土の上 48

 先日の夜、蛍を見に行った。家の近くに蛍が見られる川があり、毎年この時期になると娘と見に行くことにしている。今回は母も一緒だった。
 その前日、夕食を作っていたら父が自転車でやってきて、家の外から「蛍見に行こー」と誘ってくる。小学生みたいな登場の仕方につい笑いそうになったけど、食事がまだだったので断ると、父は一人で川へ向かった。少しかわいそうなことをしたな、と思ったけど、作りかけのおかずを放ったらかして腹を空かせて出かけるわけにもいかなかった。
 そんなわけで、昨日行けなかったメンバーで川へ向かった。その日は日曜日だったから人が多い。父曰く、車で三~四十分かかる徳島市内の方からもわざわざ見にくる人が少なくないらしい。
 徐々に空が暗くなるにつれて蛍の数は増えていく。その光景には、毎年毎年、同じように新鮮な感動を覚える。土手の奥の方へ行くと、立ち入り禁止のロープの向こう、木々が茂る闇に無数の蛍がぼうっと光っては消えるのが見えた。その幻想的な美しさに誰もが思わず感嘆の声を漏らす。仄かな光に触れたくて、子どもたちが銘々の小さな手を差し伸べている。
 どこかで似たような感覚を味わったことがある気がした。すぐに、花火だ、と思った。四年前、まだ名古屋に住んでいた時に娘と二人で花火大会に行った。娘はこの日のために初めて買った浴衣に身を包み、わくわくする気分を抑えきれないまま、ぎゅうぎゅう詰めのバスで会場へ向かった。どの花火大会も大抵はすごく混むものだ。行く前から、今日は最後まで頑張って自分で歩こうね、と約束していた。当時四歳の娘をひとりで抱っこして帰る自信が私にはなかった。
 その日は生憎の天気で、途中から雨が降った。それにも関わらず、本当にたくさんの人々が花火を見に集まっていた。花火大会の会場で見る人はもちろん、家のベランダから見る人、建物と建物の隙間から立ち止まって見る人など、それぞれが同じ空を見上げ、打ち上がる花火を見つめる姿は、きっと昔と変わらないのだろう。ふと、これほどまでに長年にわたって人々の心を捉え続けるような美しいものを、これから先に人間は作り出すことができるのかな、と思った。考えてみるとたくさんあるような気がしたけど、思い浮かべたそれらはすべて自然が作り出したものばかりだった。そうして、何となく人間の無力さを感じたのだった。  
 その日、娘はいつまでも帰ろうとしなかったけど、元気のあるうちに会場を後にすることにした。帰りはバスではなくて、少し離れた駅から出ているリニモで帰ることにした。駅まで歩く道中、名残惜しくて何度も振り返って花火を見ながら帰った。約束通り、娘は最後までよく歩いてくれた。

 蛍も自然の美しさだ。今でもやはり自然にはかなわないような気がしている。だけど、自然には作り出せない面白さを私たちは生み出すことができるとも信じている。そうして、作る手を、描く手を止めないでいる。

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《著者プロフィール》
宮崎信恵(みやざきのぶえ)
1984年徳島生まれ。
STOMACHACHE.として妹と共に雑誌などのイラストを手がける。
その他、刺繍・パッチワーク・陶芸・木版画・俳句・自然農を実践する。
http://stomachache.jp
http://nobuemiyazaki.tumblr.com