、それでもアメリカへと流れ込む褐色のアメリカ人たちの流れは留まることを知らない。

 2018年3月25日、約8割がホンジュラス人で占められる700人前後の集団が、メキシコ・グアテマラの国境、チアパス州にあるタパチュラの街を出発し、北上を開始した。4月1日にオアハカ州に入った頃には、その数は1000を超えていた。最終的に1500ほどの集団になった彼らは、そのまま「La Bestila」に乗ることなく2500マイル(約4000キロ)を歩き通し、4月29日、カリフォルニア州サン・ディエゴ(およびサン・イシドロ)の反対側にあるメキシコ、バハ・カリフォルニア州のティファーナに到着し、一部は移民キャンプや支援者の持つ施設にそのまま入った。

 10月12日にはホンジュラスのサン・ペドロ・スーラにホンジュラス、グアテマラ、エル・サルバドルから約160人が集まり、行進を開始した。この集団はホンジュラスを出る頃には500人、そしてメキシコ・シティに到着する頃には6000人を超えていた。大多数はそこで落ち着いたものの、約2000人程度の移民はそのまま歩いて北上を続け、最終的には11月15日、1500人程度がティファーナに到着した。

 こうした「Migrant Caravan(移民のキャラバン)」と呼ばれる大規模化された動きが、近年、中央アメリカ諸国では少しずつ起こっている。バラバラに、それぞれ自分の身を守るだけで精一杯の危険な列車の旅を続けるより、ひとつの塊としてゆるやかに連帯しながら徒歩で北上したほうが安全ということもあろうし、何より、デモンストレーションとしても十二分に効果的だ。彼らは行進する。時に黙して、時に声をあげて。例えば、こんな歌の文句のように。

〈グリンゴ(白人)たちに思い出させたい
 俺たちが国境を越えたんじゃない、国境が俺たちの間を通ったんだ〉
〈俺たちこそもっと「アメリカ人」だ、アングロ・サクソンの息子たちよりも〉

 カリフォルニア州に住むチカーノ——もともとは「メキシコ人」でありながら、1848年のアメリカ・メキシコ間の戦争によってアメリカ領となった地域に取り残された人々の子孫——のバンド、ロス・ティグレス・デル・ノルテの「Somós Mas Americanos」は、まさに他者が勝手に引いた国境線によって自分たちの暮らしを隔てられたものたちの、数百年にわたるプロテスト・ソングだ。ホンジュラスから、グアテマラから、南から人々は北を目指す。いまは遠く隔てられた、この地がまだ「アメリカ」という名すら与えられなかった時間へと遡行するかのように。

 とはいえ、キャラバンが辿り着いた先のティファーナなどでは、景観や治安の悪化を懸念して観光客離れなども起こっており、地元住民とキャラバンの人々との軋轢はむしろ強まっているかのようにも見える。「南側」にいるこの街の住民でさえも、この映像のように「移民はシ(Si=スペイン語の「イエス」)、不法移民はノー」と掲げたプラカードを持ってデモをする事態に至っており、むしろ「南」の動きはその中間地点にいるものたちを不安に陥れ、結果として「北」の論理を補強/再定義するような行動を彼らに取らせている。かつて行われた分断が、因果のように巡り巡って新たな憎悪や分断を招くという構図が、ここでも再現される。

 南から北へ続く、褐色の奔流。分断の世紀に抗うように生まれたこの流れは、果たして何かを変えうるだろうか。沈黙の中に歩みを進める彼らの横顔からは、まだ答えは読み取れない。

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〈著者プロフィール〉
安東嵩史(あんどうたかふみ)
1981年大分県生まれ。
編集者。移民・移動と表現や表象、メディアの関係を研究することを中心領域とする。

2005年以降、書籍や雑誌からVRまでの発行・執筆・展示・企画などを多数手がける。
2017年にTISSUE Inc. / 出版レーベルTISSUE PAPERSを設立。
ウェブサイトはそろそろ。
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