老いを追う 24 〜年寄りの歴史〜

第八章 恍惚の人々はどこにいたのか 3

 有吉佐和子の『恍惚の人』が当時は痴呆と呼ばれていた認知症について、初めて本格的に描いた小説であることは前章でも述べた。
 主人公の茂造は物忘れがひどく、人違いをし、うろうろと出歩くようになる。さらには長年連れ添った妻が亡くなっても放置してしまう。茂造の娘で地方から母の通夜にかけつけた京子は、父親の変化に驚かされる。
 「お父さん、私が誰だか分からないの。本当に分からないんですか。私はねえ、あなたの娘ですよ」
 「はあ、はあ、そうですか」
 茂造は迷惑そうにこんなふうに言い放つ。
 「私の娘は、あなたのような年寄りじゃありませんよ」
 茂造は風呂でおぼれかかり肺炎を患う。その後は、男性用便器を壊して長時間抱えていたり、夜中に便を畳に塗りたくったりして周囲を驚かせる。ほどなく外出して行方不明になった直後に急死する。

 丹羽文雄の短編小説『厭がらせの年齢』(一九四八年)は『恍惚の人』の先駆をなす作品だといわれる。 丹羽の名前はいまでは、あまりポピュラーではない。しかし、戦前に文壇デビューし、戦後は風俗小説が人気を博し、のち仏教への傾斜から「親鸞」、「蓮如」などをあらわした。
 脳軟化症を患う八六歳のうめは、いやがらせをすることだけが生きていることのすべてになっている。ひとり娘を亡くし、伴侶もおらず、娘の残した孫たちに面倒をみてもらうほかなかった。しかし老耄していても食欲だけは旺盛で、食糧事情が悪いこの時代に、うめは家族にとって恐怖の対象だった。
 うめにとって周りから疎んじられずに済むのは、早く死ぬことしかないが、醜悪な存在として生き続けるのである。
 「厭がらせの年齢となることが避けられない運命であるなら、だれもが、せめて自分ひとりの老後は考えておくべきであろう。そういう人が私の周囲にも、ぽつぽつとあらわれるようになった。老後を子供に頼るなど、因襲的な、古くさい考え方である。時代が変わった。ひとりひとりが、自分の老後を準備しておく時代である。」(丹羽文雄『厭がらせの年齢』)

 小説の中にこう書いた丹羽文雄自身が、晩年にはアルツハイマー型認知症の症状を呈するようになる。そのため人気作家は、多くの公職を整理し、表舞台から退いた。病気の経緯と介護については、娘の本田桂子が手記を記し、公表している(『父・丹羽文雄 介護の日々』一九七七年)。
 周囲が文雄の変調に気づいたのは、早稲田大学から芸術功労賞を受賞し、卒業式でスピーチをした際のことである。三分の予定にもかかわらず一〇分を超えても話しつづけ、内容も支離滅裂だったという。
 文雄はその後、作家としての自分の過去も忘れてしまう。
 「『お父さんは小説家だったのよ』と、私が父に言うと、父は『へえー、そうか』と、自分で驚いているようです。そして『ものすごくたくさん本を書いたのよ』と言うと『誰が?』と答える父なのです」。
 桂子は献身的な介護を続けるが、母親の綾子も脳血栓による「まだらボケ」を発症してしまう。
 「『アルツハイマー』の父と『まだらボケ』の母という老カップルが、ひとつ屋根の下に暮らしていたのですが、母は相変わらず、生きがいのように父をなじってばかり。父を怒らせては収拾がつかなくなって、お手伝いさんが私のところへ電話をかけて後始末を頼んでくる。その回数も増えてきました」。
 桂子はこうした経験をもとに、講演や提言に行くなど多忙な日々を送っていたが、自身が急逝する。孫たちに支えられた文雄は、それから四年後、肺炎でこの世を去る。文雄は一〇〇歳の長寿を全うしたのだった。

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《著者プロフィール》
畑中章宏(はたなかあきひろ)
1962年大阪府生まれ。
作家・民俗学者・編集者。著書に『災害と妖怪』(亜紀書房)、『蚕』(晶文社)、『『日本残酷物語』を読む』(平凡社)、『天災と日本人』(筑摩書房)、『21世紀の民俗学』(KADOKAWA)ほか多数。
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