ホームフル・ドリフティング 25

♯25 ホーム・家・暮らし
 
 
 ホームフルだホームフルだと騒ぎながら半年近く連載を続けてきたけれど、どこかの誰かから指摘されるまでもなく、ホームフルとは都会の思想なのだろう。もしかするとそれは「都会」どころか「東京」だけで成立するものなのかもしれない(東京でも成立していないかもしれないけれど)。


 ぼくは東京で生まれて東京で育ってきたので、ほかの地域・国における「ホーム」を知らない。だから隣の家までクルマを走らせないとたどり着けない地域や、コンビニもスーパーもない地域の「ホーム」がぼくにはわからない。


 もちろん旅行や仕事の出張で東京ではないところに行ったことはあるし、そこでしばらくの間過ごしたこともある。言うまでもなく訪れたことのない土地のホームを想像することだってできる。でも、結局ぼくの想像するホームは現実と大なり小なりズレてしまうだろう。


 それにしても不思議なのは、「ホーム」のあり方が非常に多様なのに、「家」や「住宅」は大体同じ形をしているということだ。もちろん違うといえば違うけれど、地域の差に伴うホームの差に比べればほとんど同じように思える。


「ホーム」と「家」はしばしば大体同じものとして考えられているけれども、きっとそこにはズレがある。少なくとも日本においては、このふたつが長い間ズレ続けてきたといえるだろう。あるいは、そもそも家とホームはその起源からズレていたのかもしれない。ホームと家はどちらが先に生まれたのか?なんて問いは、ニワトリとタマゴのそれに似ているけれども。


 だからホームを考えるときは、家とホームの差分を考えるのもいいかもしれない。ぼくのホームと家はそれなりにズレているし、きっとあなたのホームと家もぼくとは異なる形でズレている。そしてホームと家のズレから生まれるもの、あるいはズレを増幅させるようにして立ち上がってくるものこそがわたしたちにとっての「生活」や「暮らし」だと言えやしないだろうか。


 ホームフルだなんだと言いながらぼくはこれまで「モバイルハウス」や「ノマド」的なものにえも言われぬ違和感を抱え続けてきたのだけれど、ホームと家のズレを考えることで何となく腑に落ちてきた。ぼくが家とホームのズレからホームフルへとたどり着いたように、彼ら/彼女らも自身のズレをなんらかの形で解消しようとする必要があったのかもしれない。そしてその結果たどり着いたのがモバイルハウスであり、ノマドだったのだろう。


 高低差があることで水の流れが生まれるように、差分からさまざまな運動は始まる。ホームと家のズレ、それがわたしたちの住むことをめぐる運動の始まりなのだ。わたしたちはホームと家の間を、振り子のように揺れ動いている。

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《著者プロフィール》
もてスリム
1989年、東京生まれ。おとめ座。編集者/ライター。
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