生きる隙間 4

 子宮の内膜が剥がれ落ち、血の塊となって体外に放出される時、自分の大切な一部を失いたくないという葛藤が無意識に働くのか、掴みきることのできないとりとめのない不安が、まるで経血がじんわりと布に滲み渡るように心身の隅々まで覆い尽くす。いわゆる、PMS。
 PMSが社会で広く認識されるようになってからは、私の不安定さはまさにそのせいだと考えたかったけれど、思い返せば、漠然とした不安が制御できず沸々と怒りへと変換され、破壊のエネルギーになるという循環は初潮を迎えてから始まったものではなかった。私を苦しめる破滅的な思考は生まれ持った性質のようで、女性である身体やホルモンやらの生理的な原因が根本にはないかもしれないと思うと、自己に対する嫌悪ばかりが募っていった。
 幼い頃から不安や悲しみをうまく変換できず、ただ感情の赴くままに爆発ばかりしていた。怒りは破壊。いろんなものを怒り任せに壊した。窓ガラス、高い花瓶、母の車、包丁で自分の頬、兄の腕、食器、できたてのお弁当、思春期を過ぎた頃からは恋愛関係を片っ端から。私は気が狂っているに違いないと思っていた。
 父も母も私の怒りを理解できずに困惑していたと思う。そもそも私自身ですら怒りが生まれる工程を理解することができなかったから。そして両親は、私の理不尽に見える怒りを更なる怒りでねじ伏せようとした。そうすると私は、家から逃げ出すしかなかった。
 夜に叱られ家から逃げ出した幼い私の避難場所は、低い山のすそにある先祖代々からのお墓だった。お墓の横にある百日紅の幹は、すべすべとしなやかで、墓場には場違いな鮮やかなピンク色の花も咲く。その底抜けに明るい色が、怒りが収まり冷静になりつつあるなか芽生える暗闇への恐怖を振り払ってくれた。百日紅は、全てを無駄に絡みつけてしまうようなざらつきのある私の精神とは真逆だ、という気付きは幼い頃から私の中にあった。
 17歳からの長い海外暮らしを経て東京で働き始めた頃、新たな避難場所を2ヶ所見つけた。一つは、黒い砂浜の海岸。見通しの悪い湾の浜辺から海を眺め、黒い火山灰が混じりこんだ濁った砂と、湾にどろりと滞るような波に私は同調し、自分と似たものは存在するという事実に安心した。
 そして、もう一つは教会だった。木造の古びた教会があり、人生におけるスローガンが墨汁で几帳面に書き上げられ掲げてあった。それに加え、施設の注意書きも生々しい文体で箇条書きにされていた。私の一番醜いところが疼き始めると、少しでもそれから目を外らせるようにこの教会へ辿り着いた。掲げられた筆跡を眺め、人々が生きている痕跡に自分を這わせる。それは私を平静へ導く、束の間の救いであった。
 信仰心のない私にとっての祈りは、一種のプラシーボかもしれない。逃れることのできない現実を一時的にねじ伏せる救いの行為。私が破滅的な時にいつも同じ場所へ辿り着いてしまうのは、私だけの儀式のようなものだったからかもしれない。私の全ての重みを委ねている自己という脆い基盤が、ぐらりぐらりと左右に揺れて翻弄される。その揺れが少しでも穏やかになるのであれば、その場しのぎでも楽になる偽薬を摂取したいと思う私がいるのだろう。
 今、また幼い頃の避難所に近いところへ戻ってきた。ずいぶんと心が落ち着き、夜にあの場所へ行く必要も今のところはない。久々にお墓参りへ行くと、百日紅の木はさらに大きくなっていた。けれど、幹の根元の一部が炭のように黒く変色しでこぼこしているのに気が付いた。その不完全さに、幼い頃からざらついている私の精神が癒やされるようだった。
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〈著者プロフィール〉
小嶋まり
渋谷区から山陰地方へ移住。写真、執筆、翻訳など。
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