国境線上の蟹 9


アメリカの「神話」について(中) 
 〜荒野に還るものたちへ

 テキサス州ヴァン・ホーンを後に、一路北へ向かう。メキシコからこのあたりまで広大に横たわっていたチワワ砂漠帯をようやく抜けると、サンドベージュ一色だった周囲の大地は、いつの間にか一面の赤土に変わる。

 ふと、行く先にまだ傷も生々しい野ウサギの死骸を見つけ、大きく迂回して避ける。この国ではちょっと田舎を走っているとすぐに野ウサギやアナグマや山猫が車にはねられて死んでいるし、アンテロープにバイソン、高地ではヘラジカまでが「動物飛び出し注意」の看板に描かれている。
 
 ニューメキシコ州に入った頃、エネルギー企業「アパッチ」の名を冠したスタンドが荒野にぽつんと立っていた。その背後には、地平線を埋め尽くす天然ガスの掘削機。

 勇猛果敢で聞こえたアパッチ族(彼ら自身は自分たちのことをティンネ=人間と呼ぶ)のうち、テキサス西部はメスカレロという氏族の大地だった。彼らはその昔から平原でバッファローを狩って暮らしていたが、やがて白人たちとの戦いに身を投じ、敗れ、現在は標高6000フィート(約1800メートル)の山地にかろうじて確保された狭い居留地に押し込められている。

 アスファルトの道路も、ガスプラントも、もともとこの大地にはなかったものだ。あとから人間が道を作り、野ウサギは太古からの習性にしたがってそこを駆け、轢かれる。メスカレロ・アパッチは今では平原に出ることなく、山中でカジノやスキーリゾートを運営し、観光で生計を立てている。その姿から過去の勇名を想像することはなかなか難しいが、少なくとも再び部族の血を流すことを選んだりはしない。それはもう十分、流れた。

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 南北戦争で北軍を勝利に導いて「自由の国」を守り抜き、「人民の、人民による、人民のための政治」という名言を残した第16代大統領エイブラハム・リンカーンもまた、アメリカの神話上の人物と言っていいだろう。しばしば「史上最も偉大な大統領」とも言われる彼は周知の通り黒人奴隷解放の最大の功労者として崇敬されているが、その一方で、ネイティブ・アメリカンに対する最大規模の虐殺の責任者であることは、ほとんどの人が知らない。

 1862年、リンカーンは「ホームステッド法」を制定した。これは、それまでミシシッピ川の東側に留まっていた開拓民たちに西部の土地を与え、自営農民を増やそうという法律である。そもそも、1830年の「インディアン強制移住法」によって、すでに先住民はミシシッピ川よりも西部に追いやられていたのだが、リンカーンはそんな彼らの住む土地をも白人開拓者たちに与える決定を下したことになる。多くの農民やひと山当てたい移民、もしくはならず者たちが、アメリカン・ドリームを夢見て現在のミネソタやオハイオ、テキサスなどに旅立った。前章で触れたAmazon.comのジェフ・ベゾス、本名ジェフリー・プレストン・ヨルゲンセンの祖先も、この時テキサスに土地を得たデンマーク移民である。その土地の一角が、現在は彼の宇宙開発会社「ブルー・オリジン」の実験場になっている。

 この年の夏、ミネソタに住んでいたダコタ・スー族が大暴動を起こした。10年前に強制移住させられて居留地に入る際、狩猟の暮らしをやめて定住する引き換えに連邦政府が年金や食料などを支給するはずだった条約が反故にされ続けていたことに抗議してのものだが、リンカーンはジョン・ポープ将軍に武力鎮圧を命令する。ポープは指揮官就任にあたって「私の目的は、スー族を皆殺しにすることである。彼らは狂人か、野獣のように扱われるべき存在である」と宣誓し、リンカーンはそれを黙認した。

 ポープは9月23日、ウッドレイクの戦いで反乱を鎮圧し、77名の戦死者と引き換えに75〜100名のスーを殺した。残りは身の安全の保証と引き換えに投降したが、リンカーンはこの降伏条件を無視し、蜂起に関係のなかったものまで大人数を逮捕。ポープやミネソタ州知事アレクサンダー・ラムジー——スーに支給されるはずだった年金をかすめ取った人物——らの強い要請もあり、303人を審議なしで即時絞首刑にする命令書にサインした。

 スーの状況に心を痛めたミネソタの司教ヘンリー・ウィップルはワシントンに出向き、リンカーンに量刑の再考を直訴した。ウィップルは「この人数を処刑することはさすがに大統領の評判にも関わる」という言い方で彼をくすぐり、全員の処刑は免れたが、38名の指導者層に対する決定は覆らなかった。リンカーンは絞首刑にする38名の、アルファベットで表記するには難解きわまる名前を自ら書き、電報の送信手に厳重に注意させながら処刑の指示を送信した。この38という数字は、今もってアメリカ史上最大の同時処刑人数である。

 リンカーンはさらに停戦条約を破り、ミネソタのダコタ・スーの土地を没収。彼らは12月26日、クリスマスの翌日に、厳寒のノースダコタに移動させられた。死者を悼む歌を歌い、手と太鼓を打ち鳴らしながら、もちろん徒歩で。移住を拒み、その後もミネソタに残ろうとしたスーには、ラムジー州知事による〝徹底絶滅〟が待っていた。

 南北戦争中の1863年には、リンカーンはダコタ・スー同様に年金に支払いを求めてきたニューメキシコ周辺のナヴァホ族の討伐を指示。この地に金鉱があると知った指揮官ジェームズ・カールトン准将は、焼きつくし、殺しつくし、犯しつくす苛烈な戦闘の末に彼らを鎮圧すると、翌年、8500名のナヴァホを300マイル離れた居留地に徒歩で移動させ、移動先でも過酷な強制労働を行わせて最終的には2000名以上のナヴァホを死に追いやった。

 ジャーナリストのマイケル・ガディは2001年9月3日付の『Sierra Times』への寄稿「The American Indian And The “Great Emancipator”(アメリカインディアンと〝偉大なる解放者〟)」において、「リンカーンの演説にある〝人民〟に、インディアンは含まれていなかった」と痛烈に指摘している。

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 2018年6月23日、米国図書館協会(ALA)の児童サービス部会(ALSC)はひとつの重要な意思決定を行なった。児童文学の古典『大草原の小さな家』シリーズの作者、ローラ・インガルス・ワイルダーにちなんで創設された文学賞「ローラ・インガルス・ワイルダー賞」の名称を「児童文学遺産賞」と変更する、というものだ。

 25日に発表された声明では、ワイルダーの文学に対する貢献を認めつつも〈彼女の作品は1800年代の入植者の生活体験を反映したものであり、先住民や有色人種への、多様な人々の集団への理解が進んだ現在からすれば当惑するような考え方の反映である〉と指摘している。

 1867年、まさに「ホームステッド・イヤーズ」の最中に生まれ、開拓者の娘として育った彼女が1935年に著したこのシリーズの初版の開始5段落目には、こんな記述がある。

〈そこでは野生の動物たちが、見渡すかぎりどこまでも続いている牧草地にでもいるかのように、自由に歩き回って餌を食んでいました。どちらを見ても人間(people)はいません。その土地に暮らしていたのはインディアンだけだったのです〉
(対訳=北山耕平氏のブログ より引用)

 1950年代になって、ハーパーコリンズ児童書部門の伝説的なディレクターとして『かいじゅうたちのいるところ』『おやすみなさい おつきさま』などを世に送り出した編集者アーシュラ・ノードストロームがワイルダーにこの箇所の修正を提案。彼女も受け入れ、この箇所はこうなった。

〈(前略)どちらを見ても入植者(settlers)はいません。その土地に暮らしていたのはインディアンだけだったのです〉

 ノードストロームの死後に出版された書簡集『Dear Genius』(Charlotte Zolotow編 未邦訳、2000 Harper Collins)によると、ワイルダーは彼女の指摘に〈あなたが完全に正しい。(中略)私は馬鹿げた失敗を犯した。もちろんインディアンは人間だし、そうではないという暗示をしたつもりはなかった〉と返したという。

 だが、先住民に関する表象文化の研究者であるデビー・リースは「なぜ、その試みが作品全体にわたって続かなかったのか?」と疑義を呈する。実際、作中には他にも「The only good Indian is a dead Indian いいインディアンは死んだインディアンだけだ」という発言や、スカンクの生皮をまとったいかにも野蛮そうな二人組の先住民が食べ物の無心にくるシーン、犬のようにけたたましく吠える先住民の描写など、随所に彼らに対する差別心が見え隠れしている。

 冒頭の一語のみを直しただけで作家が問題を本当に理解し、作家や作品から差別意識までも消し去ったとは、なかなか言い難い。ノードストロームが象徴的な一語を改変することで全体の作品性は保たれるべきと判断したのか、それとも無意識の差別心がそれを是認したのかはわからない。1960年代、先住民政策を糾弾する「レッドパワー運動」が勃興する前になされたこの改訂提案は画期的ではあるものの、当事者からすれば「それでは足りない」のだ。

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 この「それでは足りない」という申し立てに対する意識の断絶は実に厄介である。差別する側(の、社会に属している非差別者も含む)が本人としてはどれだけ善意と誠意をもって働きかけたところで、その知識やリテラシーは所詮「差別する側」のものでしかないがゆえに、実際に身をもってその差別を体験してきた当事者からすれば「それでは足りない」ということが数え切れないほどある。あるものはそのギャップに当惑し、あるものは「要求は増える一方だ」などと言うだろう。越境しようとすればするほど、細分化したボーダーが現れる。

 実際、『大草原の小さな家』に関しては「それでは足りな」かった。

 1998年、ミネソタの小学校三年生のクラスでこの作品を教材として読んでいた8歳の女子生徒が「いいインディアンは死んだインディアンだけだ」のくだりを読み、激しくショックを受けて泣きながら帰宅した。彼女の母・アンジェラはかつてリンカーンが〝絶滅〟を許可したダコタ・スーの氏族の出身だった。

 アンジェラの学校への抗議はやがてALAに伝わり、ワイルダー賞の名称変更の可能性などに関する調査が始められた。実際にその決定がなされるまでに、20年を要したことになる。それほど時間がかかった理由は、開拓生活を細密に描いたこの作品が、長らく白人たちにとっての神話でもあったからだろう。

 ワイルダー賞の名称変更を説明するALSCの声明を見る上で真に重要なことは、「彼女の作品は1800年代の入植者の生活体験を反映したもの」という一節について考えることではないか。少なくとも開拓地の少女として育ったワイルダーにとって、それら個人の感覚に基づいた正直な記述にすぎなかった可能性は高いし、彼女が当時育った環境や文化が彼女にその差別的言辞を刷り込んだにすぎない。片方から見れば許しがたいことも、発言者からして見れば単に固有のナラティブであるということが往々にしてあるのだ。少なくともその時の彼女にとって、インディアンは絶対に理解できないエイリアンのような存在だったのだろう。

 もちろん、だからと言って全てを相対化して「多様な人生観がある」などという思考停止に陥るのは愚の骨頂だ。特に過去の作品や事象の場合、時代や文化的背景によって現在の感覚で見れば完全に問題のある言葉が紡がれていることは大いにあり、時に今回のような措置が必要になることもある。が、現在に生きる我々にとって重要なのは、過去を裁くことではない。それが同時代を生きる誰かにとって今なお許しがたい同時代のイシューであるならば「それは何によって起こり、何によって少しずつよくなり得るか」を考え続けることこそが重要なのだ。

 旅にそのための何らかの効用があるとすれば、それは私たちの社会に存在する大小のボーダーの一つひとつをつぶさに見ていくことによって担保されるはずだと思う。見て、考える。

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 南北戦争では北軍側の英雄であり、1870年代に先住民に対する数々の虐殺を指揮したジョージ・アームストロング・カスターは、1950年代くらいまでのアメリカでは非業の戦死を遂げた神話上の(もちろん白人の)ヒーローとして多くの西部劇映画で扱われたものの、人権意識が高まった70年代以降は先住民に対する無慈悲な殺戮者というイメージが定着し、時代の気分によって大いに評価が分かれる人物だ。派手好きで自己演出を好んだこともネガティブ評価の一因になっているカスターだが、その自伝『My Life on the Plains』において、先住民たちを〈血に飢えた野蛮人〉〈(文明に対する)インディアンの降伏は避けられない。運命はそれを望んでいるように思う〉と書きつつも、合間に実に洞察的な一文を残している。

〈彼らの村や戦地で直に出会い、また開拓地や旅路を襲ってくる様子を見ると、彼らは自分で言うような〝気高き赤い人〟ではない。我々が見て知っている限りにおいては、野蛮人そのものである。だが、おそらく、白い兄弟たちも彼らと同じように生まれ育てば、同じような人間になるだろう。人間はその残酷さや獰猛さにおいて、砂漠の野獣を大きく上回るものなのだから〉
(対訳=筆者)

 インディアンを本質的に下等な存在とする考えが大勢であったこの時代の白人、しかも軍人にしては珍しく、(文化の多様性にまでは思いを致しておらず、基調として差別的ではあるものの)彼我の根源的な人間性に優劣をつけていない分析である。「人民」——国家に寄与する生産的な——でも「狂人か、野獣のように扱われるべきもの」——非生産的で無価値な——でもなく、「本質的に同じもの」として他者をフラットに捉えているこの殺戮者の告白に、人間性への重要な視線の萌芽を見るというと大袈裟だろうか。

 ふと思い立ち、webに全文アーカイブされているこの自伝の中に「God」という単語がどれだけ使われているか検索してみると、「God-Speed(めっちゃ速い)」というイディオム以外の本来的な意味では250ページの中にたった一度、自分たち西洋人のことを指した「神が彼ら(インディアン)の敵から遣わした、東から押し寄せる民族ども」という皮肉っぽい記述に登場するのみだった。こうした侵略を「神の意志」「神の土地」と謳う〝敬虔なクリスチャン〟も多かった時代背景とカスター個人の〝傾奇者〟的な性向を踏まえて考えると、おそらく彼は信心の薄いほうで、それゆえ、プロテスタント的狂熱に浮かされて「野獣のように扱われるべき存在」を殺したのではない。人間として、人間の目を見て、顔を見て、その手で殺したのだ。どちらが狂っているのか自分には判断しかねるが、おそらくカスターなら「同じだよ」と言うだろう。

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 カスターへの評価がはっきり変わる1950年代と70年代の〝幕間〟とも言えるのが、アポロ計画に沸くアメリカが西部劇を忘れ去り始めた60年代だ。その冒頭の1960年に、アメリカで『ブッチャーズ・クロッシング』(布施由紀子訳、2018 作品社)という小説が出版されている。

 テキサス生まれの小説家ジョン・ウィリアムズによる本作は、南北戦争後に「自然の中での生活」を夢見てボストンからやってきた書生あがりの青年が当時盛んだったバッファロー狩りに赴くさまを通して、過酷な自然に向き合う人間の姿を描いた力作だ。こう書くと自然との関わりによって自分を獲得するよくある物語のようだが、この作品で描かれるのはバッファローの群れ——〝気高き赤い人〟と同じく、かつてこの大陸を大勢で歩き回っていたものたち——への執拗で凄惨な殺戮と、その果ての虚無である。

 物語の最後付近には、狩猟の旅に出ている間にバッファローの皮の価格が暴落し、半年にわたる労苦が全て無駄だったと知った猟師ミラーが皮商人の在庫に火を放ち、そのまま荒野へと消えてゆく悪夢のような一夜が描かれる。

〈ミラーのことを考えた。彼がみずからはじめた燔祭(筆者注=「ホロコースト」のルビが振られている)に背を向けて立ち去る直前、突如として見せたうつろな表情を思い起こした。それから、みずから燃え種をくべて煽った猛火を前に、その影像をくっきりと鮮やかに描き出したあの姿を〉

 フロンティアの喪失、すなわち自己正当化のための神話の喪失が、本作にはいち早く表現されている。この大陸を購ってきた神話の裏側にある、次の神話でも作り上げなければ生きていけないほどの、荒野のような虚無。ケネディ伝説が完成し、そしてベトナム戦争の泥沼に足を突っ込んでゆく60年代の予兆を、作家は感じ取っていたのか。

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〈インディアンの頭数を数えるには、200年前には何百万という数字が必要だった。今では、それは1000の半分にも満たない。彼らはなぜ、どこへ、消えてしまったのだろう? サクソン人に聞いてくれ〉
(対訳=筆者)

 風が強い。
 見渡す限り無人の荒野の中、かつてこの地を歩き回ったアパッチの勇名を僭称する白人の会社が林立させた「1000の半分」くらいはありそうな掘削機の数々をぼんやり見ながら、カスター自伝の一節を思い出す。最期は自殺行為に等しい無謀な突撃で戦死した殺戮者のふと綴った「サクソン人に聞いてくれ」——本書を貫く己を突き放した諦念すら読み取れる独白の行間に、その魂の荒野を読む。
 そこに吹きすさんだかもしれない風も。

(後編に続く)

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〈著者プロフィール〉
安東嵩史(あんどうたかふみ)
1981年大分県生まれ。
編集者。移民・移動と表現や表象、メディアの関係を研究することを中心領域とする。

2005年以降、書籍や雑誌からVRまでの発行・執筆・展示・企画などを多数手がける。
2017年にTISSUE Inc. / 出版レーベルTISSUE PAPERSを設立。
ウェブサイトはそろそろ。
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