ホームフル・ドリフティング 24

♯24 アリオ葛西のフードコート
 
 
 ホームフルには「食卓」がない。しかし、どうやらホームにとって食卓は重要であるらしい。
 現在わたしたちは、「(L)DK」という概念で住居を捉えることに慣れ親しんでいる。言わずもがなこれはL=リビング、D=ダイニング、K=キッチンのことだけれど、ぼくは昔からダイニング(ルーム)というのがよくわからなかった(リビングという言葉もなかなかのものだけれど)。
 ダイニングに対するぼくの違和感は、ダイニングとリビングが明確に分かれた家に自分が住んでいなかったから生まれてきているのだろう。それに(L)DKが日本に普及したのは戦後のことだ。それ以前の住宅では「茶の間」のようなかたちでダイニングとリビングを兼ねるスペースがつくられていただろうし、かように日本にとってダイニングが割と新しい概念だということも関係しているのかもしれない。
 さらに江戸時代まで遡ればまた異なるスタイルがとられていたはずだし、欧米における「ダイニングルーム」のあり方も歴史とともに移り変わっているのだろう。そういった位置づけ・機能性の変遷もあって、恥ずかしながらぼくはいまだにダイニングが何なのかよくわかっていない。
 ただ確かなのは、「家」にとって食事をとる場所が非常に重要なものとされてきたことだ。現代の住宅は建築学者の西山夘三が提唱した「食寝分離」なる考え方に沿って食事をする部屋と寝る部屋が分けられているが、家の中心にあるのは間違いなく食事をする部屋のほうだ。寝る部屋はそこに付随するようにしてある。それはきっと合理的でもあったのだろう。
 しかし、家の機能を街の中に分散させていくホームフルには食事をする部屋=食卓=ダイニングがない。もちろん、食事をとる場所をダイニングとすることはできる。レストランが、居酒屋が、カフェが、わたしたちにとってのダイニングなのだ、と。でも、それはいつにも増して無理があるように感じられる。それらはたしかに食事をとる場所ではあるが、ダイニングと呼べるものなのだろうか。
 ダイニングの不在はホームフルに限らず、近年増えている単身者向けの小さな部屋やミニマリストが実現するシンプルな部屋についても当てはまるのかもしれない。そこに食事をとる場所はあっても、ダイニングと呼べる場所がない。彼ら/彼女らの家の簡素さがどこか不安を掻き立てるのは、長らく家の中心とされてきたダイニングが存在しないからなのだろうか。そして、寝室=ホテル、冷蔵庫=コンビニ/スーパー、浴室=銭湯と家のさまざまなパーツを街なかにバラけさせることはできても、ダイニングを当てはめる場所はなかなか見つからない。
 数少ないダイニングの行き先があるとすれば、それはフードコートなのかもしれないとたまに思う。イオンやアリオのようなショッピングモールや、あるいは空港や市場の中にそれはある。そこは食事をする場所ではあるが、食事だけに縛られているわけではない。風通しがいい。だからたまにひとりでフードコートを訪れては、フライドポテトでも食べながら行き交う人々を眺めている。

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《著者プロフィール》
もてスリム
1989年、東京生まれ。おとめ座。編集者/ライター。
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