生きる隙間 3

 近くに住んでいる両親と叔父夫妻を家に招いてお茶をすることになった。当日、両親は早めに到着した。一緒に台所に立ってお菓子やコーヒーを淹れる準備をしている時、両親と大喧嘩になった。理由は忘れてしまうほど些細なことだった。40歳手前になっても私はまだ驚くほど子供じみているし、両親の融通の効かなさは昔から全く変わっておらず、なんとも恥ずかしい。怒り任せに着の身着の儘で家を飛び出し行くあてもなかったので、近所にある新鮮卵の無人販売所へ向かった。
 屋根だけがついた掘建小屋に、番号付きの窓ガラスで区切られた卵販売機が2台並んでいる。地下鉄にあるコインロッカーのような背格好。中にはオレンジ色のネットに包まれた大ぶりの卵が陳列され、内側に仕掛けてある蛍光照明に照らされている。てらてらと光る産まれたての卵は、とても美味しそうだった。つるつるの卵より、ざらざらとした表面の卵のほうが新鮮だと聞いたことがある。一つ一つ窓を覗いてざらつき具合を確かめながらどれが一番美味しそうか吟味する。200円を販売機に入れてお目当ての卵の番号を押すと、販売機の扉がかたんと開く。新鮮な命よ、ありがとう。ネットに包まれた卵を大事に抱えて家に帰った。帰って卵の数を数えてみると、1ダースの12個ではなく14個も入っていた。あらいいね、という母親と山分けした。
 高校半ばからは一人海外で暮らしていたので、久々に両親と3人で過ごす時間が増えた。嬉しい反面、辛くもある。長い間家を空けていた間に、私は都合よく悪いことなんて忘れ、いつの間にか仲良しで理想的な両親像を描いてしまっていたようで、それが現実と少しでも乖離すると苛立ってしまう。そして、干渉の多い両親に対して冷たくしたり大人気のない反応をする私の心の狭さに驚いてしまうようなことがたびたび起こる。
 父は掃除と称して実家の玄関に水をしょっちゅう撒いている。ホースの水圧で埃を外に追いやろうとしているのだが、効果はあまりない。中学時代はその水のせいで床も靴もびしょ濡れになってしまうことに激怒していた。そして今、父はわざわざ私の家の玄関にもホースで水を撒き散らすようになった。水害は靴箱にも及ぶ。お金を貯めて買った上等な靴がかびる!(本当は特にそんなものはない)と怒鳴り、その私の剣幕に負けようやく水を撒かなくなった。母はコロナに怯えきっていて、手を洗ったか、うがいをしたか、上着は玄関で脱いだか、と何千回も確認してくる。しつこすぎて怒りを通り越し、死んだ目で母を見つめる。
 そういう話を、恋人に電話でしている時に、私ははたと気づいた。もしや、私は母と全く同じことを彼にしているのではないかと。彼が家に来ると、手を洗ったか何度もしつこく確認していた気がする。その時彼は、死んだ目をして私を見つめていたような気もする。もしかして私は、母と同じことをしていたのではないかと聞くと、そうだね、と彼は答えた。しかも、まりちゃんはちゃちゃっと指先だけ雑に洗うけど、俺には丁寧に洗えと指示してきたとも言われた。確かにそうだった。そして、母よりもたちが悪かったことに猛反省である。
 私に対して余計なアクションが多い両親だが、きっと私も同じなのである。両親に対しても、恋人に対しても、時には気を許した友人に対しても、かもしれない。両親を責めてばかりいたけれど、その負の部分を気づかぬうちに私も携えているという事実と向き合うのは、ばつが悪い。けれどもそれを受け入れることは、相手に対して許容できる範囲が広がる、という良い側面も秘めているのかもしれない。お互い様なのである。
 両親は70歳をとうに超え、体も頭も若かりし頃のように機敏には動かず、隠居生活で周りの世界を気遣う頻度も減り、頑固にもなってきた。その現実を私はなかなか飲み込むことができず、意図的に昔と何ら変わりない体で二人に接してしまっていたのかもしれない。何よりも二人が老いて行く様子を毎日目の当たりにするのは悲しい。二人の歯並びが良く真っ白だった歯も若干黒ずんで衰えてきているのが分かる。会話するたびにそれが気に掛かり悲しくなる。遠くにいて今まで直面することのなかった細かな現実が次から次へと私に突きつけられ、心が少し弱くなってしまう。両親も私も歳を重ね心身ともに変わってきているのにあわせ、許せる事柄を増やし向き合う形を変えていかなくては、とも思った。
 しかしもともと、口論の多い夫婦である。合点のないくだらない二人の小競り合いを聞きながら、無視しとけばいいのに余計な口を思わず横から挟んでしまう私の大人気のなさに、意識して変えていくことの難しさを噛み締めている毎日である。

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〈著者プロフィール〉
小嶋まり
渋谷区から山陰地方へ移住。写真、執筆、翻訳など。
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