ホームフル・ドリフティング 1

#1 ホームフル

 オフィスで夜を明かすのが好きだ。

 いくつも並べたオフィスチェアの上で、ソファの上で、あるいはカーペットの上で。朝まで仕事するぞと意気込んではみるものの、早々に飽きて横になる。オフィスに泊まってばかりいるのはフリーの編集者という職業ゆえ、でもなく、山ほど仕事を抱えていて忙しいから、でもなく、単に怠惰だからだ。だらだらしているうちに夜が来て、だらだらしながら朝を迎える。
 最初こそ自宅に帰れない寂しさが漂うが、二晩も泊まれば自宅に帰りたいという気持ちはすっかりなくなってしまう。二日目の夜は一日目と別の場所に泊まれるとなおいい。たとえば一日目は自分のオフィスで、二日目はよく出入りしている会社のオフィス。朝から開いている銭湯にでも寄ってまた自分のオフィスに戻ってくると、不思議と自宅に帰ってきた気分にならなくもない。

 そんな生活を送っていると徐々に「自宅=家」の妙な特権性にむず痒さを覚えるようになる。どうしてぼくらは毎日家に帰って、着替えて、寝て、着替えて、また出かけてばかりいるのだろう。同じ家に帰って同じベッドで寝なければいけない道理なんてないはずのに。毎日同じ家に帰ることが少なからずぼくらの生活を規定しているような気がしてくる。家はうっすらとぼくらの体をひとつの場所に繋ぎ止めようとしていて、ときにひどく窮屈だ。
 オフィスに泊まるのが気持ちいいのは、それが単に非日常的な体験だからではない(慣れればオフィス泊こそが日常へ転倒するのだから)。生活の中心であり起点である「家」が揺らいでくるからこそオフィス泊は気持ちがいいのだ。自宅=家という等号にヒビが入って、家が自宅の外へと少しずつ溢れ出していく。仕事場であるはずのオフィスは、少しずつベッドルームへと姿を変え始める。
 ならば、本当はこの世界のあちこちに「家」はもっとあるのかもしれない。家は所与のものではないのだから、あらゆるところに家を見出してみるといい。オフィスはベッドルームに、コンビニは冷蔵庫に、銭湯はバスルームに。もっといける。レストランはキッチンに、書店は本棚に、公園は庭に。家は無限に伸び縮みし、増殖し、現れては消える。
 家の「不在」を理由に都市の中を転々とすることを「ホームレス(Homeless)」と呼ぶならば、家の「遍在」を理由に都市の中を転々とすることを「ホームフル(Homeful)」と呼べないだろうか。この世界は家に満ちている。どこでもホーム。こうして自宅に帰る回数はますます減っていき、あちこちに「帰宅」する生活が始まった。

 ホームフルとはノマドワークの実践でもないし、野宿の礼賛でもない。都市をフリーライドする方法を探したり、「家のあり方」を問い直したりする大層なものでもない。家で帰りを待ってくれる者のいない一人暮らしの独身者だからこそできる、取るに足らない言葉遊びでしかない。家の存在を煙に巻き、フラフラと街の中を「漂流」するためのくだらない言葉遊び。

 この連載は、ホームフルという言葉をめぐって夜ごとあちこちに流れつく自分の「漂流記」とでも呼ぶべきものだ。漂流は心もとなく、頼りない。でも、ときに漂流は誰も想像していなかった場所へとこの身を導いてくれる。まだ見ぬ家のフロンティアへとたどり着くことを信じ、流れに身を任せて帰ったことのない家に帰ろう。もっとも、どこにもたどり着かないかもしれないし、結局見知った家に帰ってくるだけなのかもしれないけれど。
 そんなことを考えながら、今日もオフィスで夜を迎えた。三つ並べたオフィスチェアは不安定で、流木でつくったイカダのようにぐらついている。どうか沈みませんようにと願いながら、横になって目を瞑った。

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《著者プロフィール》
もてスリム
1989年、東京生まれ。おとめ座。編集者/ライター。
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