#00 幻の強度について(前編)
奇妙な体験を度々する。
その日わたしは、いつものように貧民専用スーパーに買い出しに行った。周辺の店より全体的に2割ほど安い店で、さらに価格の下がった「今日のお得」を狩るためである。店員が割引シールを貼るのは、逢魔が時だ。その時間帯には、ギラギラした眼の「半額戦士」たちが、じりじりとフロアに集まってくる。万年失業状態のわたし、年金暮らしの老人たち、安全ネットのない外国人たちである。
この時間帯にうろつくケダモノたちを、ナメてはいけない。全員素早い動きをする一流のハンターなので、愚鈍なわたしは度々負ける。皆、生きるために必死だ。にもかかわらず、ケンカにもならない。誰よりも我慢を強いられるケダモノたちは、世界イチ行儀がよいので狩り場はいつも静かだ。
しかし年金暮らしっぽい爺がガマンの限界に達し、ついに雄叫びをあげた。
「この刺身は誰も定価では買わない。半額シールを貼ってから全部売れる。ということは、はじめから半額で売ればいいのだ。そうすれば、全員新鮮な刺身が食える。シール代も値引きできるぞ」
天才だ。真実しか言っていない。ハンドラベラーでシールを貼る若い店員は、沈黙を奏でる。そう、それでいい、無言を貫け。ガマンできず尿漏れしてしまう爺は、「わたしの将来」であるから扱いのわかるこのわたしに任せろ。
「天才ですね。是非このスーパーを買収して経営してくださいませんか、貧乏なわたしのために、ほんとうにお願いします。」
爺は頷き、ご満悦の表情を浮かべて去って行った。若い店員は、面倒くさそうにわたしに会釈した。君はこんなどうでもいい返しでも、助かったのか?それならお願いだ、わたしにそのシールを一枚くれないか。調味料に貼りたいのだよ。貧民青色は善人などではなく、爺よりケチなニンゲンであるが、モノローグは口にださずに飲み込んで会釈を返した。
いつもカネに踏まれるケダモノのわたしは、その日も色々なことに負けた。なぜ何も買えていないのに、2千円も払っている? 食料品が高すぎる。精算を終えうなだれて、階段を降りていった。貧民スーパーの売り場は2階にあり、1階は駐車場だ。田舎暮らしなのに車がないわたしは、この場においても最恐の貧民である。
ここから早足で歩いて20分先に、わたしの住まう狭いアパートがある。店舗唯一の出口は駐車場に出られるそこだけだから、徒歩で帰るしかない喘息のわたしだって、排ガスまみれとなって駐車場の脇を通るしかないのだ。
自動扉の出口の前には、100円~と書かれた自販機とガチャガチャマシンが並ぶ、6畳ほどの狭い空間が広がる。そこに長机を出して「貴金属を売って下さい」という旗をたて、商売をしている怪しい業者がいつもいる。
「貴金属を売って下さい」男は、なかなか見栄えがよい。わたしには、サイドを短く刈り上げたイケてる髪型のスーツの男は全員反社である、という何の根拠もない思い込みがある。反社は言う。
「奥さん、おうちに眠る金(キン)はありませんか? もう使わないダサいアクセサリーでも、今ならとてもいいお値段になるんですよ」
毎日毎日、同じ台詞を言う君に、昨日もおとついもわたしはニッコリ笑って「貧乏なのでないでーす」と答えたではないか。そろそろ顔を覚えてくれないか? そしてわたしは君の「奥さん」ではない。軽々しく話しかけるな。
わたしは、世間知らずな上品なマダムではないので、モノローグを口から発し反社を罵ったりはしない。なぜならカネを稼ぐ労働がどれほど苦しいことか、身をもって知っているからである。反社は反社で組織に踏まれて、大変なのだろう。編集者をだまくらかして売文行為などしているわたしだって、カタギとはとても言えまい。
この狭い6畳空間こそが、ゲンダイ日本の縮図である。カネに踏まれる貧民客と、ド底辺の貧民にキンを売却せよと執拗に迫る反社しかいない場所の壁には、客からのお問い合わせにエッセンシャルワーカーが答える「ご意見カード回答」が貼られている。それはありとあらゆる恫喝に、「申し訳ありません」と言うテイで恫喝を返すライムの応酬であり、それこそがハードコアなリアルというものだ。
「ご意見ありがとうございます、「明治 きのこの山」につきましては、値上げの際に定番で扱っている「たけのこの里」と条件が合わず、取り扱いを中止しました。見積もりを再検討しましたが、やはり導入を見合わせます。ご希望に添えず申し訳ありません。」
きのこたけのこ戦争が、こんな場所でも勃発している。「たけのこの里と条件が合わず」とは、一体何のことなのか?きのこのチョコ部分が高いのか? 「ご意見カード回答」に日本経済が見える。今季、チョコもそれ以外も、食料品はなにもかも高騰している。極悪政治家どもの無能労働のしわ寄せの先で、メーカーの営業マンと店長はどんな会話を交わしたのか。これで誰か短編一本書けよ。日常を戦場にするのは誰か?
貧民スーパーの壁の張り紙にまで、深いテーマ性を見いだすのが、わたしというゴミクズニンゲンである。暇な貧民は、カネになるネタはないかと常に嗅ぎ回っているハングリーでもあるのだ。いつもなら「ご意見カード回答」を全部読み、腹一杯にして帰るのだが、その日はもっと変なことが起きていた。自動扉の前に、気になる人がいたのだ。
「気になる人」は、全身めちゃんこイケてるアウトドアブランドで身を固めた、50代ぐらいのオッサンだ。アウトドアブランドをかわゆく着こなせる50代のオッサンと言えば、わたしのストライクゾーンである。容姿年齢だけでも大変気になる存在だが、この男が大変奇妙な動きをしていたのだ。
自動扉の前まで進み、ドアが開かず、一歩後ろに後退する。また自動扉の前まで進むが、やっぱりドアが開かず、後ろに後退する。それを何度も何度も繰り返している。
・・・自動扉が壊れているのか?
わたしはそう思った。センサーに反応せず一度のトライで扉が開かないことは、ごくまれにある気はする。しかしああ何度も何度もトライして開かないのは、キカイの故障だろ? 貴金属反社もちょっとは気をまわし「壊れてるんですかね?」などと話しかけたりするのが、人情ではないのか?
なにゆえに、眼の前の困っている人をそんなにも堂々と、ガン無視できるのか? さすが反社はカネの匂いのしないことは一切やらんな、などと思ったわたしは、しかしこのオッサンに声をかける前に、自動扉の前まで行って開くか開かないか試してみようと思った。
もし開かなければ「ヤダ! 開かない! 壊れてるとか? お店の人を呼んできますね!」などと最大限イイコぶりっ子して「自然に」話しかけ「感じのいい人」を演じよう。「自然に」が重要なのだ。なぜならこのオッサンは、わたしのストライクゾーンだから、「是非ともお知り合いになりたい、そのうちお尻愛にでも・・・」的な醜い欲望を察知されてはいかんのだ。
毎日毎日、貧困と虚弱に耐えるだけの、まるで楽しくない人生を送るガマン製造機であるわたしを、天は決して見放さない。このかわゆいオッサンには小さな試練を与え、わたしにはアバンチュールへのチケットをお渡しくださるということか。現世利益をくださるというなら、神だって信じるよ。生々しくも神々しい妄想でもってこの事態を脳内処理する、頭がヒマでハングリーな快楽主義者は、自動扉の前へとゆっくり歩を進めた。
自動扉は・・・あっけなく開いた。
オッサンとゆうケダモノは、よっぽどキカイに嫌われるタイプなのだろう。本当にチャーミングだ、是非とも口説きたい。しかしドアは開いてしまった。「自然に」知り合うことはできなかったが、閉じ込められていたオッサンは、わたしという「その日の天使」(※)にひっついてソトに出られるのだから、本当によかった。一日一善。こんな貧民にも、誰かのお役にたてることはある。わたしの小さな自己満足のために。オッサンの試練があったのだとしたら申し訳ない。そんな気持ちで店を出た。
駐車場の脇を通ってスーパーを後にし、少し進んだところで、わたしはなんとなく振り返った。生々しい欲望ゆえに、ストライクゾーンのオッサンの顔を、拝んでみようと思ったのだ。わたしはケダモノ以下の欲深いニンゲンである。
しかしオッサンは店から出ていなかった。ソトはもう真っ暗で、オッサンの居る6畳空間だけが、まわりから浮いているようにぼんやり光っていた。逆光でシルエットと化したオッサンは閉じた自動扉の前に立ち、またさっきと同じ奇妙なアクションを続けていた。
自動扉の前まで進み、ドアが開かず、一歩後ろに後退する。また自動扉の前まで進むが、やっぱりドアが開かず、後ろに後退する。何度も何度も同じ動作を繰り返している・・・。
わたしは・・・ゾっとした。見てはいけないものを見たのだ。あの人は「いない」。生きている人ではない、幽霊だ・・・。
(後編につづく)
※『恋は底ぢから』中島らも 集英社 1992 「その日の天使」より引用
「人生で選べたことなんてあったか?」
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